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三鷹市美術ギャラリーで待ちに待った高島野十郎展が始まった。テレビの「美の巨人たち(一枚の絵)」を見て、その素晴らしさに感動したからである。チラシの内容の一部を紹介すると、
1890年、福岡県久留米市の酒造家に生まれた高島野十郎(たかしまやじゅうろう)は、東京帝国大学農科大学水産学科に学び、首席で卒業しました。しかし周囲の期待と嘱望された学究生活を投げ捨て、念願であった画家への道を選びます。以来、約4年間の滞欧生活をはさんで東京、久留米に居を構えながら主に個展を作品発表の場として画業を続けました。70歳を超えた1961年からは都内・青山を離れ、千葉県柏市の田園のなかに質素なアトリエを建て、晴耕雨描とも言える生活を貫きました。世俗的な成功や名誉とはほど遠い位置で制作を続け1975年、千葉県野田市の老人ホームで85歳の人生を閉じます。初日、開館時間を待ちかねて大勢のファンがつめかけている。ゴッホと同じく死後に有名になった画家である。東大水産学科を首席で卒業しながら、画家に転向し、画壇とははっきり一線を画し、求道者のような生活を貫いた一途な画家である。このような画家が今まで日本にいただろうか。寡聞にしてわたしは知らない。 会場は静まり返っている。彼の画から不思議なオーラが出て、観客がその中に引き込まれていってしまっているからに違いない。太陽の光、月を包む闇、そして揺らめく蝋燭の炎など彼の見つめる対象には霊魂のようなものが宿っていて、高島はこれらを画の中に閉じ込め、観る者を画の中に引き入れてしまうような気がする。感想はホームページに載せるのでお時間のある方は見ていただきたい。 彼はまさに天才である。次第に有名になって世界の高島野十郎となっていくのではあるまいか。この展覧会はマストである。お見逃しなきように。 会場入口のミュージアム・ショップのカタログの横に、「野十郎の炎」という本が積んであったので、ちょっと覗いてみた。そしてカタログのほうに戻っていると、一人の老紳士が先ほどの本を買っておられた。不思議なことにこの方は「これは自分が書いた本なんですがね」といわれる。ショップの係りも驚いて「よろしいんですか?」と聞きながらレシートを渡している。 私はキツネにつままれたような気がしたが、その本を買い求めてソファに坐っておられるその老紳士のところへいった。「失礼ですが、この本を書かれた方ですか?」、「そうです」、「申しかねますが、サインをいただけませんか?」、「よろしいですよ」という次第で、多田茂治氏の署名を頂いた。 自宅にかえって、すぐに読み始め、一気に読み終えた。お陰で高島野十郎のバックグラウンドや性格などが非常によく理解できた。 この本は2001年に書かれた同名の書の新版で、初版発行が2006年6月20日となっている。今日はまだ6月10日である。この辺が著者がお金を払って新版を購められたことと関係があるのではなかろうかと勝手に考えた。 美術散歩 管理人 とら ©2006 reserved by TORA (追 記)「野十郎の炎」の著者 多田茂治氏より手紙が来た。拙HP「美術散歩」のことを福岡県美、三鷹ギャラリー、版元にもお知らせいただいたとのことである。恐縮。
by cardiacsurgery
| 2006-06-10 21:01
| 国内アート
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