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開催初日に観に行った。ちょうど開会式で館長の挨拶中。宇都宮美術館・豊田市美術館・横浜美術館の共同開催展とのこと。アンドレ・マッソン夫人が出席されていた。偶然そこへlysanderさんが現れたので、一緒にこの企画展と常設展をゆっくり観た。幸いどちらも空いていたので、われわれのおしゃべりもあまり迷惑にならなかったかと思う。
この企画展は、第1章「シュルレアリスムの胎動」、第2章「シュルレアリスムが開くイメージ」、第3章「シュルレアリスム以後の様々なイメージ」となっている。 すなわち、マグリット・デルヴォー・ダリ・ベルメール・ミロ・マッソン・マッタ・エルンスト・ドミンゲスなどの「狭義のシュルレアリスム」だけでなく、「シュールの前駆」をなすデ・キリこの「形而上絵画」、アルプ・シュヴィッタース・マン=レイ・デュシャンなど「ダダ」、さらに「シュールの影響」を受けた「広告美術」、「アンフォルメル」、「抽象表現主義」、「戦後具象絵画」、「現代日本美術」まで非常に幅広くとらえている。 中心となる第2章では、1) イメージが訪れる、2) 反物語、3) 風景、4) 女と愛、5) 物と命、6) 神話と魔術、7) 時空の彼方に、の7節に細分しているが、この分類によって鑑賞者の理解が助けられるといったものではなかった。そのため、一つ一つの作品の面白さを個別に楽しんでいくようになってしまった。下の画像は、エルンストの《喜劇の誕生》 マッソンの小品《血の涙》は、2つの人物のようなイメージの間に小さな真赤な涙が描かれていた。個人蔵となっていたので、マッソン夫人が所蔵しておられるものではないかと勝手に考えた。 オスカル・ドミンゲスの《無題 デカルトマニー》と《日曜日》という作品も心を捉えたが、今となっては前者の画面上部右の大きな頭部と後者の画面中央左の草のような緑のイメージだけが脳内の残像として残っている。 エルンストの《カルメン会》の黒いマントをかぶった修道僧が大勢こちらへ向かってくる。小さな画だがちょっと不気味。 イヴ・タンギーの《失われた鏡》やエルンストの《子供のミネルヴァ》も面白かった。何が面白かったかを文章にする前に忘れ去ってしまってのもシュールならではのことかもしれない。 ロベルト・マッタの《ハート・プレーヤー》はとても印象的な作品。中央に薄緑の心臓が棚のような台に沿って上から下へと落ちてくる。これを左右の両性具有的な人間のイメージが押しあっている。左右の人間にとってはゲームかもしれないが、心臓にとってはたまらない。 ダリの《ガラの測地学的肖像》はこの美術館の代表的な作品だが、《ガラの測地学的肖像ための素描》と並べられており、素描には完成作に無いイメージが存在していたことが分かった。もちろんその経緯は不明、というよりか不可解。 前回来た時に、いつもは常設展にあるダリの三部作《暁(ヘレナ・ルビンシュタインのための壁面装飾「幻想的風景」)》、《英雄的な昼(ヘレナ・ルビンシュタインのための壁面装飾「幻想的風景」) 》、《夕暮(ヘレナ・ルビンシュタインのための壁面装飾「幻想的風景」) 》が常設展の円い部屋から消失して、森村泰昌の作品群と置き換わっていたがていたが、この展覧会で巡業していたのだということが分かった。 この大きな画たちの前に立ってじっくり観ていると、ダリのいろいろな仕掛けが分かってきたような気がした。 暁の画には、武器と盾を持って出かける人間が小さく描かれている。昼の画には右脚に異様な顔のついている巨大な女性が描かれ、鳥がこの女の頭上を激しく飛び回っている。女の上半身は薄く描かれ雲とのダブルイメージとなっている。夕暮の画にはこの大きな女の姿が脚を除いて溶けさって、鳥が静かに舞っている。人間の一日はかくのごとく、闘争と敗北の繰りかえしなのだろうか。全体の画の両翼には、真珠のようなものが垂れ下がる宮殿の柱が描かれ、この人間たちの営みが宇宙全体から見ると限られた世界に止まっているという嘲笑的なダリの顔も画面の奥に浮かんでくる。雲は、左の画の空の一部が抜き取られ、中央の画では女性の頭部を鳥とともに取り囲み、右の画に裏表ひっくり返しになった雲としてのこっている。「幻想的風景」というのはこのことのようだが、ダリ特有のイタズラかサービス精神かもしれない。 この画の絵はがきを買いたいと思ったが、肝心の中央のものが無く、残念だった。係りの女性に聞くと左右のものも違う次期の印刷という。横美のお役人は「予算が無い」というかもしれないが、折角の企画展だけにまことに残念である。これではあまりに「知恵」も「サービス精神」もない。これではダリも泣く。 絵はがきを買ってきたのはマッソンの《ナルキッソス》。陸上の下半身と水面に映る自分の姿に恋して見つめ続ける上半身が腹背逆の姿としてイメージされている。下半身のほうはその背面に不明瞭なもう一つの下半身があるようにも見える。これはうつむきの下半身とのダブルイメージなのだろうか。右上は「水仙(ナルシス)」の花。左上は「エコー」。この神話はシュールなテーマなのかもしれない。 美術散歩 管理人 とら HP
by cardiacsurgery
| 2007-09-30 15:35
| 現代アート(国外)
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