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これは「ルーベンス展@日曜美術館」のメモである。
ルーベンス展 バロックの誕生 国立西洋美術館(上野) パエトンは、太陽神アポロンとニンフ(精霊)クリュメネーの子。ある日、一人の友だちが、「太陽神の子なんておかしいよ」と笑った。腹立たしさと恥ずかさでパエトンは、母にたずねました。「ぼくは、本当にあの太陽神の子なの?証拠はあるの?」 「本当です。お父さまの太陽の宮殿に行ってたずねてごらんなさい」パエトンはワクワクしながら、日の出の地方に旅立った。 太陽の宮殿は、黄金と宝石で輝いている。アポロンが座っている玉座の脇には、日の神や月の神、年月の神々などが従っている。 パエトンは、恐る恐る「本当に僕のお父さん?」とたずねた。アポロンはパエトンを抱きしめ、「本当に私の子だよ。証拠に望みを何でもかなえてやろう」と、冥界の河ステュクスにかけて誓った。 「太陽の二輪車に乗って、天空を走ってみたい」と、パエトンはお願いした。「太陽の二輪車だと? それだけは駄目だ!あの大神ゼウス様でさえ、乗りこなすことはできないのだ」アポロンは言い聞かせましたが、パエトンはどうしても聞き入れず、何度も頼みます。アポロンは〈誓い〉を立てた以上、神々でさえ守らなければならず、最後には許してしまいまった。 《パエトンの飛翔》 パエトンは、太陽の二輪車に飛び乗ると、誇らしげに馬の手綱をとり、天空に駆けあがって行った。「なんという素晴らしさ!今の僕を見れば、もう誰も疑う友はいないはずだ」しかし、すぐ馬はいつもより二輪車が軽いので、暴走しはじめ、いつもの道をどんどん外れていった。 熱に焦がされた大熊(座)と小熊(座)が海に飛び込みたくなり、北極のヘビ(座)も冬眠から目覚め凶暴化し、牛飼い(座)も逃げ出した。周りにいる怪物たち、近くには大きく腕を広げたサソリ(座)に勇気もくじけ、パエトンは手綱を放してしまった。そして後悔の念でいっぱいになった。 太陽の二輪車は、天空の高みから、地表まで道なき道を走りつづけた。アポローンの妹、月の女神も兄の二輪車が自分よりも下を走っているに驚いたくらいである。海神ポセイドンも熱さにたえられず、水面から顔を出すこともできなかった。大きな街の城壁や塔も焼け落ち、たくさんの国と住民も焼き尽くされて灰となっていった。今や山々は炎に包まれ、地表の川や海も熱で干上がりはじめた。 ピーテル・パウル・ルーベンス《パエトンの墜落》 「おお、ゼウス様!どうのような過ちを私たちが犯したというのですか?毎年もたらす実りにたいする報いなのですか?このままでは、海も陸も天も焼けてしまいます。どうか、この業火からお救いください」 全能の神ゼウスはアポロンを含めた全ての神々を集め、ことの是非を決めると、パエトンめがけて稲妻を投げつけた。パエトンは真っ逆さまに落ちていった。 落ちてくるパエトンの体を河の神エーリダノスが受け止め、冷やしてやった。パエトンの妹のへーリアスたちは兄の運命を悲しみ、ポプラの木となり、流す涙は河面に落ちて琥珀の玉になった。 作者不明《ルーベンス作品の模写 自画像》1623年以後。 時代は古代ローマまでさかのぼり、歴史家ワレリウス・マキシムスが書いた「忘れざる行為の9冊の書とローマ人の言葉」に記録されている。 餓死の刑に処されている父親キモンは食糧を与えられず、死の寸前だった。 そこへ居場所を探し出した娘ペロが現れ、死にかけている父に自らの母乳を与えた。彼女の行為は看守によって発見されてしまうが、この献身的な行為は看守の心を動かし、父親の解放を得ることができたとされている。 この物語はローマ時代から何名もの画家に描かれ、17~18世紀頃に最も多く描かれている。 【参照】⇒こちら #1 ポンペイのフレスコ画 1世紀ごろ。 #10 Jan Janssens 作 1620-25年 ヤコブス・デ・ヴォラギネの「黄金伝説」に記述された、聖アンデレの殉教場面のクライマックスが描かれている。 アンデレが磔にされる十字架のかたち、そして手足の状態がイエス・キリストと同様に描かれていない理由は、「イエスと同等の者として自分が殉教されるわけにはいかない」とアンデレ自らが望んだという逸話がベースとなっている。 背景の民衆と前方の人物の描き分けと、生命力ある表情が特徴である。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2018-12-10 09:31
| バロック
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