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![]() ブログに書いたように、十分な予習をしていったので、85点の出展作品を1時間ほどで見おわり、帰宅して昼食を摂った。 春休みや大型連休も過ぎて、この展覧会(会期:3月18日―6月18日)も終盤となっているためか、場内は空いていた。 暖かい良い日だった。見終わってから、外の写真を撮ると、見事な快晴である。 ![]() プロローグ以前に見た作品も少なくなく、お気に入り作品も多いが、ここでは私の「エルミタージュ10選」を制作年代順に挙げることとする。 #1 クラーナハ《林檎の木の下の聖母子》1530年頃 ![]() #2 ティッィアーノ《羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像》1538年 ![]() #3 ハルス《手袋を持つ男の肖像》1640年頃 ![]() #4 カルロ・ドルチ《聖チェチリア》1640年代後半 ![]() #5 ルイ・ル・ナン《祖母訪問》1645∸48年 ![]() #6 シャンパーニュ《預言者モーゼ》1648∸63年 ![]() #7 スルバラン《聖母マリアの少女時代》1660年頃 ![]() #8 ムリーリョ《受胎告知》1660年頃 ![]() #9 デ・ホーホ《女主人とバケツを持つ女中》1661-63年頃 ![]() #10 レンブラント《運命を悟るハマン》1660年代前半 ![]() #次点 シャルダン《食前の祈り》1744年》 ![]() 美術散歩 管理人 とら #
by cardiacsurgery
| 2017-05-12 07:01
| 国外アート
わたしは柑橘類が大好きである。これに関して書いたブログ記事もすでに4本を数える。
・「 熊本県玉名市天水町の早生みかん」⇒①今回は、最近口にした二種類の柑橘類、「清見」 & 「美生柑」について書くこととする。食べてみると、両者ともに「非常にジューシー」であるが、「清見」では「強い甘さ」、「美生柑」では「さわやかな酸味」が印象的だった。 A. 清見(きよみ)ミカン科ミカン属タンゴール類 ![]() 「清見」の果実は200~250g前後で、黄橙色。皮はオレンジよりは剥きやすいと言う程度。果肉は種が少なく柔らかでとてもジューシー。そのため、ナイフを使い、食べやすいようにクシ切りにして食べる方がいい。 ![]() 「清見」の収穫はハウス物が1月頃から始まり、3月初旬ごろには路地物も始まる。収穫は4月初旬辺りまでだが、定温貯蔵されるものもあるので出回るのは5月頃まで続く。最も沢山出回り、味も美味しい食べ頃の旬は2月中旬あたりから4月上旬頃で、ハウス物より露地物の方が概して味が濃く、果汁も豊富だと言われている。 この「清見」をもとに「不知火(デコポン)」が生まれたのであるが、「清見」を「育種親」とする品種には、以下のように多種類がある。 「シラヌヒ」-「清見」×「ポンカン」B. 美生柑(みしょうかん)ミカン科ミカン属文旦類 ![]() これは、大正時代に熊本県河内町の西村徳三郎氏の庭で発見された柑橘で、起源は明らかではないが「文旦」の血を受け継いでいると考えられている。 果皮が黄色くなめらかで、果肉は多汁でやわらかくソフトな口当たり。さわやかな香りを持ち、ジューシーで上品な甘酸っぱさが味わえる。果重は250~450gくらいと比較的大きめ。風味と外観がグレープフルーツに似ていることから「和製グレープフルーツ」ともいわれるが、グレープフルーツのような苦味はなく、酸味も強くない。 晩生で越冬する必要があるために、ハウス栽培や冬期も一定以上の気温でほとんど降霜することのない地域で栽培される。日本における収穫量は、2010年が8,822 トンで、その内訳は愛媛県63%、熊本県35%である。 生産地は、愛媛県愛南町や熊本県天草市などの少数しかないが、愛南町が生産量の約半数を占める日本一の産地である。 「美生柑」という名称は愛南町の前身の一つである御荘町(みしょうちょう)に由来する。ただし、愛南町では2007年から「愛南ゴールド」という呼称を総称として用いている。 C. 柑橘類の分類 【オレンジ類】オレンジ・ネーブル 【グレープフルーツ類】グレープフルーツ・オロブランコ 【みかん類】温州みかん・ぽんかん 【文旦類】文旦・水晶文旦・夏みかん・甘夏・八朔・晩白柚・美生柑 【レモン類】レモン 【香酸柑橘類】柚子・スダチ・ライム 【タンゴール】清見・伊予柑・デコポンなど「みかん・オレンジ交雑種」 【タンジェロ】ミネオラ・セミノールなどの「交雑種」 美術散歩 管理人 とら #
by cardiacsurgery
| 2017-05-11 09:25
| アート一般
現在、六本木の森アーツセンターギャラリーで「大エルミタージュ美術館展」が開かれている。
今までに何回も(大)エルミタージュ美術館展を見ており、今回のフライヤーに載っている作品もほとんどが鑑賞済みのような気がする。 ![]() ・ティツィアーノ《羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像》一方、今までに見た(大)エルミタージュ美術館展を整理すると次のようである。 【エルミタージュ美術館展】 ・東武美術館1(1992) 17世紀オランダ・フランドル絵画 HP ・東武美術館2(1993) イタリアルネサンス HP ・東武美術館3(1994) フランス バロック・ロココ絵画 HP ・東武美術館4(1995) 19∸20世紀フランス絵画 HP ・東武美術館5(1996) 16∸10世紀スペイン絵画 HP ・東京江戸博物館 (2004) HP 【大エルミタージュ美術館展】 ・東京都美術館(2006) HP ・国立新美術館(2012) BL 以上のブログ(BL)やホームページ(HP)の記事を読み直してみたところ、東武美術館2-1993(イタリアルネサンス)のホームページ(HP)にティツィアーノ《羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像》の画像(↓)が、東京江戸博物館 (2004) HPにカルロ・ドルチの《聖チェチーリア》の画像(↓↓)がアップされていた。 ![]() ![]() ![]() 東武美術館での5回の展覧会については図録(↓)が残っていたので、チェックしてみた。 ![]() ・カルロ・ドルチ《聖チチェーリア》東武美術館2(1993)#26 ・ルイ・ル・ナン《祖母訪問》東武美術館3(1994)#9 HPに特記。 ![]() HPに特記。 ・フランチェスコ・フリーニ《アンドロメダ》 ・ベンジャミン・ウェスト《蜂に刺されたキューピッドを慰めるヴィーナス》 ・シモン・ヴーエ(?)《聖母子》東武美術館3(1994)#5 ・フィリップ・ド・シャンパーニュ《預言者モーセ》》東武美術館3(1994)#8 HPに特記。 ![]() ・ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像》東武美術館2(1993)#13 ・ポンペオ・ジローラモ・バトーニ《聖家族》 ・カナレット 《ヴェネツィアのフォンダメンタ・ヌオーヴェから見たサン・クリストーフォロ島、サン・ミケーレ島、ムラーノ島の眺め》東武美術館2(1993)#36 ・フランス・ハルス《手袋を持つ男の肖像》東武美術館1(1992)#23 ・レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン《運命を悟るハマン》 ![]() ・ペーテル・パウル・ルーベンスと工房《田園風景》 ・ヤーコプ・ヨルダーンス《クレオパトラの饗宴》 ・ダーフィット・テニールス(2世)《厨房》 ・フランス・スネイデルス《鳥のコンサート》 ・ピーテル・デ・ホーホ《女主人とバケツを持つ女中》 ![]() ・バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《幼子イエスと洗礼者聖ヨハネ》 ・バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《羊飼いの礼拝》東武美術館5(1996)#40 ・バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《受胎告知》東武美術館5(1996)#42 ・アントワーヌ・ヴァトー《困った申し出》東武美術館3(1994)#29 ・ジャン=バティスト・シメオン・シャルダン《食前の祈り》 ![]() ・トマス・ゲインズバラ《青い服を着た婦人の肖像》 美術散歩 管理人 とら #
by cardiacsurgery
| 2017-05-10 11:50
| 国外アート
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by cardiacsurgery
| 2017-05-09 07:35
| アート一般
長い連休最終日の日曜美術館は「器のむこうに人がいる~茶の湯が生んだ至高の美~」だった。
以下が、番宣。 信長、秀吉、家康…天下人をはじめ、多くの人たちを魅了してやまない茶わん。茶を飲む器が、なぜ人々を夢中にさせる? その秘密を名品と時代のつながりからひもときます!自宅で茶道教室を開いている家内は、熱心にメモを取っている。 私は、気楽に見ていたが、そのうちに落語家の春風亭昇太師匠が登場した。 彼の好みの茶碗「三好粉引」は、私の好みでもある。釉薬が掛かっていない場所が、剣を交叉しているように見える。 ![]() 大阪府大東市にある「河内飯盛城址」は、大阪府最大級の戦国時代の山城で、戦国大名・三好長慶の居城だった。 ![]() 【参考】三好当主 o三好長慶(1522-64 阿波芝生城→摂津越水城→摂津芥川山城→河内飯盛山城) o三好義興(1542-63 長慶・嫡男 摂津芥川山城) o三好義継(1549-73 長慶・甥 河内飯盛山城→河内高屋城→河内若江城) 三好一族は、三好政長・三好長慶・三好義賢・安宅冬康・三好康長・松永弾正久秀らで、「佗茶」を実現した武野紹鷗(1502-55)に師事した。 三好長慶が愛用した「三好」の名を冠する高麗粉引茶碗の「粉引」とは、白い粉が吹き出したように見えることによる。鉄分の多い黒褐色、砂混じりの淡褐色の素地に白泥をずぶ掛けし、全面に白化粧した上に薄く透明の釉薬を掛けたもので、李朝初期から中期に全羅南道で焼かれたという。 「応仁の乱」(1467‐77年)から戦国乱世にかけて8代足利将軍義政が収集していた「東山御物」は戦国大名家に流出したが、その多くを京畿を支配していた三好一族や堺の会合衆が手にした。三好長慶の父・元長は1527年から5年間「堺幕府」(堺政権)を樹立していた。それらが織田信長の「名物狩り」で信長の手に渡り、天下支配の権威として利用された。 河内飯盛城想像鳥瞰図(山本書院グラフィックスより)2016年2月28(日)その飯盛城のある大東市民会館キラリエホールで、「昇太師匠と中井教授の飯盛城 落語と城トーク」が開催され、城の関連書籍なども執筆されるほどの大の城好きの人気落語家 春風亭昇太師匠も参加されたとのことである。 ![]() 【追記】「茶の湯の歴史」は東博のジュニア・ガイドによく書けている。その概要は以下のようである。 ・鎌倉時代のはじめ:中国から伝わったお茶は薬として飲まれていた。将軍・源実朝が二日酔いになった時、禅僧・栄西(1141-1215)が茶を勧めた。 ・鎌倉時代のおわり:禅宗寺院では儀式としてお茶を飲み、武士たちはステイタスとしてお茶の産地を当てる「闘茶」などを楽しんだ。 ・室町時代①:室町幕府の将軍は茶の湯に親しみ、中国から最高級の美術品を取り寄せて室内を飾り、お茶を楽しんだ。特に足利義政(1436-1490)は高級美術品コレクションを有していた。 ・室町時代②:京都を中心に有力な商人たちの間で、中国の高級な美術品ではなく、身近にある日常のうつわをとりいれた「侘茶」が誕生した。珠光(1423-1502)曰く「シンプル・イズ・ベスト」 ・安土桃山時代①:織田信長や豊臣秀吉らの武将たちは、茶湯道具を戦で手柄を立てた家臣への褒美に用いた。武士にとって茶湯道具は財力と権力の象徴でもあった。 ・安土桃山時代②:堺の商人・千利休は自分好みの道具を作りだし、「侘茶」の新しいスタイルを生み出した。千利休(1522-1591)曰く「花は野にあるように」 ・江戸時代:初期には、大名たちのための新しいスタイルの茶の湯を広めた古田織部や小堀遠州、後期には茶湯道具コレクションが後の時代に影響を与えた松平不昧などの大名茶人がいた。松平不昧(1751-1818)曰く「客の心になって亭主をせよ」 ・明治時代:藤田香雪・益田鈍翁らの実業家たちは、かって大名が持っていた茶湯道具を集め、伝統を重んじつつ、新しい時代の茶の湯を作り上げた。益田鈍翁(1848 -1938)曰く「楽しんでこそ、上手なれ」 益田鈍翁の茶室が東博に寄付され「応挙館」として活用されているが、ここでお茶を頂いたことがある(参照)。 円山応挙の襖絵のある応挙館の茶室は、御殿山にあった時に益田鈍翁が「三十六歌仙佐竹本」を切断してしまったという曰くつきの部屋である。 床の間の画は松が主体で竹と岩もあった。花は蕾の桜・シャガ・椿、次の間の画は鴨が主体で葦もある。 ![]() ![]() ![]() #
by cardiacsurgery
| 2017-05-08 11:58
| 国内アート
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