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東京国立近代美術館で藤田嗣治の《哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘》に遭遇した。これは藤田が戦争画にのめりこむきっかけとなった有名な画である。(↓クリックで拡大します)
草原の彼方でも黒煙が上がり、戦車に数人の兵士がよじ登り、銃剣を突きつけている。実際には、日本軍はこの人対戦車の戦いに惨憺たる敗北を喫したとされているが、ここには勇敢な兵士の姿だけが描かれている。 もちろんこの画からこの戦いの最終的な勝敗が分かるわけもないが、軍部は国民に対して敗北の事実をひた隠しにしていたという。ところが、近藤史人著の《藤田嗣治「異邦人」の生涯》によると、藤田は、この戦いに参加した陸軍中将・荻州立兵から「ノモンハン事件」の実相を聞かされ、戦死した部下の霊を慰めるために画を描いてくれと依頼されていたというのである。そのため藤田は満蒙国境を訪れ、この画を描いて1941年7月の第二回聖戦美術展に出品し、非常に高い評価を受けたのである。 ところが藤田は同名の画をもう1枚描いていたという。それを実際に見た荻州中将の息子・照之によると、ソ連の戦車からは発射される銃弾によって、死体が累々と積み重なっていく画だったという。この画は美術評論家の藤田韶三も見ており、藤田はリアリスムの傑作だと自賛していたとのことである。この画はその後に藤田の描いた《アッツ島玉砕》と繋がるものなのだろう。このようにして、藤田は取り付かれたように戦争画にのめりこんでいくのである。 藤田の画の隣には、中村研一の《プリンス・オブ・ウェールズの轟沈》が出ていた。これは1944年の戦時特別文展陸軍省特別出品の作品で、マレー沖海戦を描いたものである。 この戦いによって、対空砲多数を装備した新式戦艦でも、航空機の攻撃には勝てないことが明らかになり、沈没の報告を聞いた首相チャーチルは絶句し、「戦争全体であれほど衝撃を受けたことはなかった」と回顧録で語っている。 このようにこの中村の画は勝ち戦を国民に知らせる役割を果たした通常の「戦争記録画」であり、藤田の戦争を利用して描いたドラマチックな「戦争歴史画」とは大きく異なっている。 この二つの有名な戦争画は明日9月9日までの展示。興味のある方はお急ぎあれ。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2007-09-08 23:08
| 戦争画
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