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久し振りに池上英洋先生のギャラリートークに参加した。イタリア美術の専門家から直接に話を伺える好い機会を逃すわけには行かない。
本日は、両国で浮世絵、上野で琳派、そしてその後新宿でジョットだから、われながら見境がないが、その点は乞ご容赦。 このギャラリートークは、mixiのコミュニティ主催で、参加条件は「ブログに感想を書くこと」となっている。他の参加者が詳しく書かれると思うので、今回の私の記事はつまみ程度とさせていただく。池上先生、ごめんなさい。なお、この展覧会は一人で初日に見に行っている。そのときの記事はこちら。 「池上英洋先生: ジョットとその遺産展 ギャラリートーク」のメモ (文責 とら) ● ジョットについて: ジョットは、フィレンツェ生まれだが、アッシジ、ローマ、リミニ、パドヴァ、ナポリ、ミラノ、フィレンツェなど各所で制作している。もちろん弟子のダッディやガッディは同行したのだろうが、それぞれの場所で工房を作って制作しているということが重要である。これによってルネサンスの先駆けであるジョットの画法がイタリア各地に拡散したのである。 頂いたプリントの最初に、ダンテの神曲の一節がイタリア語で紹介されていた。「ジョットのためにチマブーエの名声がかすんでしまった」という意味のようだ。そしてウフッツイにある両者の聖母子(ジョット↓)の画像が紹介される。私も実見しているが、確かに大違いである。今回の目玉作品であるジョットの《聖母子》(聖セテファーノ・アル・ポンテ聖堂附属美術館蔵)をみても、頬のふくらみや膝の形が巧みに描出されている。これがまさにジョット風なのである。しかしジョットの幼子イエスは可愛くない!!! 後で出てくる聖マリア・ア・リコルポリ聖堂の《 四人の天使をともなう聖母子》の幼子はとても可愛いので、工房作であるといえる。 ![]() ● 剥がされたフレスコ画について: 今回展示されているジョットの《嘆きの聖母》(サンタ・クローチェ聖堂附属美術館蔵)の前で、フレスコ画制作についてのトークを聞くことができた。このフレスコは、1966年の洪水で衣服の絵具が流失し、シノピアという下絵の線だけが残っている。 シノピア sinopia というのは、フレスコ画の下書きに使われる赤褐色、オーカー調のアースカラーの絵具で、後でその上に描く画は乾かぬうちに急いで描かなければならないのに対し、ゆっくりと描けるのでシノピアの画のほうの出来が良いことがしばしばある。実例として、アッシジ修道院上堂にある Jacobo Toriti, DioCreator が描いた《イエス》のシノピアとフレスコの画像を並べて見せてもらったが、断然シノピアのほうが優れている。 こういった下層の淡彩の画のことをグリサリア glisaille ともいうらしい。マンテーニャが、これを得意としたとのことであるが、Wikipediaを引いてみると、Giotto used grisaille in the lower registers of his frescoes in the Scrovegni Chapel と記載してあった。 またジオルナータ giornata という言葉についての説明もあった。フレスコでは漆喰と絵具が化学反応を起こして画として固定されるのであるが、漆喰の水分のあるうちに描かないといけないため、一日に描ける面積には限界がある。この面積をジオルナータという。そうするとジオルナータの辺縁では重なり合うので、どちらが先に描かれたかを知ることができる。こういったことを研究している学者がそれぞれのジオルナータに番号を付けている。プリントで見せてもらったが、頭部が#145、体幹が#148、右手が149、左手が#150といった具合である。学者は大変な商売! ● 聖フランチェスコについて: ジョヴァンニ・ディ・ベルナルドーネ Giovanni di Bernardoneという難しい本名がもらったプリントに書いてある。調べてみると、フランチェスコとは「フランス風」の意味で、織物商人であった父親が仕事上フランスに関係があったことから、母親がすでにつけていた洗礼名(ジョヴァンニ)に満足せず、彼につけたということのようだった。 西欧中世の盛時の2世紀後半(1181/1182年)に、アッシジで出生。1200年ごろ、ペルージャとの戦いに参加するが、敗れて捕虜となっている。 1206年にポルツィウンコラで啓示を受け、1209年に、11人の弟子とともにローマに赴き、教皇インノケンティウス3世から修道会「小さき兄弟会」の設立の認可を得た。当時は、キリスト教内部の腐敗に対する批判として、多くの信仰復活の運動がローマによって弾圧された中で、フランシチェスコ修道会が例外的に教皇から承認されて発展したのは時代の流れとはいえ、まことに幸運だった。 1212年には、弟子の聖キアーラが女子修道会を発足させ、1219・20年には東方伝導に出かけている。1924年には、手足と脇腹にイエスと同じ聖痕が現れたと伝えられている。 1226年に死去し、わずか2年という短い審査期間の後、1228年に列聖されている。これは当時全欧州に1100の修道院を持ち、2万以上の会員を擁するフランチェスコ修道会を無視できなくなったものであり、事実同年にサン・フランチェスコ大聖堂の建設が開始されている。 ● 一口メモ: 1.ジョット工房の《ピエタ》: これは金箔を貼って掻き絵をほどこしたガラス作品で、今回の目玉作品である。ここでマリアが胸をはだけているのは「悲しみの表現」! 2.ジョットの弟子: ダッディのヴァチカンの《聖母子》↓やガッディ(左)・ジョット(右)のサンタ・クローチェの祭壇画↓↓などについて、説明があった。また今回出ているダッディの《携帯用三連祭壇画》は本当に素晴らしい。 ![]() ![]() 4.受難の象徴としての「ひわ」: キリストの冠の茨を抜いた時に、返り血を受け赤い斑点が付いたと考えられた。 5.画家の同定問題: これはギャラリートークではなく、ゆっくりと伺いたい大問題。 6.聖ニクラウス: 今回のロレンツォ・ディ・ニッコロ・ディ・マルティーノの5枚の板絵の一番右の聖ニクラウス、すなわちサンタクロースは手に三つの玉を持っている。持参金がないため娼婦とならざるをえない姉妹を哀れんで、金の玉を与えたとのこと。クリスマス・プレゼントの始り。 7.マゾリーノ: マザッチオはルネサンスを開いた画家であるが、彼と一緒に仕事をしていたマゾリーノは自分より若いマザッチオの描き方を見習った。今回出ている作品でも、天使の顔が描き分けられている。 一般客に遠慮しながらの小声の説明だったので、聞き間違えがあるかも知れない。遠慮なく指摘してください。すぐに修正します。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2008-10-11 13:01
| ルネサンス
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