これは、昨日の日曜美術館のメモである。
番組のタイトルは「熱烈! 傑作ダンギ アンリ・ルソー」。
絵筆をとる晩年のアンリ・ルソー(↓、63歳頃)
若き日のアンリ・ルソー(↓)
アンリ・ルソーの真作らしき作品《漁師のいる風景》↓が、フランス・ニースの「国際素朴派芸術美術館」に寄贈された。
贈り主は匿名で、「ルソーの地元にある美術館なのに、ルソーの作品が少なかったから」という理由で寄贈したとのこと。作品には1995年12月3日付の「真作証明書」が付いていたが、念のため調査を行うとのこと。
写真は(↓)、アンリ・ルソーの《漁師のいる風景》を嬉しそうに持つ女性館長。
ルソーは1844年、マイエンヌ県ラヴァルに生まれた。
本日のゲストは3人。一人は、東京大学で美術史を専攻したミュージシャン「グローバー」。
二人目は女優の「鶴田真由」。
最後は、専門家の世田谷美術館学芸員「遠藤望」。
まずアンリ・ルソー46歳の作品《私自身、肖像=風景》1890年、 プラハ国立美術館 が登場。空に気球が描かれている。
遠藤望さんの言葉によると「ルソーって、諦めない人!」。
若い時のルーヴル美術館における模写だけが美術教育で、作品が「ヘタウマ」と酷評されても、自分自身「画家」としての矜持を保っていた。
司会は、いつものように高橋美鈴、小野正嗣の二人。
次に出てきたのは アンリ・ルソー53歳時のシュル・レアリスム作品《眠るジプシー女》1897年 ニューヨーク近代美術館。
1871年、27歳のルソーは、パリ入市税関(↓)の職員となった。しかしルソーは税関に22年ほど勤務した後、絵に専念するため1893年には49歳で退職して、早々に年金生活に入っている。
初期の作品
ルソー42歳時の作品《カーニヴァルの晩》1886年 フィラデルフィア美術館。
空には煌々たる満月が描かれ、画面下方の暗い夜景と対照的である。
アンリ・ルソー《カーニヴァルの晩》部分(↑)では、暗い夜景から白い服装のカップルが浮かび上がっている。
長野・諏訪「ハーモ美術館」 アンリ・ルソーの作品9点所蔵。
関たか子・ハーモ美術館館長(右)、森全景・同学芸員(中)、ゲストのグローバー・ミュージシャン (左)。
アンリ・ルソー《釣り人のいる風景》ハーモ美術館
《釣り人のいる風景》部分1:樹には影が付けられているが、人物には影がない。
《釣り人のいる風景》部分2:樹には影が付けられているが、この人物にも影がない。
《果樹園》1886年 ハーモ美術館
展示室の《果樹園》と《釣り人の居る風景》ハーモ美術館
《果樹園》下部
《果樹園》中部
《果樹園》上部
神奈川箱根「ポーラ美術館」
アンリ・ルソー《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》1896-98年 ポーラ美術館
肖像画アンリ・ルソー《子供の肖像》1908年 オランジュリー美術館
アンリ・ルソー《フリュマンス・ヴィッシュの肖像》 1893年頃 世田谷美術館
アンリ・ルソー《私自身、肖像=風景》1890年、 プラハ国立美術館
《私自身、肖像=風景》部分 日本地図?
《私自身、肖像=風景》部分 日本国旗 ジャポニスム?
《私自身、肖像=風景》部分 パレット
《私自身、肖像=風景》パレット 上下逆転 最初の亡妻クレマンスと2番目の亡妻ジョセフィイの名入り。
1888年、最初の妻クレマンスが亡くなった。生まれた子供も幼くして亡くなり、2番目の妻ジョゼフィーヌにも1903年に先立たれるなど、家庭生活の面では恵まれていなかった。
《私自身、肖像=風景》を描いたルソーは、自分自身は「画家である」と表明している。
遠藤望・世田谷美術館学芸員曰く:ルソーは「書割」が上手い。
アンリ・ルソー《子供の肖像》1908年 オランジュリー美術館
遠藤望・世田谷美術館学芸員曰く:《子供の肖像》↑は前衛的ともとれる作品であるが、ルソー自身は前衛や絵画の革命をおこそうとは全く考えていなかった。
密林画 ヴァイオリンを弾く晩年のルソー
アンリ・ルソー《ヘビ使いの女》 1907年 オルセー美術館
アンリ・ルソー《馬を襲うジャガー》1910年、プーシキン美術館
この画は「プーシキン美術館展」@東京都美術館に出展中(7月8日まで)。
作家原田マハさん
原田マハ「楽園のカンヴァス」新潮文庫
アンリ・ルソーの作品は、良くなって進化している(↓、《豹に襲われる馬》部分 1910年 プーシキン美術館)。
アンリ・ルソー《夢》1910年 ニューヨーク近代美術館
アンリ・ルソー曰く:幻想的な主題を描いていたある日、私は窓をあけなければならなかった。恐怖にかられたのである。
女優・鶴田真由さん曰く:《夢》では、ルソーは三歩ぐらい“向こうに”入って描いているのでしょう。
美術散歩 管理人 とら