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「ユネスコの世界遺産委員会」は、2018年6月30日、長崎・熊本両県に点在する12の「構成資産」から成る「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を日本列島西端に刻まれた近世キリシタンの記憶として「世界文化遺産」に登録することを決めた。
なお、大浦天主堂以外の見学に関しては、事前申込が必要である(こちら)。 ![]() ![]() ![]() ![]() 2.長崎・平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)長崎県平戸市 Wikipedia ![]() 3.平戸の聖地と集落(中江ノ島)長崎県平戸市 Wikipedia ![]() 4.天草の﨑津集落 熊本県天草市 Wikipedia ![]() ![]() 5.長崎・外海の出津集落 長崎県長崎市 Wikipedia ![]() 6.長崎・外海の大野集落 長崎県長崎市 Wikipedia ![]() ![]() 7.長崎・黒島の集落 長崎県佐世保市 Wikipedia ![]() 8.長崎・野島崎の集落跡 長崎県北松浦郡小値賀町 Wikipedia ![]() ![]() 9.長崎・頭ヶ島の集落 長崎県南松浦郡新上五島町 Wikipedia ![]() ![]() 10.長崎・久賀島の集落 長崎県五島市 Wikipedia ![]() 11.長崎・奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)長崎県五島市 Wikipedia ![]() ![]() 12. 長崎・大浦天主堂 長崎県長崎市 Wikipedia ![]() ![]() 【追記】「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」@TBSテレビ 2018/7/8 18:00~1830 番組紹介サイト⇒こちら 番組紹介インタビュー(長崎放送城代ディレクター):引用↓ ──今回は、新たに世界遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」です。どのような遺産なのか教えてください。 城代ディレクター(以下、城代):長崎県から熊本県の天草地方にかけての地域は、江戸時代より以前にキリスト教の宣教が盛んに行われた地域でした。江戸時代から明治時代初頭にかけて、キリスト教は禁教とされました。そのため、キリスト教を信仰していたキリシタンの一部は「潜伏キリシタン」となり、約250年にわたって信仰を守ったんです。その、他に例を見ない歴史的な事実と、その間に育まれた固有の宗教的な文化が対象となっている遺産です。 (画像)美しい海と島々が点在する五島列島には、数多くの潜伏キリシタンが移住してきました。 ──潜伏キリシタンの人たちは、どうして隠れる必要があったのでしょうか? 城代:禁教令が公布されてからの、キリシタンへの迫害はひどいものでした。有名な絵踏などを行ってキリシタンをあぶり出し、見つけると改宗を迫りました。しかし、熱心なキリシタンや宣教師などは簡単に改宗するわけはなく、しばしば拷問が行われました。長崎には雲仙地獄というマグマの影響で高温の噴気が噴出している観光地があります。当時はキリシタンに対する拷問として、ここで熱湯を体にかけられたり、熱湯の中に突き落とされたりし、それでも改宗しない場合は殺されました。実際、大勢のキリシタンが拷問の果てに命を落としました。 (画像)長崎県の島原半島にある原城跡。普賢岳を望むロケーションで、美しい海が広がる場所ですが、ここからおびただしい数の人骨が発見されました。島原・天草一揆で殺されたキリシタンと思われます。 ──相当厳しい迫害に遭ったんですね。 城代:はい。世界遺産に登録された原城跡からは、12年前におびただしい数の人骨が発見されました。ここは、島原・天草一揆が起こった場所なんです。この一揆では、幕府軍によって2万人を超えるキリシタンが殺されました。 (画像)マリア像に見立てて祈りを捧げられていた、マリア観音。キリスト教が禁教とされ、自分たちの信仰をカモフラージュするために使われました。キリシタン墓と呼ばれるお墓にお参りに来たときは、石で十字架を作って祈りを上げ、終わったら崩して証拠をなくしました。 ──潜伏キリシタンは、どのようにして信仰を隠していたのですか? 城代:さまざまな方法で隠していました。表向きには、仏教や神道を信仰しているふりをして自分たちの神に祈ったり、儀式なども証拠が残らないような方法で行ったりしていました。例えば、マリア観音と呼ばれる観音菩薩像があるのですが、これは聖母マリア像に見立てて祈りを捧げていたものです。そして禁教が始まって150年ほど経ったころ、潜伏キリシタンは人目に付きにくい僻地に移住しました。 ──潜伏キリシタンの人々は、どんなところに移住したのでしょうか 城代:五島列島を中心とした離島です。中にはたどり着くのもたいへんな島もありました。しかも集落を作ったのは、離島の中のさらに僻地でした。できるだけ人目に付かない場所で生活することで、密かに信仰を守ろうとしたんです。潜伏キリシタンが暮らしていた形跡を探して、2つの集落を撮影しました。 (画像)潜伏キリシタンが開墾して暮らしていた、野崎島の集落跡。急な斜面に段々畑が作られていました。禁教から解放された後に建てられた教会が残されています。 ──撮影で訪れた集落の様子を教えてください。 城代:まず、五島列島の北にある野崎島です。1970年代初頭に最後の6世帯が集団移転して以降、無人島になっていて、今は集落跡が残されています。島に上陸して驚いたのですが、集落があった場所は島の奥地で、とても人が快適に暮らせるとは思えないような急斜面でした。もうひとつの集落は、平戸島の春日集落です。ここは美しい棚田が残されていることでも有名です。やはり山間部の斜面を開拓したので、棚田になっているんですね。潜伏キリシタンは、そんな場所を開墾し、ひっそりと暮らして信仰を守っていたのです。 (画像)美しい棚田が残されている、平戸島の春日集落にも潜伏キリシタンが暮らしていました。山間部の斜面に作られています。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2018-07-01 14:43
| 国内アート
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