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小林一茶「おらが春」
月蝕皆既亥七刻右方ヨリ缺、子六刻甚ク丑ノ五刻左終 人數は月より先へ缼けにけり 1月31日午後10時過ぎにラジオが「皆既月食」が見られると叫んでいたので、デジカメを持って庭先に出た。 確かに「赤い月」とその前に漂う雲が写っている。 ![]() 2018年1月31日の皆既月食はかなりの好条件が整っている。 【2018年1月31日 20時48分頃】:部分食がスタート 【2018年1月31日 21時51分頃】:皆既食がスタート 【2018年1月31日 22時30分頃】:皆既月食が最大 【2018年1月31日 23時3分頃】:皆既食の終わり 【2018年2月1日 0時11分頃】:部分食の終わり 次に日本で全国的に皆既月食を見ることができるのは、2022年11月8日。 【参考】スーパー・ブルー・ブラッドムーン ・「スーパームーン」=「月が地球に接近した際に見える月」 ・「ブルームーン」=「当月2度巡る満月」(青い月ではない) ・「ブラッド・ムーン」=「皆既月食」(月が赤く見えるから) 2018年1月31日の皆既月食は、この3つのミラクルが35年ぶりに重なった「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」 【参考】皆既月食の連続写真(Wikipedia) ![]() ■
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by cardiacsurgery
| 2018-02-01 21:06
| 講演会
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![]() 以下は、2018年1月11日(木) 午後8:00~9:00に、NHK BS プレミアムで放送された「英雄たちの選択 女たちの江戸無血開城」の資料である。 【番組要旨】江戸の街が戦火に包まれることを防ぎ、徳川を守ることにつながった江戸城無血開城。この歴史の大転換点において、大奥にいた和宮と篤姫が果たした大きな役割を探る。この時期、将軍だった徳川慶喜が朝敵とされていたため、江戸城の実質的な主は、篤姫や和宮となっていて、二人に重責がのしかかっていた。番組では、徳川の宝・篤姫と和宮の美しい着物や、貴重な直筆の手紙を撮影するなど、見どころ満載で二人の実像や活躍に迫る。 【司会】磯田道史、渡邊佐和子 【出演】宮崎哲弥、林真理子、山本博文、中野信子 江戸への旅の途中での皇女和宮の歌 ・当初「住み馴れし 都路出でて けふいくひ いそぐもつらき 東路のたび」 ・途中「惜しましな 君と民とのためならは 身はは武蔵野の 露と消ゆとも」 京の将軍・徳川家茂への手紙 ・篤姫:京でのご滞在が長くなり、心配しております。よく後先を考え、何事もうかつになさいませんようにお気を付けください。 ・和宮:京の都はいかがでございましょう。 お慣れではない土地ゆえ 寒さもひとしおお厳しく思われることと存じます。ずいぶんとずいぶんとご用心なされますように。 将軍・家茂急逝時の和歌 ・和宮:「空蝉に 唐織ころも なにかせん 綾も錦も 君ありてこそ」 岩倉具定宛「和宮哀訴状」 ![]() ![]() 存候とて女之私共天朝江御直に御詫申上候も行届問敷と、既に日光御門主江ひたすら欺き入候處、御同人も御同意御心配之折柄、取敢ず御詫として、過日東海道江向ケ御出立候へ共、迚も其方々々之御取扱ならでは相叶ひ申間と存候故、私事一命にかけ是非是非御頼申候。 畢竟私事當家に嫁し付れ候も、御父上之深き御思慮ましましての御事にて、恐れながら神祖之御骨折御恩澤を厚く思召され、天下泰平徳川家安全を御斗ひ、萬々一之儀御座無様御力を添させられし御含みに而、右等の御趣意は御承知も有之候通り申迄も無儀に付、かゝる當家之難儀を何とか御支へ様も有之間敷哉、尤朝敵などと申由にては天帝之御逆鱗申上候迄も無之、其御方にても御取扱之程嘸々御當惑之次第と察し入侯まゝ、當人はいか様天罰被仰付候ても是非に及ばざる事にて候へば、元より御歎き可申様も御座無事に付、是は可然御心得、只々徳川之儀は大切の家柄、此段幾重にも御組分、何れにも徳川家安堵致候様御所へ御取成之程折入而御頼申候。 私事徳川家へ嫁し付候上は、當家之土となり候は勿論、殊に温恭院ましまさず候へば、猶更同人之爲當家安全を祈候外御座無、存命中當家萬々一之事出來候ては、地下において何之面目無之と、日夜寢食も安んぜず、悲歎致居候心中之程御察し下され、兎に角此度之事御取扱下され候はゞ、私共一命相すくひ被下候よりも猶重く有難き事、此上の悦御座無候。 當時之形勢と申、人情と申、外諸侯において御頼程之きりやう之者も御座無、又可盡力も無之候得ば、御迷惑ながら其御方のみ相便り候外工夫も御座無候に付、呉々厚く御憐み被下、此艱難を御赦被下候はゞ□□其御先祖様御父様之御孝道は申に及ばず、徳川家へ之義も相立ち、御武徳御仁心此上なき義と存ぜられ候。 是非共是非共此御頼御聞濟下され、徳川家無事に相續相叶候様御取扱之程、偏に偏に御頼申候。修理大夫殿大隅守殿江おたのみ申入候筈ながら、火急の場合遠路間に合不申まま、其御方へ御頼申入候まま、宜しく御組取御承知被下候様に、何分にも厚く御頼由入候。急ぎ大亂筆宜敷御組とり被下候、めで度かしく。 美術散歩 管理人 とら ■
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by cardiacsurgery
| 2018-01-12 14:27
| 講演会
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これは毎年開催されている白隠フォーラムだが、今回は展覧会にあわせた内容で、白隠禅画の面白さを読み解くイベント。これに参加してきたのでメモを残しておく。
日時は2013年1月30日(水) 13:00~17:00、会場は学士会館。 こんなに満員になったのは今回が初めてだとのこと。 ![]() 1)アラン・スペンス(作家、アバディーン大学教授)「白隠と私」: スライドに和訳を出しながら英語で話されたので理解しやすかった。 自分はヒンズー教のSri Chinmoy師の下で瞑想を行ってきていた。 白隠との関係は、彼についてのオペラを書いたことから始まっている。 その後、白隠に関する小説を書くために、日本に取材旅行に来たことがあり、その時にノーマン・ワデル教授や芳澤勝弘教授と知り合いになり、自分の「白隠コネクション」ができた。そして白隠の《達磨》や《橋の上の盲人》などの禅画に興味を持つようになった。 そこへNYでジャパンソサイアティの白隠展が開かれることを知って格安航空券を手に入れて見に行ってきた。この展覧会で完全に白隠の禅画のとりこになった。 渋谷の展覧会に出ている《巡礼落書》、聴覚詩の先駆ともいえる《兼好法師》、文字絵《渡島天神》、メビウスの環のような《布袋》などの面白い遊びの表現によって衆生済度を目的としたもの、すなわち示現manifestationであるといえる。 2)ベッカー・ヤン・クレメンス(テュービンゲン大学アジア地域文化研究所日本学科研究員、花園大学国際禅学研究所研究員)「白隠の楊柳観音を読み解く」: 禅の内容に深く入り込んだ話であり、白隠の文章をそのままスライドで出されたので、難解なプレゼンテーションだった。 黒バックの《楊柳観音》には、4つのシンボルがある。 第1は足元の「波」で、これは人間の第7番目の意識と第8番目の意識を連関させた禅における古典的なシンボル。 第2は光輪として表されている「鏡」で、菩薩の意識を象徴し、「大円鏡光」と関連している。鏡が黒色なのは、「大円鏡光」は黒漆のようだという白隠の文章に繋がっている。 第3のシンボルは「観音菩薩」。鏡を壊し大乗円頓の菩薩となることに関連。 第4のシンボルは「梅の花」。これは天神すなわち道真の象徴。天神は中国から正統な禅を日本にもたらしたとされている。天神の使いである「丑」の年・月・日・時に生まれていた白隠は自分を天神の生まれかわりだと考えていた。 3)横田南嶺老大師(円覚寺管長)「白隠禅師について思うこと」: ![]() 白隠は11歳の時に地獄の話を聞いて仏門に入ったのであるから、地獄が白隠の道を求める師匠であったともいえる。 「地獄に気付いた人は少なく、地獄を自覚した人はさらに少なく、人のために地獄に下った人は稀である」と云われている。 白隠は当時の一般人の地獄のような苦しみを見るに見かねた文や画を作っているのであるが、白隠自身は24歳で悟りの境地に入り、さらに42歳時に法華経を読経中、コオロギの声を聞いて「自分だけではなく、苦しみ悩んでいる人を救わねばならない」と大悟した。その時に白隠が詠んだ歌は↓。 衣やうすき 食やとぼしき きりぎりす 聞きすてかねて もる涙かな白隠が正受和尚から聞いた役人の話が紹介された。和尚に向かって「あなたは地獄に落ちることはないでしょう」と訊いた役人に対して、和尚は「私が地獄に落ちなければ、誰があなたを助けるのでしょう」と答えたということである。 また、白隠の弟子の東嶺が子供の時に地獄の絵を見て、将来は地蔵菩薩になって子供を救いたいという話を東嶺から聞いて、東嶺和尚のほうが自分より優れていると思ったとのことである。 白隠は、正受老人から法華経の請願を実践することを勧められ、本来一人一人が仏である民衆に、仏の教えを知ってもらうように努力した。 そして、白隠自身が「地獄に落ちて、地獄の中で菩薩となって人々を救済しよう」と考えたのである。 《南無地獄大菩薩》の意味は、苦しい地獄の中にまことの菩薩がいるということであり、「南無」というのは、「南無帰命」と唱えるように「一体化」という言葉で、白隠自身が地獄と一体化するということなのである。 現在の僧の中に本当の宗教者は何人いるであろうか。自殺を試みる人や震災を受けた人の苦しみの声をどれほど聴いているであろうか。書や画だけを見ていたのでは、本質を見失う。月を指す指を見ていても、月が動いては何もならない。今、白隠がいたら、何を描いていたであろうか、また何を訴えたであろうかということを考えなければならない。 現在、白隠は大本山にもいない。彼は500年に一度の存在と云われている。「ここに白隠はいます!」と名乗り出てくれる人はいないであろうか。 4)芳澤勝弘(花園大学国際禅学研究所 教授)「白隠禅画の面白さ」: 渋谷展の総括と今後の方向を話すという前置きで話し出された。 今回の展覧会には期待以上の反響があった。これは、渋谷という場所と共同監修者の山下先生や文化村の女性たちという人材が化学反応を起こして現代に訴える展示となったからで、宗教色の強い京都ではかえって陳腐なものになったであろう。 文化村には若い人が来ている。Twitterにはさまざまな意見が載っているが、自分はこれらの意見を、「展覧会とはなにか?」、「美術を観るとは何か?」ということを考えながら読んでいる。 白隠の画は、「見」て、「感」じて、「読」んで、「考」えてほしい。なぜなら白隠の作品は、画と賛で出来ているからである。 《すたすた坊主》は「カワイイ」とされ、ネットの中のアニメで走り回っているが、慶応大学生の「ピップポップ・バンド 54-71:Preprizeのカバー2001年」のCDのジャケットにもなっている。このラップのリズムは《すたすた坊主》の賛のリズムと共通している。 《雷神図》の雷神は目の大きな白隠の顔。前に畏まっているのは、百姓代表の庄屋。雷神が持っている庄屋の頼み状には、雲や風と協同して雨を降らせてくれと書かれている。 庄屋の着物には「福」すなわち「幸」の文字や白隠のマークである梅鉢文が染められている。この白隠漫画は白隠劇場であり、その監督が白隠であり、白隠自身がいろいろな人物や梅鉢文としても登場している。 《布袋吹於福》が登場した。ただし文化村出展のものとは異なるバージョンの画で、オランダの個人蔵のものである。 キセルは白隠の化身である。9世紀の布袋の時代にはタバコは存在していないからこの布袋はタバコ好きの白隠自身である。 お多福は現在では不美人であるが、アメノウズメノミコトの時代には美人。室町から江戸時代にかけては、美人と醜女の両方の意味で使われた。白隠は、このような両義が得意で、この於多福は美と醜の両方を併せ持っている。 「寿」という字は長命。福禄寿とくれば幸・金・命という贅沢な望みである。この賛も説明された。酒の入った徳利の傍に「道楽通宝」という銭も描かれている。 今回Bunkamuraに出ている《布袋吹於福》を愛媛県大津市博物館の人に見せてもらったときは本当に嬉しかった。 この画の左右の煙は繋がっていない。これは画が大きすぎたので、左幅の下部と右幅の上部を切り詰めたためである。 有名な萬壽寺の《半身達磨》も切り詰められているし、永明寺の《半身達磨》のオリジナルの賛のあった上部は切り取られ、左上に別人の賛を入れ、バランスをとるために上部に白紙を継ぎ足している。 《渡島天神》は今回の展示品中、最大のものであるが、これは白木屋呉服店の大村屋という豪商が注文したものだったから、この大きさでも入ったのだが、選佛寺に移った時には、天井の工事が必要だったとのことである。 このような大きな作品は、白隠のあふれるエネルギーの発露なのである。 パネル・ディスカッション: 芳澤教授(モデレーター): 聴衆からの質問が3つある。まずは「アラン・スペンス氏のオペラはどういう内容のものか?」という質問。 スペンス教授: オペラは15分程度の短いもので、夜にアザラシの声を聞いて、それをメロディにした。オペラのメッセージは「慈悲」ということである。 芳澤教授: スペンスさんは白隠をテーマにした小説を書いておられ、間もなく刊行の予定です。そのタイトルは「夜の船」。白隠も「夜船閑話」(やせんかんな)を書いているが、これは京都に行ったことがないのに書いたフィクションで、「白河はどうでした」と訊かれて、「夜船だったのでよく分からなかった」と答えている。 白隠は物語好きで、自伝も物語であり、人を励ますためにフィクションを取り混ぜている。白隠は小説家であり、小さな話を集めた「布鼓」には、井原西鶴以上の悪性の嫁姑の話を残している。すなわち白隠は「表現者」だったのである。 芳澤教授: 「悟りとは果てしないものか?」という質問が会場から来ています。 横田管長: (しばらく間をおいて)悟りとはよく分かりません。 芳澤教授: 「白隠禅画に立体感を感じるのですが?」という質問が来ていますが、これは会場に居られる山下教授お願いします。 山下教授: 白隠の画には、「立体感」というよりも「奥行」がある。 芳澤教授: 白隠の軸中軸の画では、軸の後ろにいる人、軸を見ながら白隠の説法を聞いている人など一種の「次元」を感じさせる。ちなみに、提示した軸中画は謡曲の内容を踏まえているもので、これを貰った人は分かっていたのだろうが、持ち主が替わるたびに最初のメッセージが分からなくなっていく。 会場からの質問: 清梵寺の《地獄極楽変相図》の上段・左に描かれたのは誰ですか。 芳澤教授: あれは清梵寺の和尚。上段・右は白隠だと思う。 芳澤教授: 会場の皆さんに伺います。「白隠フォーラムに今回初めて参加された方は挙手してください」 会場の聴衆: 約半数が手を挙げた。 芳澤教授: では、「今回初めて白隠を知った人は?」 会場の聴衆: 挙手数名のみ。 ![]() 同様に机に向かう観音図《十界図》が永青文庫にあり、そこでは衝立の山水の代わりに大円鏡が描かれていることも紹介され、《机に向かう観音像》の山水は大円鏡と同じく「心」を表しているものであるとされた。 また、この画と同じ構図の《十王図》があり、「観音」と「閻魔」は同じものの裏表であることを意味しているともされた。 ちなみに、江戸時代には、「借りる時には地蔵顔 済ます時には閻魔顔 うって変わりし也」という諺もある。 最後に、「閻魔」がルイ・アームストロングの声で”It’s a wonderful world”を唄う動画が出てきて、会場の大きな拍手を浴びた。 この動画は、まるで白隠が制作したもののように感じられたのであった。 美術散歩 管理人 とら ■
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by cardiacsurgery
| 2013-01-30 23:44
| 講演会
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![]() ![]() Takさんはフェルメールの衣装に身を包み、ごあいさつ↓、そして今回の本についての楽しいプレゼンテーションやサインなどてんてこ舞いの忙しさ。 ![]() ![]() 第2位: 絵画芸術 @ウィーン 第3位: 天秤を持つ女 @ワシントン この結果は、参加者のレベルの高さを物語っている。「関係者は頑張ってほしい」というTakさんの言葉を拳々服膺してもらいたいものである。 ところで、Takさんとは7年越しの付き合いである。これは、美術散歩ホームページの伝言板に「ドレスデン美術館展」へのお誘いがあったことに始まる。まったく初めての顔合わせだったので、私の「青い帽子」、Takさんの「青いシャツ」を目印に西美で初対面し、その後でOFF会なるものに初参加した。今回は、その時のHP記事をプリントアウトしてYukiさんに渡してきた。 Takさん、Yukiさん、おめでとうございました。益々のご発展を期待しています。そしてお手伝いの皆さん、有難うございました。 美術散歩 管理人 とら ■
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by cardiacsurgery
| 2012-03-04 10:44
| 講演会
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![]() 随分と飛んだタイトルである。これはこの博物館の岩崎均史氏の発案とのことで、若くて真面目そうな講師にはちょっと迷惑だったようだ。 ![]() 定義は「豪壮な邸宅の内外で遊楽に興じる人々を描いた絵」であり、邸宅は仮想のもので、遊里をモデルとしている。風俗図の描写対象が、次第に屋外から屋内へと変化していったものである。 2.近世初期風俗画における邸内遊楽図の位置 近世風俗画を概観すると、室町時代末期に土佐派や狩野派の「洛中洛外図」や「月次風俗図」にはじまり、桃山時代の狩野派や長谷川派の絵師による「名所行楽風俗図」や「祭礼図」に続いて、「騎馬図」、「厩図」、「犬追物図」、「鷹狩図」、「蹴鞠図」、「職人尽図」が出てくる。 江戸時代初期には町絵師による『慶長風俗画』となるが、これには「南蛮屏風」、「中国風俗画」、「西洋風俗図」に続いて、「野外遊楽図」、そして「歌舞伎図」、「四条河原図」、「邸内遊楽図」が登場する。興味の中心が「屋外から屋内へ」移ってきたのである。 三代将軍家光の時代の風俗画は、『寛永風俗画』と呼ばれ、「室内遊楽人物画」、「誰ヶ袖図」、「舞妓図」、「寛文美人図」が含まれる。画題の中心が、「人物群から個々の人物へ」という流れが出てきている。 そして元禄年間には、浮世絵師が登場し、寛文美人図は「浮世絵美人画」に移行していく。 3.邸内遊楽図の作品群と展開 スライドによって、沢山の邸内遊楽図が紹介され、細部にわたる解説がなされた。一つの群について複数の作品がでてきたので、残念ながら、それぞれの群の特徴の説明がぼやけてしまっていた。 ここでは、群別に作品の名前だけをあげておく。 1.相応寺屏風、大阪市立美術館本、個人本美術散歩 管理人 とら ■
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by cardiacsurgery
| 2008-11-12 22:16
| 講演会
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以前の安井賞や今回の損保ジャパン東郷青児美術館大賞の受賞者であり、現在多摩美術大学の教職にある画家。ご本人のギャラリー・トークに参加しててきた。
![]() ↑のポスターの今回の受賞作《天と地と》は、パリのセーヌ河岸の風景の上に、お嬢さんの大きな姿が描かれている。右手を伸ばし帰って来た巴里に久闊を叙しているところだとのことである。 150号の大きなキャンバスに「毬シリーズ」、「少女シリーズ」そして最近の「風景画シリーズ」まで大津の画歴を辿ることができた。 大津氏のギャラリー・トークには熱が入っていた。彼の作品に流れる家族愛と絵画教育対する熱情がよく伝わってきた。その概要はホームページにアップした。 美術散歩 管理人 とら ■
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by cardiacsurgery
| 2006-12-16 21:04
| 講演会
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![]() 国学院大學の講堂で聴いた。 とてもハイレベル。 忘れないうちにとホームページにメモを書いた。 聴講された方で、このメモに間違いがあれば指摘していただきたい。 やや高踏的で難解なところもあったが、文責は「とら」である。 美術散歩 管理人 とら ■
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by cardiacsurgery
| 2006-11-12 16:23
| 講演会
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![]() ホワイトボードにすばやく漫画を描きながら、当意即妙の滑らかな弁舌。たまたま知っている場所も少なくなかったので十分楽しめた。 買ってきた本に収載されている24枚のポストカードをもう一度眺めてみた。初めのうちは絶好調であるが、次第に息切れしてきている? このように才能に恵まれたアーティストの一層の奮励努力を期待しつつ、講演会メモとショート・コメントをホームページに書いた。 ![]()
![]() サインを貰っているとら→ (撮影 Takさん) 美術散歩 管理人 とら ■
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by cardiacsurgery
| 2006-11-05 16:32
| 講演会
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以前にワイエスの展覧会や美術鑑賞会に行ったときにお願いしておいたので、丸沼藝術の森から毎月の美術鑑賞会の案内が来る。今月は↓の案内がきた。この案内状をみると「藤田嗣治の作品を数点展示」するとなっている。ところが実際に参加してみて驚いた。
![]() 続いて、オーナーの須崎勝茂氏の挨拶、舟橋ギャラリーの橋場勝一氏の藤田嗣治に関する講演があった。これらの作品を購入した須崎氏とこれを売った橋場氏との掛け合いもあり、面白かった。内容はホームページに書いた。 終わってお茶とおにぎりの簡単なランチ。鑑賞会・講演会を含め700円だから安い。 現在フランスやアメリカで活躍している村上隆もこの「丸沼藝術の森」の出身で、たまたま今日は丸沼に来ておられた。 ![]() いずれも須崎勝茂氏の美術に関する社会貢献のお陰である。 美術散歩 管理人 とら ■
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by cardiacsurgery
| 2006-10-14 20:55
| 講演会
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![]() 展示を一通り観たところで、鑑賞会が始まった。まずオーナーの須崎勝茂社長からこのコレクションについての説明があった。ワイエスの「オルソン・シリーズ」への2度の出会い、ワイエス夫妻との面会と画集への二人の署名の話も興味があったが、一番感動的だったのは彼が「美術品は自分が預かっているだけだ」ということを強調され、そういう見地に立ってコレクションを公開していると話されたことだった。 続いて、わが国のワイエス研究の第一人者である中村音代さんからレクチャーがあり、展示作品についてのギャラリートークがあった。一応会が終わったところで、われわれ4人は中村さんにいくつもの質問をしたが、一つ一つに丁寧に答えていただいた。さながら課外授業だった。詳細はホームページに書きました。pdfファイルはこちらです。 ![]() コレクターとしてはまったくメリットがないこの制度に文化庁から頼まれて協力したのに、もう1点のコローを明るすぎるという理由で文化庁が承認しなかったとのことである。一部の委員からニセモノの可能性があるという意見が出たことが真の理由らしい。 このひと月1回の研究会のテーマについては案内状が来ることになっているので、情報が入り次第、ネットでお知らせしたい。 茅葺き屋根の「かつみや」で昼食をとった。これは古いが非常に貫禄のある立派な建物だった。聞いてみると、須崎家を移築したとのことである。それで納得! そこでワイエス・ランチを頂いた。デザートの中味がオルソン家でたくさん採れるブルーベリーなのである。 美術鑑賞会の成果が予想以上だったのでホットした。 美術散歩 管理人 とら ■
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by cardiacsurgery
| 2006-05-27 19:49
| 講演会
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