記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
ユトリロの展覧会には何回も行った。三鷹市美術ギャラリーで開かれている今回の展覧会はパスしようかとも思っていたが、実際に行ってみると、それなりに良かった。画としては白の時代のものは少なく、ほとんどが色彩に時代のものだが、本邦初公開のものが多いため十分エンジョイできた。
![]() 作品が年代順に陳列されている。配布されたパンフレットには「ユトリロ年譜」が詳細に記されている。この年譜と作品のキャプションの制作年をくらべていけば、自然とユトリロの生涯を辿ることができる。さらに、ユトリロや周辺の人たちについての要領の良い説明が、いくつものパネルとして掲示されていた。 12歳の時、母親ヴァラドンが、ムジスと結婚、ユトリロは祖母とともに生活。母親は画ばかり描いていてユトリロを省みなかった。そのためか、ユトリロはアル中となり、退学、職を転々とし、20歳時に入院。医師の勧めで画を描き出した 母親はユトリロより1歳年下のユッテルと親しくなり結婚。このころからユトリロは「白の時代」(1910-14年)から「色彩の時代」(1920-55)に移る。ユトリロの画が有名になり、売れ出したが、ユッテルらはユトリロを鉄格子の部屋に閉じ込め、絵はがきをもとに画を描く貨幣製造機としてしまう。 51歳時、母親ヴァラドンはユッテルと離婚、ユトリロは銀行家の未亡人のリシューと結婚。2年後母親は死亡、妻はユトリロをやはり貨幣製造機としてしまっていたようである。 こういった悲惨なユトリロ物語がよく頭に入ってくると、ユトリロをエコール・ド・パリの画家としてしまうことが問題のように思われてくる。エコールド・パリの画家はモンパルナスで活躍したのに、ユトリロは終生モンマルトルの画家であったからなおさらである。 (追 加) 会場に入る手前の「ご挨拶」にユトリロ30代後半の言葉が紹介されていた。 青色が神で、悪の敵ならそして『これは「色彩の時代」の言葉だが、「白」についてはまったく触れられていない』との主催者の言葉が添えてあった。確かに色彩の時代の画は青や緑がリードしている。ユトリロは母とジャンヌ・ダルク以外の女性を嫌悪していたとのことである。白は彼の敬慕する二人の女性のために取っておき、嫌いな女性は大きなお尻の後姿とし、彼の嫌いな黄色や赤を塗ったのではなかろうか。 美術散歩 管理人 とら HP
by cardiacsurgery
| 2007-06-29 23:08
| 国外アート
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||