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フンデルトヴァッサーは、オーストリアでは誰もが知っている有名な建築家である。しかし彼はもともと画家であり、鮮やかな色彩がキャンバスに渦巻く抽象絵画の奇才でもある。
彼は1928年にウィーンで生まれた。父はオーストリア人、母はユダヤ系チェコ人である。本名はフリートリッヒ・シュトヴァッサーFriedrich Stowasser 。彼は芸術家として生きる意志を固めた21歳の時、名前をフンデルトヴァッサーHundertwasserとした。 1938年、彼が10歳の時、オーストリアはナチスドイツに併合された。ユダヤ人であった母方の親戚は、74人のうち69人までが、ガス室に送られたとのことである。そんな中、ユダヤ系の母親は、息子を守るために苦肉の策として息子を「ヒトラー少年親衛隊」に加入させたのである。ユダヤ系でありながらナチの側に立ったことは少年フィリードリッヒの心にトラウマとして残ったとしても不思議ではない。 彼は、自分の新しい名前「フリードリッヒ・フンデルトヴッサー」を「豊和 百水」と和訳している。ドイツ語でフンデルト=百、ヴァッサー=水であるが、このような具体的な名前はユダヤ人に多い。同じユダヤ人のアルベルト・アインシュタインはアイン=一、シュタイン=石という分かりやすい名前である。フンデルトヴァッサーは名前を変えることによってユダヤ人としてのアイデンティティを主張したのではあるまいか。 今回展示されている《血の雨の中の家々――あるオーストリア・ユダヤ人を慟哭させた絵》はまさしく彼の青少年期の忌まわしい体験を基盤としているのであろう。彼がナチの思考行動パターンである直線を極端に嫌い、色鮮やかな曲線を愛したのも失われた青春時代への代償だったのかもしれない。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2006-08-30 23:15
| 現代アート(国外)
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