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初回放送 漱石悶々 @NHK・BSプレミアム
再放送【あらすじ】「春の川を隔てて男女哉」 大正4年春、夏目漱石は、ある女性の面影を胸にこう詠んだ。女の名は磯田多佳。京都祇園のお茶屋「大友(だいとも)」の若き女将で、芸、才、美貌を兼ね備えた祇園の名物女だった。 大正4年、「硝子戸の中」を書き上げたばかりの文豪は、強度の神経衰弱と胃潰瘍に苦しんでいた。そんな漱石に、若い友人の画家・津田青楓が京都での静養を勧めた。 3月20日夕方、漱石は投宿した木屋町の名旅館「北大嘉(きたのだいか)」で、多佳と初めて出会い強く惹かれた。しかし多佳は祇園一の人気者。しかも茶屋の女将で、文豪だからどうこうなるという女ではなかった。大阪のイケメン実業家や百戦錬磨の老舗旅館の主人など、多佳に言い寄るライバルは多く、漱石は気をもむばかりだった。 ある日、梅見の約束をすっぽかされて逆上した漱石は、人力車で京都の街を暴走、ついには洋食屋で暴飲暴食し持病の胃潰瘍を悪化させて寝込んでしまった。動揺した友人・津田青楓は、あろうことか東京に連絡し、妻の鏡子を呼び寄せてしまった。悶々としながらも、文豪が人間らしく思うままに生きた京都の29日間を描いた物語である。 東京へ帰ってきた漱石が多佳宛てに書いた長文の手紙とそれに対する多佳の2通の手紙:①真相を書いた手紙(破棄)と@真相を隠した手紙(郵送)が面白かった。 【参照】夏目漱石の句碑(駒札)【住所】御池大橋西詰 木屋町に宿をとりて川向の御多佳さんに 春の川を 隔てゝ 男女哉 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2018-10-20 17:04
| 映画・写真
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