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この展覧会は、幕末・明治期から1960年代までの近代日本彫刻史を、68名の彫刻家の約100点の作品によって振り返るものであるが、このように日本の近代彫刻史を通覧する展覧会を観たのは今回が初めてかもしれない。
美術鑑賞の対象としての「彫刻」という考え方が移入され、彫刻というジャンルが芸術家個人の自由な表現として認められるのは、明治末年から大正初めにかけて、荻原守衛や高村光太郎らの活躍をみてからであった。その後、大正から昭和にかけて、フランスに学んだ彫刻家たちが、その思潮を持ちかえる一方、伝来の木彫界でもさまざまな変転があり、また戦後になると、多種多様な素材・技法による抽象表現が現われた。このような近代日本彫刻史を8章に分けて展示してある。 I 「彫刻」の夜明け 明治初期に西洋から伝えられた「彫刻」という概念と、それまで日本に存在した仏像や人形や置物などとの間で、作家たちは新しい表現を模索し始めた。なかでも高村光雲の《老猿》は、ものすごい迫力である。この時既に独自の日本彫刻が成立していたといってもよいのではないか。 明治20年代頃から、近代国家体制の整備の一環として、権力者の像や歴史や神話と関連する主題の銅像が全国に設置された。竹内久一の《神武天皇立像》はその一例であるが、こういう架空の像となると、仏像を作っているのと大差がないことになる。 Ⅲ アカデミズムの形成 文展で活躍した新海竹太郎の《ゆあみ》↓、朝倉文夫の《墓守》↓↓、山崎朝雲の《たかおがみ》↓↓↓をみると、特定の個人を顕彰する銅像的なものから鑑賞のためのものへと変化していることがわかる。 明治時代末から大正時代前期にロダンの芸術が紹介され、作家の個性と内面の表現を表すようになった。高村光太郎の《手》↓、荻原守衛の《女》↓↓、中原悌二郎の《若きカフカ人》↓↓↓、藤川勇造の《ブロンド》↓↓↓↓などがその例である。 大正後期から昭和前期にかけての時期は、技法や題材が再検証された時代である。石井鶴三の《俊寛》↓、橋本平八の《幼児表情》↓↓などがこの時代に属する作品である。 1920年代に西洋のモダニズムの影響を受けた前衛的な作品、例えば仲田定之助のキュビスム《女の首》・《首》や、都市の近代化の中で彫刻と建築との総合を目指した作品、例えば陽咸二の《燈火抱擁像》↓が紹介されている。 ブールデル、マイヨールといったロダン以後のフランス近代彫刻の影響を受けながら、大戦間の時代に日本人彫刻家としてのアイデンティティを模索した柳原義達の《バルザックのモデルたりし男》、佐藤忠良の《群馬の人》、舟越保武の《夫人胸像》↓、本郷新《わだつみのこえ》などの人間性豊かな作品が紹介されていた。 きわめて多様に展開した戦後の抽象表現を「抽象彫刻の草創期」、「転換期――彫刻の「表面」をめぐって」、「物質と空間――1960年代後半~」の三つに分けて展示されていたが、正直のところ良く分からなかった。堀内正和の《表裏相入円錐》↓、砂澤ビッキの《ANIMAL(B)》、保田春彦の《階段のある広場》が記憶に残った。 美術散歩 管理人 とら HP
by cardiacsurgery
| 2007-11-25 12:05
| 国内アート
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