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これは悪女伝説「皇妃 エリザベート / 女スパイ マタ・ハリ」のメモである。
[BSプレミアム]2018年6月20日(水) 午後9:00~午後10:30(90分) 【番組概要】 「悪女」の素顔に迫る歴史エンタメ。国を傾けたとされる美貌の皇妃エリザベートと軍事機密を盗んだ罪で処刑された踊り子マタ・ハリ。バカリズムが誘う美しすぎる悪女の世界 【番組詳細】 世界に名をはせた「悪女」の素顔に迫る歴史エンターテインメント。 1.皇妃エリザベート 第一は、奔放な行動と浪費でオーストリア帝国を傾けたとされる美貌の皇妃エリザベート。彼女は「悪女」なのか、「ヒロイン」なのか。 そんな生活は1853年8月、姉ヘレーネの見合い相手だった、母方の従兄である皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められて求婚されたことによって終わりを告げた。 1854年4月、エリザベートは16歳で結婚、オーストリア皇后となった。 穏健独立派のハンガリー貴族ジュラ・アンドラーシ伯爵と知り合い、1866年の普墺戦争敗北を受けて、翌1867年にハンガリーの自治権を認めたアウスグライヒ(妥協)を締結するにあたっては、陰の推進者の役割を果たした。 第二は、フランス政府要人を誘惑し、スパイ行為を働いたとして処刑された謎の踊り子マタ・ハリ↓。 父はアダム・ツェレ、母はアンテェ・ファン・デル・ムーレン。4人兄弟の長女だった。 一家は離散し、マルガレータは自分の後見人であるHeer Visserが住むライデンに移住した。同地で、マルガレータは幼稚園の教諭になるために勉強したが、学長が彼女と露骨に戯れるようになったため、気分を害した後見人によって施設から追われた。わずか数か月後、彼女は叔父の家があるデン・ハーグに逃れた。 その後、新聞広告に掲載された結婚相手募集によってルドルフ・ジョン・マクラウド大尉と結婚し、2児を儲けたが離婚。 1916年、マタ・ハリは40歳になっていた。この当時も、相変わらず愛人がおり、この時の相手はフランスのパリで知り合ったロシア人将校ウラジミール・ド・マスロフだった。 (↓)はサンザール刑務所で撮影されたマタ・ハリの最後の写真である。 1917年10月16日、フランスの新聞「フィガロ」に、以下のような記事が掲載された。 第一次女世界大戦中において、ドイツとフランスの二重スパイとして活動していた女性マタ・ハリの処刑に関する記事である。マタ・ハリは1917年7月24日、パリ第三軍法会議で死刑の判決を受けた。罪状は、スパイ活動をしていたこと、および敵国ドイツへ情報を伝えていたことである。 彼女はフランス国外で、ドイツ軍の幹部や情報局と直接連絡をとっていた。1916年の5月以降、彼女はスパイ活動に対して、ドイツ側から多額の報酬を受け取っている。 物的証拠を示され、彼女は全ての罪状を認めた。全員一致で死刑判決が出され、昨日の早朝、死刑は執行された。 処刑の際、銃殺隊はマタ・ハリの美貌に惑わされないよう目隠しをしなければならなかった。 番組は、美しすぎる二人の「悪女」の波乱の人生をたどる。 スタジオでは、歴史好きのバカリズムが「悪女ワールド」へ誘う。 加賀まりこ、ブルゾンちえみ、大久保佳代子、橋本マナミ、菊地亜美、田中みな実 【コメンテーター】漫画家・ヤマザキマリ、舞台演出家・石丸さち子【司会】バカリズム、西銘駿
by cardiacsurgery
| 2018-06-15 16:48
| 国外アート
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