記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
京都五山とは、京都の禅宗寺院の格付け。足利義満が創建したばかりの相国寺を第2位とし、南禅寺(開基:亀山天皇、開山:無関普門)を「五山之上」にした時に確定した。
第1位:天龍寺(開基:足利尊氏、開山:夢想疎石)、第2位:相国寺(開基:足利義満、開山:春屋妙葩→夢想疎石)、第3位:建仁寺(開基:源頼家、開山:明庵栄西)、第4位:東福寺(開基:九条道家、開山:円爾弁円)、第5位:万寿寺(開山:平安時代→鎌倉時代の円爾弁円)となっている。 第1章 兼密禅から純粋禅へ 栄西が中国から帰って禅宗寺院を建立しようとした時には、延暦寺などの反対にあった。栄西は鎌倉の北条政子、源実朝等の帰依を得て、六波羅探題の隣に建仁寺を建立した。また、鎌倉幕府に近い九条道家は東福寺を建立した。これらの寺院では中国の禅を実践する一方で、密教や天台学もあわせて修めることで辛うじて保守勢力に許容された。鎌倉時代後半、亀山天皇が禅に傾倒し、無関普門を呼んで南禅寺を開いてからは純粋な禅が定着した。 東福寺第9世の≪癡兀大慧(ちこつだいえ)坐像≫も怖そうな顔つきの頂相彫刻である。議論好きだったそうだが、この面相でこられるとかなり威圧的。しかし議論に負けると、相手を師として敬ったというフェアーな僧ということだった。 南宋の張即之筆の≪禅院額字並牌字『栴檀林』≫が堂々としていた。後期に出る『東西蔵』の画像がチラシに載っているがこちらも素晴らしい。 第2章 夢窓派の台頭 夢窓疎石は、鎌倉時代末期に政権がめまぐるしく交代したにもかかわらず北条氏、後醍醐天皇、足利尊氏・直義の帰依を受け続けた。権力へのすり寄りの巧さは、慈済院の美しい≪夢窓疎石像≫の賢そうな顔つきを見れば、なるほどと納得できる。足利家は夢窓一門の支援を続けたため夢窓派は大いに繁栄し、京都五山の主流となった。 相国寺を創建した足利義満は、その塔頭、鹿苑院の院主を全国の禅宗寺院全体の統率者、すなわち僧録とし、夢窓の弟子春屋妙葩(しゅんおくみょうは)をその初代とした。僧録は将軍の外交や宗教政策の顧問のような役割をも果たした。また、夢窓の弟子義堂周信と絶海中津は五山文学の発展に貢献した。 第3章 将軍家と五山僧 室町幕府による寺院の統制を示す文書や、相国寺の建立に関する記録などが展示されている。五山僧の作成した外交文書や明への使節となった策彦周良に関する資料もあった。 土佐行広の描いた≪足利義満像≫は、教科書にも載っている有名な作品。等持院の≪足利義満坐像≫は巨大で迫力がある。義満筆の≪鹿王院額≫も見た。しっかりした字。伝牧谿の≪竜虎図≫は素晴らしかった。 慈照寺の≪阿弥陀如来立像≫も良かった。青磁茶碗≪銘馬蝗絆≫は壊れたので中国に修理のため送ったところ、鎹とめで送り返してきたという因縁の品。以前に観たことがある。 ≪異国通船朱印状≫は、「自日本 到呂宋国也」という単純明快なパスポート。大きな朱印があるから偽造されないとしたのだろうか。 第4章 五山の学芸 禅宗では偶像崇拝より、自らのスピリチュアルな修行を重んじるため、禅宗寺院には仏像や仏画は密教寺院に比べれば少ない。しかし禅宗寺院も武将や公卿などの帰依を得て建立された寺院である以上、本尊像や護法神像、法会の際に堂に掛ける画像などは少なくない。 その作風は中国の宋、元時代の作品に影響を受け、仏画では良全、明兆、また仏像では院派仏師と慶派仏師のうち特に康俊が活躍した。 鹿王院の≪不動明王立像≫・≪釈迦如来坐像および十大弟子立像≫も立派。 美術散歩 管理人 とら HP
by cardiacsurgery
| 2007-08-14 13:33
| 仏像
|
ファン申請 |
||