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猛暑の中、サントリー美術館へ行ってきました。
まずは中華料理「辣鼎風」(↓)に寄り、「海老湯麺」(↓↓)で腹ごしらえ。。 ![]() ![]() ![]() ![]() 多くの島々からなる沖縄は、かつては「琉球」と称され、独自の美が生み出された海上王国。 15世紀に統一王朝が成立し、400年以上にわたって東アジアを舞台に「万国津梁(世界の架け橋)」として繁栄した琉球王国は、諸国の至宝で満ちていた。 今回紹介されているのは、①鮮やかな紅型に代表される「染織」、②中国・日本から刺激を受けて描かれた「琉球絵画」、③螺鈿・沈金・箔絵などの技法を使ったきらびやかな[漆芸作品」。なかでも、東京で近年まとまって公開されることがなかった「琉球絵画」は必見である。 首里王府の染織や漆器のデザインには、「絵師」が関わっていたとされており、「染織」・「絵画」・「漆芸」を特集することで、この展覧会は琉球の美術を総合的にとらえている。 これは、第二次世界大戦の戦禍をくぐりぬけ現在に守り伝えられた優品が集う貴重な機会であり、とくに首里王府を治めた尚家に継承された「国宝 琉球国王尚家関係資料」は必見である。 第1章 琉球の染織 豊かな風土をもった琉球王国は、海上交易を通じて独自の文化を発展させてきた。琉球の染物と織物は、東アジア諸国の技法や素材を受容しながら創り出され、王国を象徴する美のひとつとなっている。 琉球の染物といえば王族や貴族階層を中心に着用されたとされる「紅型衣裳」が知られている。型紙を用いて模様を染め出す「型染め」が紅型の代表的な技法で、鳳凰・龍・牡丹など大陸由来のモチーフや松・桜・梅といった日本的な意匠が鮮やかな色彩で表現されている。 中国や東南アジアから伝わった織物も見逃せない。数多くの種類があり、部分的に染め分けた糸を織って幾何学的な文様を表した「絣」や、糸を浮かせて文様を表現する「花織」など、多彩な織物が細やかに生み出された。 これら琉球の染織のうち、王族ら高貴な人々の衣裳は、首里王府にあった「貝摺奉行所」という機関にいた絵師が下絵を担当していたといわれている。本章では、琉球王国の染織を特集し、その美しい色彩世界とデザインを展観している。 ・白地流水蛇籠に桜葵菖蒲小鳥模様衣裳 19世紀沖縄県立博物館・美術館【展示期間:7/18~8/6】 ![]() 第二次世界大戦によって沖縄の美術は大きな被害を受け、琉球王国の絵画の多くが失われた。その全容は謎に包まれているが、現存作例や戦前の写真資料からは琉球の絵師が高い画技をもっていたことが伝わってくる。琉球の絵画はいまだ研究途上だが、ここでは主に近世琉球期(1609~1879)に描かれた作品を「琉球絵画」として紹介する。 首里王府には国際的なネットワークを通じて中国や日本絵画の優れたコレクションが集められていた。王府の貝摺奉行所に所属した絵師は、中国や薩摩藩の絵画から刺激を受けながら独自の作品を描くとともに、染織・漆芸・室内装飾のデザインを担当したといわれている。また、貝摺奉行所に属さず、王府直属のお抱え絵師(宮廷画家)として活躍するものもいた。 本章では、琉球絵画史上最初に名があがる自了(和名: 城間清豊、1614~1644)から、王国を代表する絵師である山口宗季(唐名:呉師虔、1672~1743)、宮廷画家として活躍した座間味庸昌(唐名:殷元良、1718~1767)らの作品を通じて琉球絵画の実像に迫っている。 さらに、首里王府から派遣された絵師が学んだ中国・福州画壇の作品や、江戸で一大ブームとなった「琉球使節」を主題とする品々を展観している。 ・花鳥図 山口宗季(呉師虔)筆 1715年 大和文華館【展示期間:8/8~9/2】 ![]() ![]() ![]() ![]() ・琉球進貢船図屏風 19世紀 京都大学総合博物館【展示期間:7/18~8/6】 ![]() 画像中央に進貢船、左側に那覇港,右側に首里城と城下町を配した構図の屏風は、滋賀大学経済学部附属史料館蔵「琉球貿易図屏風」、浦添市美術館蔵「琉球交易港図屏風」、沖縄県立博物館蔵「首里那覇港図屏風」が知られている。京都大学総合博物館の「琉球進貢船図屏風」は、描写の対象や手法を見る限り、滋賀大本・浦添本の系統に属するものである。 本屏風の成立を知る唯一の手がかりは、画面左上の二つの樋である。「サバニ」と呼ばれる小さな船に桶を載せて水を汲んでいる様子は,滋賀大本・浦添本にも描かれている。現在は埋め立てられて当時の様子をうかがうことはできないが,「落平(うてぃんだ)」と注記されたこの樋は、港を出入りする船のみならず,那覇の住民にとっても大切な「水汲み場」だった。 ![]() ![]() ![]() 1470年に初代尚円が国王に即位してから、琉球王国は尚家(第二尚氏)によって治められてきた。 中国と「冊封関係」をむすび海上貿易の中継地として大いに栄えた琉球王国は、1609年に「薩摩藩の侵攻」を受けて日本の幕藩制に組み込まれたが、中国と「進貢貿易」を続け、王国体制を維持した。国家の中心であった王都首里はアジア諸国の美が結びついた琉球独自の文化で彩られ、首里城は中国をはじめ各地の宝物で満ちていた。 1868年に明治政府が成立すると、いわゆる「琉球処分」によって、19代尚秦の王位が廃され、沖縄県が設置、首里城は明治政府へ明け渡された。尚家は東京居住を命じられ、首里城内にあった王家の文物の一部は東京へ移された。 その後、1945年の沖縄戦により首里城や沖縄の文化は大きな被害を受けたが、現在にも王国の至宝の数々が受け継がれており、2006年に尚家に継承されていた美術工芸85点と文書・記録類1166点が「琉球国王尚家関係資料」として「国宝に指定」された。 本章では「琉球国王尚家関係資料」に含まれる珠玉のコレクションを特別公開し、あわせて王家や首里城にまつわる貴重な関係資料も紹介している。 ・ 国宝 琉球国王尚家関係資料 玉冠(付簪)18~19世紀 那覇市歴史博物館【展示期間:8/22~9/2】 ![]() ![]() ![]() ![]() ・黒塗菊花鳥虫沈金丸外櫃及び緑塗鳳凰雲沈金丸内櫃 15世紀 個人蔵 琉球の漆芸は、中国をはじめとする周辺諸国との交流を通じて発展し、琉球王国を代表する美として花開いた。 そのはじまりははっきりとはわかっていないが、年代が推定できる最も古い琉球沈金のひとつが、1500年に「久米島」の神女が国王から拝領した勾玉をおさめたという「この作品」(↓)である。 ![]() 線を彫って金箔を埋める「沈金」、貝を切って文様のかたちに貼り付ける「螺鈿」、漆で文様を描いた上に金箔を貼る「箔絵」、顔料を油でといて描く「密陀絵」、漆と顔料をまぜた材料を貼って立体的に文様を表す琉球特有の「堆錦」など、さまざまな技法が駆使された。デザインには貝摺奉行所の絵師が関わっており、吉祥文や花鳥山水など中国的なモチーフが多く用いられている。本章では、時代によって変遷した技法の特徴や魅力を辿りながら、多彩な琉球漆芸の粋を展観している。 ・ 朱漆椿密陀絵沈金椀 16~17世紀 サントリー美術館【全期間展示】 ![]() ![]() ![]() ![]() エピローグ 琉球王国の記憶 鎌倉芳太郎(1898~1983)は、戦前の沖縄で、首里城をはじめとする建築物や美術工芸品など琉球王国時代の文化を写真に残した人物で、沖縄文化研究の第一人者である。「型絵染」の作家としても活躍し、戦後には「重要無形文化財保持者」に認定された。 サントリー美術館では、昭和47年(1972)に鎌倉芳太郎の写真を特集した「特別展観 50年前の沖縄―写真でみる失われた文化財―」(共催:琉球政府立博物館)を行ったが、ここでは、琉球王国の記憶を伝える写真の数々を鎌倉芳太郎が残した緻密な調査ノートとともに紹介する。 ・鎌倉芳太郎 琉球芸術調査記録(鎌倉ノート)81冊のうちの4冊 20世紀 沖縄県立芸術大学附属図書・芸術史料館 【追記】短編映画「わたしたちの宝物上映会」20分 @サントリー美術館6階ホール ・評価 ⇒ つまらなかった。 ・あらすじ ⇒ ある日、仲良しのミイとハナは、影の薄い転校生の佐藤さんからウサギ型の手紙をもらう。そこには、町の中に隠した「宝もの」への道順が記されていた。「なぞなぞ」を解きながら、大人の世界と子どもの世界、新旧の混ざり合う那覇の町を探検するミイとハナ。佐藤さんのウソとホントに惑わされながら、二人は宝ものを発見した。宝物は佐藤さんだった。 ![]()
by cardiacsurgery
| 2018-08-04 21:22
| アート一般
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