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【番宣】今回は東京都美術館で開催中の「藤田嗣治展」へ!
これは没後50年を記念した過去最大規模の回顧展。 明治生まれの洋画家・藤田嗣治は20代で本場フランスへ渡り、ピカソらと交友を持ち、シャガールやモディリアーニらと並ぶ、エコール・ド・パリの寵児として名を馳せた。 特に、独特の白い下地を生かした女性像は、“素晴らしき乳白色”と賞賛され、藤田の代名詞のひとつとなり、世界的に最も成功した日本人画家として美術史にその名を残している。 藤田は、いかにして独自の画風に到達したのか。 また、なぜ戦後日本を離れ、フランス人“レオナール・フジタ”としてフランスで亡くなったのか。 「自画像」や「裸婦像」「戦争画」といった代表的な傑作を通してひも解いて行く。 さらに今回の展覧会には南米に渡った過渡期の作品は驚くような極彩色だったり、カトリックの洗礼を受けた晩年には宗教美術を多く手掛けていたりと、これまで観た事のないような様々な作品が勢揃いする。 知っているようで知らなかったフジタの画業の全貌、そして、波乱の生涯を読み解く1時間。本当の藤田と出会えるかも知れません。 【ブログ記事】 今回の「ぶらぶら美術館博物館」の案内役は、美術史家・林洋子さん。 父・藤田嗣章は、東京帝国大学医学部卒業後、医学博士。のち陸軍軍医として台湾や朝鮮などの外地衛生行政に携り、森鴎外の後任として最高位の陸軍軍医総監にまで昇進した人物。 ①鴇田とみ ②フェルナンド・バレー ③ユキ(リュシー・バドゥー) ④マドレーヌ・ルクー ⑤堀内君代 1.-フェルナンドゥオリヴィエ Fernande Olivier 2.-エヴァグエルEva Gouel 3.-オルガクルロバOlga Kokhlova 4.-マリーテレーズヴァルターMarie Therese Walter 5.-ドラ・マールDora Maar 6.-フランソワーズジロットFrançoiseGilot 7.-ジャクリーヌ・ロックJacqueline Roque 《二人の女》1918年藤田31歳の作品 北海道近代美術館蔵。 モディリアーニ《ルニア・チェホフスカ》(↓)。 三番目の妻・ユキ・デスノス=フジタ(1903年- 1966年)は、初め藤田嗣治と後に詩人・ロベール・デスノスと結婚したフランス人女性。 本名リュシー・バドゥ。その美貌と才知で両大戦間パリの芸術家サークルの花形女性の一人だったが、酒癖が悪かったという。ユキ(Youki)は藤田がつけた日本語のあだ名で、彼は「バラ色の雪」の意味と説明していた。 アメリカで描いた唯一の油彩画。藤田はこの作品を携えて米国から渡仏した。日本国籍を捨て、洗礼を受けて "Leonard Foujita" となった。画の上部には懐かしいパリの景色、下部には書き物を中断して物思いに耽る女性が描かれている。
by cardiacsurgery
| 2018-09-05 09:28
| アート一般
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