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松浦武四郎展 生誕200年記念 幕末の北方探険家
2018年9月24日(月・祝)~12月9日(日) 日時:9月24日(月・祝)15:00~16:00 場所:地下講堂(先着順に入室) 参加者:河野元昭 館長、成澤麻子 主任司書 ナビゲーター:青い日記帳 Tak 中村剛士 参加料無料。ただし当日の入館券要。 【Wikipediaの抜粋】 松浦 武四郎 文化15年2月6日(1818年3月12日) - 明治21年(1888年)2月10日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家、浮世絵師、著述家、好古家。蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した。 文化15年(1818年)、伊勢国にて郷士・松浦桂介ととく子の四男として生まれる。父親は庄屋を営んでおり、比較的恵まれた中、武四郎は後の探検家として役に立つ文化的な素養を身に付けた。13歳から3年間、平松楽斎(漢学者・伊勢津藩士)のもとで学び、猪飼敬所、梁川星巌らと知己を得る。 山本亡羊に本草学を学び、16歳から日本国内の諸国をめぐった。天保9年(1838年)に平戸で僧となり文桂と名乗るが、故郷を離れている間に親兄弟が亡くなり天涯孤独になったのを契機に、弘化元年(1844年)に還俗して蝦夷地探検に出発した。 1846年には樺太詰となった松前藩医・西川春庵の下僕として同行し、その探査は北海道だけではなく択捉島や樺太にまで及んだ。蝦夷では詩人の頼三樹三郎と旅することもあった。 安政2年(1855年)に江戸幕府から蝦夷御用御雇に抜擢された。再び蝦夷地を踏査し、「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。 明治2年(1869年)には開拓判官となり、蝦夷地を「北海道」と命名した。更にアイヌ語の地名を参考にして国名・郡名を選定した。翌明治3年(1870年)に北海道の開拓の方針を巡って、従五位の官位を返上した。この間、北海道へは6度赴き、150冊の調査記録書を遺した。 余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかった。武四郎は天神(菅原道真)を篤く信仰し、全国25の天満宮を巡り、鏡を神社に奉納した。好古家としても知られ、縄文時代から近代までの国内外の古物を蒐集し、64歳のときには、自分を釈迦に見立て古物コレクションに囲まれた「武四郎涅槃図」を河鍋暁斎に描かせている。 また、明治3年(1870年)には北海道人と号して、「千島一覧」という錦絵を描き、晩年の68歳より富岡鉄斎からの影響で奈良県大台ケ原に登り始め、自費で登山道の整備、小屋の建設などを行った。 明治21年(1888年)、東京神田五軒町の自宅で脳溢血により死去した。 生地の三重県松阪市小野江町には、生家のほか、武四郎の遺した資料を保管する「松浦武四郎記念館」がある。また、公益財団法人・静嘉堂文庫には、松浦武四郎が収集した古物資料約900点が保存されている。 北海道音威子府村には「北海道命名之地」の記念碑があり、釧路市の幣舞公園、天塩町の鏡沼海浜公園、小平町のにしん文化歴史公園には銅像があり、北海道勇払郡厚真町富里には松浦式四郎記念碑がある。 【一畳敷書斎】 武四郎が1886年に五軒町の自宅の片隅に造った一畳敷の書斎が、国際基督教大学(東京都三鷹市)の敷地内にある実業家・山田敬亮(日本産業重役などを務めた)の別荘「泰山荘」の茶室に移築されている(国の登録文化財:泰山荘高風居)。 武四郎が記した目録『木片勧進』によると、法隆寺、熊野本宮、春日大社、久能山稲荷神社、伊勢神宮外宮、東福寺仏殿といった全国の社寺の白鳳時代から江戸時代後期に渡る古材を譲り受けて組み上げたもので、武四郎は「死んだら一畳敷を解体してだびに付してほしい」と遺言したが、死後、徳川頼倫の南葵文庫に移築、その後代々木上原の徳川家別邸「静和園」の茶室「高風居」に移され、さらに三鷹の山田敬亮別荘に移築され、戦時中に同別荘地を買い取った中島飛行機が戦後に大学用地として売却したことから同大学キャンパス内に保存されることになった。 【作品】 •『四国遍路道中雑誌』 弘化元年(1844年) - 19歳の天保7年(1836年)に四国八十八ヶ所霊場をまわった紀行文をまとめた3巻からなる草稿。は吉田武三編『松浦武四郎紀行集(中)』(昭和50年(1975年)、冨山房発行)収録。 •「蝦夷大概之図」 嘉永3年(1850年) 松浦武四郎記念館所蔵•「蝦夷変革図」 嘉永4年(1851年) •「千島一覧」 大判 錦絵3枚続 明治3年(1870年) 和泉屋市兵衛版 松浦武四郎記念館所蔵 •「紅蓮の旅人」 歌謡曲 歌:浪曲師真山隼人 作詞:渡邊八尋 作曲:森悦彦 編曲:吉田まゆみ 【催事】 毎年2月最終日曜に、松浦武四郎記念館をメイン会場とした「武四郎まつり」が開催されている。 2018年には北海道命名150年を記念した「北海道150年事業」が行われ、その一環として武四郎に関するイベントが各地で開催。 【図録】静嘉堂蔵 松浦武四郎 図版掲載資料88点(カラー)・資料解説 内川隆志「静嘉堂所蔵の松浦武四郎蒐集古物について」 成澤麻子「静嘉堂のコレクション―松浦武四郎コレクションの調査を終えて―」 山本命「松浦武四郎の生涯」 三浦泰之「好古家松浦武四郎の交友関係と人物像」 安村敏信「松浦武四郎と絵師たち」 鈴木廣之「松浦武四郎と古物の夢」 松浦武四郎年表 資料編:『撥雲餘興』・松浦武四郎 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2018-09-15 15:44
| 国内アート
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