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2006年、東京国立近代美術館で、藤田嗣治の大規模な回顧展が開かれた。学生時代の自画像、パリの風景画、乳白色裸体画、中南米・日本での色彩画、戦争画、日本を離れた後の宗教画・児童画など藤田の画風の変転を追ったものであった。
とくに藤田の日本における活動については、フランスのおける活動との間に連続性を求めることは困難で、いろいろな議論がなされたことは記憶に新しい。 今回の展覧会は、この日本での活動を棚上げにしたものである。藤田の年表からもこの時代を欠落させている。その意味で、日本国籍を捨ててフランス人となってしまったFoujita展である。 厳しい著作権管理で有名な画家なので、自分で撮った写真以外は展覧会のサイトにリンクするだけとする。↓は宇都宮美術館入口のポスター。 ![]() ![]() 第1章「初期、そしてスタイルの確定」には、エコール・ド・パリ時代の穏やかな「乳白色裸婦」が、沢山出展されていたが、大部分は国内にあるもので、以前に見たことのあるものが多い。 第2章の「群像表現への挑戦-幻の大作とその周辺」は、前回の回顧展に出ていた《ライオンのいる構図》とほぼ同時の1928年に制作された《犬のいる構図》、《争闘Ⅰ》、《争闘Ⅱ》も加わって、全体として3x12メートルの巨大画面となって、観る者を圧倒してくる。宇都宮の会場は空いていたので、ほぼ独占状態でこの画面に立っていることができた。 乳白色の人物が多数描かれているが、筋肉隆々としたミケランジェロ的な男性像が多い。全体として、一体何を描いているのだろうか。「戦争と平和」の象徴ではなかろうかという説明があったが、どうもそのようには思えない。藤田が良く描いている「猫」にも、荒々しい猫と穏やかな猫があるように、ここでは「人間の持つ荒々しさと穏やかさ」を対比させているのではないかと思った。 とてつもなく大きな画というだけで、人物たちのまとまりがなく、あまり感動が伝わってこない。回顧展の時の「芸術新潮-特集 藤田嗣治の真実」には 「そもそも1920年代の藤田の繊細なスタイルでは、大画面のダイナミックな動きは描けなかったんです。そういった行き詰まりもあって、南米に向かうことになったのだと思います。」という清水敏男氏の解説が載っていた。納得! またこの大作は、バロン薩摩がパリに建てた日本人学生会館の壁画用に藤田に制作を依頼したものであったが、この作品の下絵の取り扱いをめぐって、両者が対立し、結果的に壁画制作の契約が一旦取り消しされるという事態に発展したいわくつきの作品である。今回は、問題の下絵も出ていたが、これは少数の人間が描かれたものであるため、藤田の巧さが発揮されている。 藤田が納税のために、1929年に日本で展覧会を開いた際にこの大作の一部を持参したことがあるが、結局、この大作には買い手がつかず、1931年にユキと別居し、マドレーヌ・ルクーとブラジルに旅立つ際に、ユキに与えたとのことである。 ユキは、これを倉庫に預けて管理し、1956年に藤田がパリに戻った時に、正式に藤田に返還した。藤田はこれをそのまま倉庫に眠らせておいたのだが、1992年になって君代夫人のエソンヌ県議会への作品寄贈をきっかけに、倉庫で発見されたのである。そして修復されたものが、今回展示されているのである。藤田自身、今回の展示を本意としているかどうかは分からないように思う。 第3章「ラ・メゾン=アトリエ・フジタ-エソンヌでの晩年」には、最晩年を過ごした自宅兼アトリエの内部が模型として再現されている。ランスの教会壁画のフレスコ習作がアトリエの中心となっており、印象的である。 第4章「シャペル・フジタ-キリスト教への改宗と宗教画」は、フランス人となった藤田のたどり着いたところである。藤田が装飾のすべてを手がけたランスの「平和の聖母礼拝堂」の壁画やステンド・グラスはとても美しい。 一方、パリ市立近代美術館蔵の《黙示録》は、あの凄惨な戦争画を思い出させる。児童画にしても、憎らしげな子供が沢山描かれている。 年齢や国籍が変わっても、藤田のなかに存在する別人のような「荒々しさ」と「穏やかさ」が、極端な形で表れてきているように思われる。こういった二面性は、多かれ少なかれすべての人間が持っているものなのかもしれないが・・・。 ![]() 美術散歩 管理人 とら HP
by cardiacsurgery
| 2008-11-05 21:41
| 国外アート
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