記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
1928年、大道家に嫁ぎ、長男誕生後、美容院経営を始めた。1945年、家族とともに原子爆弾に被爆。1962年、家業を助けるため、火薬取扱い責任者の資格をとり、花火師となった。 大道が、1956年の母親の不慮の死、1966年の長男の花火事故による負傷、1967年の夫の花火工場の爆発事故死というあいつぐ苦難と悲しみを乗り越えるため、友人の勧めにより絵筆をとったのは60歳のときであった。 第一会場は、地下1階。こちらは大きな日本画が29点揃っている。 このころの絵で一番心を打つのは、1970年に描かれた《しかけ花火》↓。夜空いっぱいをおおう花火の下の水の中には、沢山の魚が描かれている。 《鬼になる日》の獅子舞、《ちちぶの夜祭》、《牡丹祭り》などは力強く、迫力がある。外国旅行の際のスケッチにもとづいて描かれた《マイエンフェルトの鈴音》(↓↓の右下)は、ハイジの世界そのものである。 彼女自身、母が入選していた女流画家協会展や院展に入選を果たし、1976年に院友となった。 3.埼玉県 越生時代(1979-2003): しかし大道は、院展へ出品する希望やみがたく、埼玉県に移った。自分で「けとばし山」と名付けた里山のふもとに居を構え、畑仕事をしながら、日本画や絵本を制作した。 この時代になると、今までのやや激しい描き方は影をひそめ、「平安を感じる」穏やかな日本画になった。《軍鶏》(↓左上)・《薬草》・《けとばしやま》・《薬草》・《海に咲く花》などなかなか良い。この時代の絵本原画としては、《けとばしやまのいばりんぼ》・《あたごの浦》・《しゃものピョートル》・《へびのはなし》が陳列されていた。 母親、丸木スマの展覧会も埼玉近美で開かれている。こちらも併せて鑑賞したい。 大道あやは、2003年、広島にもどり、現在は息子夫婦、孫たちと暮らしている。数奇な人生を歩まれたこの画家が、100歳の現在を幸せに過ごしておられることが救いである。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2008-08-27 19:32
| 国内アート
|
ファン申請 |
||