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第4席はこのシンポジウムの監修者である石鍋真澄教授。入り口に、平凡社から出版されたストゥディオーロに関する自著が置いてあった。演題は「フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロとピエロ・デッラ・フランチェスカ」は得意中の得意の講演である。
講演は、1972年、大学4年生のときにイタリアのこの地方を訪れた思い出話からはじまった。沢山の風景写真を出しながら、自らの青春時代を懐かしむような話しぶりで、ほんとうに嬉しそうであった。 地図を見ると、ピエロの生まれたサン・セポルクロとウルビーノとグッピオは正三角形をなすという。こういう偶然の発見ですら石鍋氏を喜ばせる。 ピエロ・デッラ・フランチェスカは数学や幾何学の本を三冊も書いている。算術論・遠近法画論・五正四面体論である。これらはグーテンベルグの印刷機に発明よりもほんの少し早かったので印刷されず、写本としてのみ残った。レオナルドは、ルカ・パチョーリに数学を習っているが、ピエロが遠近法論を書いていたので、自分では遠近法の研究をすることはなかった。 この本の一つにピエロはフェデリーコに対する献辞を書いている。ウルビーノは数学的人文主義ともいえるのであった。ピエロはフェデリーコより10年早く、サン・セポルクロで生まれ、10年遅く死んだ。 その後、ピエロの有名な3点の画についての解説に話が移った。 講演後の聴衆からの質疑応答や討論はものすごく活発だった。その主なものをあげると下記のようである。 1.フェデリーコのアートに対する具体的貢献は何か。正直いって、パネリストもたじたじ。聴衆の深い造詣を再認識した。 美術散歩 管理人 とら HP
by cardiacsurgery
| 2008-04-08 21:26
| ルネサンス
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