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展覧会の副題は「華麗、奇抜、斬新。世界が驚嘆する、かざりの世界」。通常の日本語では、「かざり」とは「装飾」と同義であるが、辻惟雄氏が「日本美術の一つの特色」として強調している「かざり」という言葉は、「華麗、奇抜、斬新なデザイン」という広義の意味合いを帯びている。
この言葉をキーワードとして海外で開かれた展覧会が、「日本の美術工芸は侘び寂びの精神に支配されている地味なアートのみである」という欧米人の偏見を取り払ったとのことであるが、国内において「かざり」という日本語はどういう意味で使われるべきなのだろうか。 そのことに疑念があったので、この展覧会はちょっと敬遠していたのであるが、岩佐又兵衛の《浄瑠璃物語絵巻》が出ていることを知って遅まきながら見にいってきた。 まず縄文土器の優品が現れる。これが「かざりの源流」ということである。このような奇怪ともいえる過剰な装飾は独特であり、あきらかに大陸系の弥生土器とは異なっている。日本人の遺伝子の中にこのような縄文装飾文化を造ったDNAが残っているといわれれば、反論は難しい。しかし、奇怪な《火焔型土器》↓や《王冠型土器》と穏やかな《深鉢形土器》↓↓にはかなりの差が見られている。個人的には後者が好みである。 「場をかざる」という概念は日本的である。「中世のかざり」の中では、江戸時代に《十二ヶ月床飾図巻》のようなマニュアルができているのは面白い。こうなると「かざり」はその斬新性を失って、形骸化が始まっているというべきではなかろうか。 「室内を彩るかざり」には、屏風がいくつか出ていた。中では、館蔵の《邸内遊楽図屏風》↓は、色合いが美しく、また左上隅に入浴シーンなどもあって面白かった。 「武将のダンディズム」の中では、兜にユニークなものが多いことに驚いた。中でも上杉謙信が使用したと伝えられる《銀箔押兎耳形兜》↓の長い耳は秀逸である。これを「飾り」とみるか、あるいは「威し」とみるかは見解が分かれるかもしれないが、「奇抜であればかざり」という定義には入ってしまう。 「町衆の粋・女性のよそおい」となると、落合芳幾の《婦女風俗図屏風》、小袖・振袖、櫛・笄・簪、たばこ入れ・印籠など江戸時代の大衆文化が「かざり」に裏打ちされていることが今更のように印象付けられる。 しかし、「芸能のかざり」では、舞台芸術という言葉があるだけに、西欧にも存在する「かざり」という言葉を日本だけで独占することに気がひけてくる。 「祭礼の華・風流のかざり」という最終章では、小沢華嶽の《ちょうちょう踊り絵巻》が傑作だった。先週までは屏風、今週から絵巻である。これは天保年間に京都で大流行した狂乱踊りを描いたものである。魚や動物の縫いぐるみを着たり、裸になったり、あるいは奴凧の姿をして、老若男女が踊り狂っているさまは、現在のマンガに通じるユーモアにあふれている。さらに、「平田一式飾」や「石見神楽」まで登場していたが、これらはこの展覧会になくもがなであったと感じた。ここまでくると、「かざり」と「遊び」が混線してくる。 まとめ: 広義の「かざり」は、日本においては、一定の時代、ある分野において、突出・傑出した形で出現していることは事実である。この展覧会からそのことが十分に読み取れた。しかし一方、「かざり」は日本のみならず大陸の文化や西洋の美術の中にも広く現れている。「かざり」のDNAは、日本人のみならず、人類すべてが有している貴重な遺伝子なのではあるまいか。 美術散歩 管理人 とら HP
by cardiacsurgery
| 2008-06-27 22:37
| 国内アート
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