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その1.国際文化会館
国際文化会館の外観。 【ボナールの生涯】⇒こちら。 1991年 ボナール展 伊勢丹美術館 図録。 《黄昏(クロッケーの試合)》父親・ウジェーヌ。 2.ナビ派時代のグラフィック・アート 第一声「くそったれ!」で始まるアルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」は、辛辣で卑猥なせりふに満ちた芝居で、当時大スキャンダルを巻き起こした。この芝居にインスパイアされたボナールは、軽妙洒脱なイラストを描いており、素描家・カリカチュリストとしても才能を十分に発揮している。 《乳母たちの散歩、辻馬車の列》1897年 39歳。 ジャポニスムが一世を風靡した19世紀のパリ。ボナールも歌川国貞・国芳・広重の浮世絵を所蔵し、「日本かぶれのナビ」と呼ばれるほどに日本美術を愛好いていた。屏風を思わせる縦長の構図や、平板な色面構成、遠近表現には、浮世絵の影響が認められる。 《ル・グラン=ランスの庭で煙草を吸うピエール・ボナール》1906年頃 モダン・プリント オルセー美術館 マルト、ボナール家の医師の妻であったリュシュエンヌ、マルトの友人でボナールの愛人となるルネ・モンシャティら複数の女性がモデルを務めた。 マルト・ド・メリニー(1869-1942)は、本名マリア・ブルサン。1893年にパリの街角で26歳のボナールに出会った。この時、マルトは16歳だとボナールに告げた。華奢な体つきに紫がかった青い目をした彼女は、やがてボナールの恋人となった。1日に何回も入浴するマルトのために、ボナールは晩年の家に当時としては贅沢な浴室を備えた。ボナールがマルトの「本名」と「実年齢がボナールより2歳年下にすぎない」ことを知ったのは、1925年に二人が正式に結婚して生涯の伴侶となったときだった。 《浴盤にしゃがむ裸婦》など数々の作品に描かれた。1925年、マルトは、ルネ・モンシャティに嫉妬してボナールに結婚を申し込んだ。 《男と女》1900年。 《ル・カネの食堂》1932年 油彩 カンヴァス オルセー美術館(ル・カネ、ボナール美術館寄託) 《ボート遊び》1907年 油彩 カンヴァス オルセー美術館 《水の戯れあるいは旅》1906-10年 油彩 カンヴァス オルセー美術館
by cardiacsurgery
| 2018-10-31 10:32
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