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私が西洋絵画に接するようになったのは、父や伯父に戦後まもなく開らかれたマティス展やルオー展に連れていってもらってからである。辻惟雄氏の「日本美術の歴史」の416-7ページにもこれらの展覧会のことが記されている。とくにマティス展については、「マティスの作品が羽田空港で荷解きされたとき、立ち会った関係者のなかに、感激のあまり泣き出す者がいた。人々は西洋美術に飢えていたのである」と書かれている。ルオーとマティスの展覧会はこのように戦後の日本美術史上の大事件であったのだが、今ではそれを知る人も少なく、今回の2人展もそれほど大きな反響を呼んでいるとはいえない。
この展覧会では「開館5周年 ルオー没後50年 特別展」というダブル記念展が強調されている。これに加えて、モローとマティスは同じ国立美術学校ギュスターヴ・モロー教室の同門で、長い間2人の間に書簡が交わされていたという事実が再発見されたことが今回の展覧会開催のキッカケとなったとのことである。 ただ、今回の会場にはその内容が和訳して展示されていなかったのは残念だった。この点は4月13日の新日曜美術館で詳しく説明されたので、その内容も補筆した。 この展覧会には多数の作品がフランスから来日している。90点もの作品が、あまり広くない汐留ミュージアムに展示されているので、息が詰まりそうである。 ![]() 第2章 アトリエのモデル/田園風景: 確かにこの時代の2人の画には共通するものがあった。ルオーの水彩《娼婦―赤いガーターの裸婦》↓、カラフルな陶器《裸婦の花瓶》やテラコッタ《水差し》はなかなか良かった。 ![]() 第3章 人物像と風景: マティスの《オリーブの並木道》で、初めて明るく軽い画を見つけてホッとした。それまでの2人の画が暗かったからである。 第4章 サーカス: ここで2人の天分が一気に花開いている気がした。すなわち、ルオーの水彩では、《タバラン‐騒々しい踊り》という青いシャユ踊りに動きが感じられ、油彩《ピエロ》↓や《女曲芸師》は思い切った厚塗りで、力がこもってきている。銅版画集《流れる星のサーカス》も明るく、軽快さを示している。マティスのほうは有名な切り絵《ジャズ》で、部屋全体がパット明るくなる。ルオーの関心があくまで人物の内面であるのに対し、マティスは人物と背景をバランスよく扱っている。 ![]() 第5章 キリスト教的風景: ここはルオーの独壇場。円形の《キリストの洗礼》は今回のモローのベスト。《夜景又は聖書の風景》も良かった。 第6章 マティス、ルオー、テリアードと『ヴェルヴ誌』: ここでは2人の画家と雑誌との関わりでまとめられているが、私としては個別の作品に目がいった。マティスでは、パリ市立近代美術館の《肘掛け椅子のオダリスク》や《座る踊り子》、そしてポンピードーの《黄色のドレスとチェックのドレスの女》↓は色彩乱舞である。ルオーでは《花束》という教会のステンドグラスがきれいだった。ルオーは若い頃ステンドグラスの仕事をしていたそうだから、当然であるともいえる。 ![]() あらためて二人の画をくらべてみると、初期には両者とも青黒い画面で、どちらがどちらの画か分からないほどである。そのうちに二人の画にはそれぞれの個性が出てくるが、黒の使い方、とくに輪郭線の使い方は最後まで共通だったように思われる。1946年の「黒は色である」展には二人が参加したが、「黒は色である」という言葉は、二人のやり取りの間に出てきたものであるという。二人は若いときから黒を追求し、ルオーは銅版画において、マティスは背景において、「光を表現するために」黒を使った。 最後にルオーは「鮮やかな色彩」を多用した宇宙を感じさせる聖なる光景に辿りつき、マティスはヴァンスの礼拝堂にみられるような「宗教画、それもステンドグラス」に到着した。『マチスのやわらかい光を放つ星とルオーの青く厳しい光を放つ星が同一の天空で輝いた』という矢内原伊作の言葉が現実となったのである。 二人の手紙は、1906年ごろ、マティスがサロンドートンヌに出品した《帽子の女》が野獣派として非難された頃に、ルオーがマティスに送った「芸術への強い共感を感じている」という内容の手紙から始まった。二人は長期間にわたって、お互いの藝術表現を理解しあい、健康状態や家族の問題を心配した手紙をかわしあった。1952年にルオーが病床のマティスを見舞い、モロー教室での想い出を語り合ったという。その訪問に関するマティスからのお礼の手紙、そして1953年のルオーの返書が最後になった。 HP1 【追 加】 松下電工汐留ミュージアムに行く途中、鉄道歴史展示室の「東海道 江戸の旅 近代の旅」に寄った。これは、江戸時代と近代において、それぞれの時代における旅支度、風景や眺め、川越えや架橋、徒歩と鉄道を比較したものである。「往来手形」・「関所手形」・「川札」、柳行李や小田原提灯、街道名物の丸子のとろろ汁・桑名の蛤・草津の姥が餅、街道の浮世絵・図絵、鉄橋の画などを楽しんだ。 HP2 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2008-04-06 18:19
| 現代アート(国外)
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