静嘉堂文庫美術館で開催中の「
歌川国貞展」に触発されて、「双筆五十三次」をまとめてみた。
0.宿つぎ目録
1.日本橋 なぜ子供の手に槍持の人形が?⇒「目録」は「
魚 日本橋」となっているだけ。
広重が 日本橋の橋脚から一石橋、江戸城、富士を見通した風景を描き、前面に国貞が奴人形の玩具を手にした子供と町娘を描いている。人形は毛槍を持った奴で、大名行列の起点である日本橋を想起させる。
2.品川 女性たちが身支度する場所は?⇒「目録」では「
品川 身支舞部屋」となっている。
広重が品川沖を描き、国貞が品川遊郭の女たちを描いている。鏡台の上に広げられているのは浄瑠璃本。
3.川崎 女性が作っている小箱は何?⇒「目録」では「川崎 麦藁細工」となっている。
広重が六郷の渡しを描き、国貞が川崎宿の箱に麦わらで張り細工(麦わら細工)している女性を描いている。
4.加奈川 なぜ男は女装しているのか?⇒「目録」は「鎗持 神奈川」で、「鎗持ち」は地元の「お札まき祭」に関連している。
「お札まき祭」とは
① 横浜市戸塚区戸塚町の八坂神社で毎年7月14日に行われる。
② 八坂神社の祭神は疫病神「牛頭天王」。元禄年間に流行したコレラを退治してくれるといわれたのがそもそもきっかけ。
③
踊り子の男性は八坂神社の氏子から選ばれる。
④ そのうち、
リーダー格の男性のみは島田髷のかつらをかぶる。
⑤ その男性が「正一位八坂神社御守護」と摺られた
五色(青、赤、黄、緑、白)の札をうちわで煽って天に舞わせる。
⑥ 札を家の戸口や神棚に貼ると厄除けになると伝えられている。
5.程かや 手に持つ柄杓は何のため?⇒「目録」では「保土ヶ谷 伊勢参り」となっている。
柄杓を持つ少年は伊勢参りの「抜け参り」。柄杓を差し出すと、道中の人々がお金や米をもらえた。
6.戸塚 「目録」は「戸塚 旅人宿女」となっている。
旅籠屋での夕餉の場面が描かれている。
7.藤沢 「目録」には「照天
姫 藤沢」
双筆五十三 次の藤沢には、女性が車を引いている姿が描かれている。これは、歌舞伎や浄瑠璃の「照手車引の段」を思い浮かべたもの。上部の南湖の松林の奥行きは、熊野までの長い道のりを暗示させる。
8.平塚 目録では「ひらつか 給仕女」となっている。
平塚宿は、東海道五十三次のうち七番目の宿場。宿場の大きさは東西に約1・5キロあり、幅約7メートル~11メートルの道の両側に、約50軒の旅籠が並び酒屋や蕎麦屋などいろいろな商店も軒を連ねていた。
9.大磯 「目録」では「大磯
虎 祐成」となっている。男は曽我十郎祐成で、女はその妾・虎御前。
10.小田原 「目録」では「小田原 湯本」となっている。
お土産売りの少女が手を入れる箱の中には駒が入っており、外には寄木細工の箱が置かれている。
11.箱根 「目録」では「箱根躄(いざり)」となっている。
提灯を持った男が躄車に乗り、後から女房が房で押している。二人は仇討に向かう途中、ストーリーは「
箱根霊験躄仇討」を参照されたい。
12.三嶋 「目録」では「
三島於千」となっている。歌舞伎「三島於千」で男を斬る初代・坂東しうか(将棋駒模様)が描かれている。
13.沼津 目録は「於米 重兵衛」。ストーリーは「
伊賀越道中双六」という芝居を参照。
14.はら
「はら」(現在の静岡県沼津市)は江戸から十三番目の宿場。右手に「白酒」と大書した扇子を広げ、手拭いを粋にかぶった白酒売りが前面に立つ。背景の右下に「柏原」の名が見えるが、柏原の白酒は「富士の白酒」といわれ、道中の名物だった。
15.吉原 目録は「吉原西行」となっており、「山」印の下に「見」という文字が記されている。
西行法師が見上げる富士山は左富士である。
16.蒲原 目録は「宿引」となっている。
絵には、旅人の荷物を取って、強引に旅籠に連れ混む客引き女が描かれている。
17.由井 目録は「宮城野 しのぶ 姉妹」となっている。
奥州白石の逆戸村に住む百姓・与太郎は、自分の娘が投げた田んぼの草で泥がはねたと難癖をつけた侍・志賀団七に殺された。
この絵は、志賀団七に対する姉妹:満千・園、改め姉妹:宮城野・信夫のの仇討物語を描いたもの。
田んぼを売って路銀を得た姉妹は、 江戸で軍學兵法の名人「由井正雪」の門を叩いた。 話を聞いた正雪は「よし、三年の内に天晴仇を討てるようにしてやろう」と請け負った。 姉妹は三年の後も辛抱を重ねて五年の修練を積み、姉は鎖鎌、妹は薙刀の達人となった。
江戸幕府へお伺いを立てて裁可を取り付けた二人は仇討に向った。まず宮城野が団七の腕を絡め取り、信夫が薙刀で団七の腕を落とし、最後に宮城野が鎌の刃で首を落とした。
姉妹は髪を下して仏道に入り、宮城野は慶化尼、信夫は慶融尼と名を変えて念仏三昧の日々を過ごした。後に由井正雪が大逆の罪によって処断されると、二人はその首を貰い受けて駿府の弥勒寺に庵を結び、生涯をかけて菩提を弔ったという。
18.興津 目録は「奥つ旅按摩」となっている。
女は旅人、傍に置かれているのは葛籠と菅笠、按摩の右目は突出し、左目は閉じている。コマ絵には、魚網を干す網干の風景が描かれている。
19.江尻 目録は「
江尻 三保 羽衣」となっている。
江尻は現在の清水港(静岡市)の西側に位置し、有名な三保の松原が遠望できた宿である。三保は富士山を望む白砂青松の景勝地で、天女が衣を掛けたといわれる羽衣の松がある。羽衣伝説は日本の各地に伝わるが、ここ三保は謡曲「羽衣」の舞台としても知られる。 シリーズ中他の作品では上部にある風景のコマ絵が、空を舞う美しい天女を効果的に見せるため下半分に描かれている。
20.府中 目録は「安倍 茶摘 府中」となっている。
若い女の抱える籠や子供が天秤棒につるした籠には茶葉が入っている。安倍川流域で作られた本山茶は徳川家康に好まれ、徳川家御用達となった。コマ絵に描かれているのは「安倍川の渡し」の風景。
21.鞠子 目録は「鞠子 十団子(とうだんご)」となっている。
鞠子といえば名物とろろ汁を出す店を描いた絵が多いが、ここでは次の岡部宿へ向かう途中の宇津谷峠の茶店をとりあげている。お盆を手にした女性の前の床机に見えるのは十団子(とうだんご)と呼ばれる名物で、小さな団子を10個づつ麻糸に通し数珠玉のようにして売った。
多くの道中記に名物として記されている。かつて宇津谷峠は昼でも暗く、人食い鬼が旅人を悩ませていた。団子の形状は地蔵菩薩がこの悪鬼を退治した伝説に因むという。十団子は道中安全や厄除けのお守りとしても親しまれてきた。
22.岡部 目録は「岡部 六弥太」となっている。
武士の名は「岡部六弥太」で、「岡部宿」と「岡部六弥太」が掛けてある。
岡部六弥太は、源平時代に活躍した武士。一の谷合戦では義経の指揮下に入り、敵方の平忠度を打ちとった。「一谷嫩軍記」では、その時六弥太が義経からが忠度の歌が「千載集」に採録されたことを伝え、その歌の短冊を結びつけた桜の枝を忠度に渡すように命ぜられた。六弥太が手に持っているのはその桜の枝で、短冊が結ばれている。
「
さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな」(千載集六十六)
一ノ谷の戦いで、忠度が岡部六弥太に討たれた時、箙に結びつけられたふみを解いてみると、「旅宿の花」という題で一首の歌が詠まれていた。
「
行くれて木の下かげをやどとせば花やこよひのあるじならまし」
唱歌「青葉の笛」の二番は、平家物語巻七「忠度都落ち」と巻九「忠度最期」の二場面を、続けて歌っている。即ち、一度都落ちした忠度が京に取って返して歌の師・藤原俊成に、近々編纂される勅撰和歌集のために自分の歌を託した事と、一の谷で忠度が討たれた時(「今はの際間」)に箙の中に残っていた歌が、「
花やこよいのあるじならまし」であったことを歌っている。
「
更くる夜半に門を敲き わが師に託せし言の葉あわれ 今わの際まで持ちし箙に 残れるは”花や 今宵”の歌」
23.藤枝 目録は「セト川 歩行渡」となっている。
瀬戸川は藤枝宿から少し西にいったところにある川で、水量が少ないため、1年のうち半分ぐらいは、徒歩で渉ることもできた。三代豊国の画では、縞柄の小袖を着た姉さん被りの女性が煙管の灰をたき根付に落としている。
24.嶋田 目録は「鴫 大井川 旅女」となっている。
粋な旅女は、源氏香模様の手拭で姉さん被り、菅笠を首からぶら下げ、煙管から捨てた吸殻は描かれず煙でそれを表している。女性の傍にあるのは大井川の渡しに使う「輦台」。広重のコマ絵は大井川の渡しだが、舞い上がる鳥の群れは目録の鴫だろうか。
25.金谷 目録には「金谷 ごぜ」と記されている。
描かれた女性は人形浄瑠璃や歌舞伎の「
生写朝顔話」に登場する失明して瞽女(ごぜ)となった深雪で、朝顔模様の着物を着ており、頭には朝顔の髪飾り、扇子には朝顔の歌が書かれている。御雪の背後にあるのは琴に入った包みと杖。
26.日坂 目録は「無限 鐘 日坂」
髪に簪をいくつも挿した女が、柄杓を振り上げ、その前の手水鉢から激しく水しぶきが上がっている。女の名は「梅ヶ枝」で、人形浄瑠璃や歌舞伎で有名な「ひらがな盛衰記」と農場人物である。恋人の梶原景季が出陣するに当たり鎧が必要になるが、鎧は300両で質に入れてある。途方に暮れた梅ヶ枝は「現世では富を得るものの来世では無間地獄に落ちるという「無間の鐘」の伝説に見立てて手水鉢を柄杓で打った。江戸俗謡「梅が枝の手水鉢」には、「梅が枝の手水鉢 叩いてお金が出るならば もしも お金が出た時はその時ゃ 身請けを そうれ 頼む」とある。
27.掛川 目録は「掛川 田舎娘」
手拭を姉さん被りにした若い田舎娘は、首に菅笠を掛け、梅の花をあしらった着物に麻の葉鹿の子模様の帯を締めている。動きやすいように着物はたすき掛けとし、腰にはしごき帯を締めて裾を端折り、裾の下から脚絆が見えている。女性は右手に大きな薬缶を持っている。沸かしたお茶を入れるのだろう。女性の傍らには赤い着物を着た男の子、弟だろうか。その隅取腹当は弁慶格子模様で、左手には風呂敷包を持っている。こちらはおそらくお弁当の包み。
28.袋井 目録は「
袋井 女順禮」
姉と弟とおぼしき二人が手に持った柄杓を差し出している。この二人の子供は「抜け参り」で、柄杓を差し出してお布施をもらっている。もっとも弟の方は口にくわえた団子を食べることに夢中である。娘は首から「納札」を何枚も下げている。名前・出身地・生年などが書かれていて、巡礼先の霊場に納めるお札である。傘の「同行二人」は四国巡礼では弘法大師が一緒に歩いているという意味。「阿多利繁栄村」は縁起をかついだ出身地なのだろう。コマ絵に描かれた大きな馬の尻は、名所江戸百景「内藤新宿」を想起させる。
29.見附 目録は「見付 天龍門」
二人が見上げる先には富士山が見えているはず。見附宿の名前の由来は、京から東海道を下ってきた場合、最初に富士山が見えるのがこの場所ということなのである。
コマ絵は天龍川。浮かんでいる船は「高瀬舟」という小型船で、旅人を数人ずつ乗せて対岸に渡す。川の中央に中州が描かれている。
30.浜松 目録は「乗懸
馬 濱枩」
眉を剃り、お歯黒をした年増が絣模様の合羽きを着て馬に乗っている。馬の背に明荷(あけに)と呼ばれる籠が両側に括り付けられ。その上に布団などを敷いて旅人が座る。馬の背の腹当には「仕合𠮷」という縁起を担ぐ文字が染め抜かれている、後には人足の顔が見え、その背中にも荷物が見える。街道の旅人の中には、お金を払って人足や馬に荷物を運んでもらう人もあった。これらは宿場ごとに設けられた問屋場で手配され、荷物の量や形によって、馬に荷物だけを乗せる「本馬」・旅人と明荷二つ分の荷物を乗せる「乗懸」・馬に軽い人や荷物だけを乗せる「軽尻」などがあった。ここは目録にある通り「乗懸」。
31.舞阪 目録は「
舞サカ 瞽女道行」
描かれている杖を突きながら歩く女性たちは、二、三人単位で街道沿いの家々を訪ねては門付けをして、三味線の弾き語りなどをする盲目の芸人「瞽女」。コマ絵は浜名湖の風景。舞阪宿は浜名湖の南側に位置している。
32.荒井 目録は「
湖 荒井」
山の関所「箱根」とともに「入鉄砲・出女」のチェックが厳しかった海の関所「荒井」。そこをすり抜けるため女性が男装することが少なくなかったらしい。sex-check を実施しているのは「あらため婆」。
33.白須賀 目録は「白須賀 児雷也」
児雷也とは、天保10年(1839)から美図垣笑顔が手がけた合巻「児雷也豪傑譚」の登場人物。作品の挿絵を手がけたのは歌川国貞だった。本図に描かれた図様は「児雷也豪傑譚」六編の挿絵に似ている。賊に母子が襲われ、母親が瀕死になるところへ鮫鞘四郎(実は児雷也)が駕籠で通りかかり、赤子を引き取る場面。本作の児雷也の顔は、原作とは異なり、嘉永5年(1852)に、河原崎座で歌舞伎「児雷也豪傑譚話」として初演された際に児雷也を演じた八代目市川団十郎の顔になっている。
34.二川 目録は「二
川 荵賣」
二人の若い女性は、花簪を挿し、石畳模様の帯を締め、源氏香模様があしらわれた振袖を着ている。左の女性の傍らには夏に料を得るための「釣荵」が置いてある。これは人形浄瑠璃や歌舞伎の「双面物」で、二人の同じ姿をした女性が所作を行うのである。描かれているのは「隅田川続俤」の所作事「両面水照月」で、「葱売り」に身をやつした要助とお組の前に、お組の姿に身を変えた野分姫と法界坊の亡魂が現れる。本図では、双面(ふたおもて)と二川(ふたがわ)宿をかけている。
35.吉田 目録は「吉田 阿蘭方」
眉を剃り、美しい振袖に身を包んだ女性が、左手をかたわらの裃を着た男性の膝に置き、男性は困惑している。この男性の風貌は八代目市川団十郎で、裃には弥太格子や牡丹、瓢箪のような団十郎ゆかりの文様が見える。目録は「吉田 阿蘭ノ方」となっているが、阿蘭の方が登場する「義臣伝読切講釈」にはこのような場面は見当たらないとのことである。本図の出版時期の安政二年(1855)4月に近い嘉永五年(1852)11月上演の「忠孝仮名書講釈」にも阿蘭の方が登場するので、あるいはこちらの方かもしれない。
36.御油 目録は「御油 ⌒本 直江」ちなみに「⌒本」=「山本」
顔に隈取が施された二人の歌舞伎役者が見栄を切っている。手前の裃を着た人物は右手に巻物を持っている。二人は人形浄瑠璃・歌舞伎「本朝廿四孝」の登場人物、武田信玄の軍師「山本勘助」の遺児、奥が「横蔵」、手前が「慈悲蔵」である。二人は老母と暮らしているが、実は「横蔵」は「武田信玄」に仕える身、「慈悲蔵」は「長尾謙信」に仕える身である。ところが「横蔵」は長尾景勝に似ているため、自分の身代わりとするため、母に仕官の話を持ちかけた。母は「横蔵」に切腹を迫ったが、横蔵は拒否して、自分の右目を抉り、武田信玄に仕えるる身であることを明かし、じぶんは「山本勘助」の名を継ぎ、弟には父から伝わる軍法の巻物を譲った。御油宿は山本勘助のは出身地。横蔵は五代目松本幸四郎、慈悲蔵は三代目坂東三津五郎の相貌になっている。
37.赤坂 目録は「三州坂 一螮 萬歳」ちなみに「一螮」=「英一螮」
三河万歳を演じる太夫(右)と才造(左)。太夫は、風折烏帽子をかぶり、結綿紋をあしらった素袍を着て、扇面を手にしている。才造は、大黒頭巾を被り、袴をはいて鼓を手にしている。万歳は正月を寿ぐ門付芸で、鼓に合わせて舞いながら掛け合いで祝詞を述べるものである。徳川家康に保護された三河万歳の芸人は帯刀を許されていた。豊国の落款の隣に記された「英一螮」という画号は、「英一蝶」に傾倒して英派の絵師英一珪に入門していた国貞時代の豊国の号である。
38.藤川 目録は「藤川
女 旅人」
旅姿の二人の女性。左は黒の塗笠を被り、振袖の上に一枚重ねてしごき帯をしめ、右手に杖を持った若い娘で、左手は向い側の女性の肩に置いている。右は年増で、丸髷に眉を剃り、鉄漿を施しており、身をかがめて若い娘の鼻緒をなおしてやっている。年増も小袖の上に魔除けの浴衣を羽織り、腰下で扱き帯を締めて、裾をからげているようである。
39.岡崎 目録は「岡嵜 浄瑠璃姫」
描かれているのは、お伽草子や古浄瑠璃で古浄瑠璃から知られる物語「十二段草紙」に登場する「浄瑠璃姫」と「牛若丸」の姿。金売吉次とともに奥州に下る牛若丸は、三河の国・矢矧の里(現在の岡崎市)の長者の娘・浄瑠璃姫を見初め、契りを結んだ。奥州への旅の途中なのでいったん別れたが、牛若丸は蒲原宿で大病に罹り、吹上の浜に打ち捨てられた。お告げにより、これを知った浄瑠璃姫は吹上の浜に急ぎ、祈ったところ牛若丸は蘇り、奥州への旅を続けることができた。コマ絵の描かれているのは、矢矧川に架かる矢矧橋と岡崎城。
40.池鯉鮒 目録は「業平
八橋 池鯉鮒」
描かれているのは、在原業平。「伊勢物語」第九段「東下り」に、「八橋」のエピソードが記されている。業平は都での生きがいを無くして東の国に旅立った、途中、三河の国・池鯉鮒宿近くで「八橋」という場所を通りかかり、木陰で休んでいると、美しい杜若(かきつばた)を見つけた。そこで「かきつばた」の五文字を取って、「から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」と詠んだ。本図で業平と従者が見つめる先には杜若があると思われる。
41.鳴海 目録は「鳴海 丹右ェ門」
この「鳴海 丹右ェ門」は、人形浄瑠璃や歌舞伎の「伊賀越物」の登場人物。腰のあたりに鉄砲を構えている白髪の老婆が「沢井股五郎」の母「鳴海」、隈取を施し、腰に刀を差した男性が「佐々木丹衛門」。関東管領上杉家の家臣「和田行家」が「沢井股五郎」に殺されたのが物語の発端で、「沢井股五郎」の母「鳴海」は、息子の引き渡しを求める上杉家の使者「佐々木丹衛門」に鉄砲を突き付けて息子を守っている。
42.桑名 目録は「桑名
蛤 乙姫浦島」
桑名の名物は焼き蛤。司馬遷の『史記』(天官書)に「海旁蜃気象楼台」とあり、古く中国では蜃、すなわち大はまぐりが気を吐いて海中に楼閣をみせるといわれていた。そこから竜宮城、そして浦島につながる。白魚漁の網を中央に据えた桑名港の風景のまえに、中国風の衣装を着け龍に波の豪華な冠を頂いた美しい乙姫と玉手箱を抱え釣竿を肩にした浦島を配している。
43.宮 目録は「宮 景清」
両手で蛇の目傘を差し、「南無観世音菩薩」の文字模様の着物着て、見得を切っている男は、幸若舞・謡曲・人形浄瑠璃・歌舞伎で知られた「平景清」。八代目市川団十郎は、弘化3年(1846)7月、河原崎座で上演された「真似三升姿八景」で、景清を演じている。コマ絵には、帆掛け舟と熱田浜の様子が描かれている。
44.四日市 目録は「範清 写画 四日市」
玉手箱を抱えた「浦島太郎」と中国風の衣装を身に着けた「乙姫」が描かれている。安政元年(1854)8月、河原崎座で上演された「吾孺下五十三駅」の中の所作事(舞踊劇)「
桑名浦島浪乙女」で、初代坂東竹三郎が浦島を、初代坂東しうかが乙姫を演じている。このことから
桑名と
浦島を結びつけられた。コマ絵に描かれた大きな網は、桑名名物の白魚漁の網。右手には「桑名城」も描かれている。
45.石薬師 目録は「石薬師 弁けい」
描かれた「弁慶」は、輪宝紋をあしらった黒の素襖を身に着け、右手に太刀を持って見得ををきって切っている。これは人形浄瑠璃・歌舞伎の「御所桜堀川夜討」の弁慶である。源義経が平時忠の娘「京の君」を妻としているため、源頼朝からかけられた謀反の疑いを晴らすために、「京の君」を殺して、その首を差し出せと命ずる。弁慶はそのために「侍従太郎」の館に訪れた。侍従太郎は京の君の身代わりに、「腰元信夫」の首を差し出そうとするが、「信夫の母おわさ」は「信夫は昔ある男と契りを交わして生まれた子なので、その男に会うまでは信夫の首は差し出せない」と云う。そこに弁慶が現れ、自分こそ信夫の父であると名乗り、おわさと昔取り交わした片袖を見せる。弁慶の前に置かれているのは、「京の君」ならぬ「腰元信夫」の首を受け取るための首桶なのである。コマ絵に描かれた一本の桜の木は、「源範頼」が平家討伐の際に、鞭代わりに使っていた桜の枝を地面に刺したところ生着したとされる「蒲桜」で、一時「義経逆桜」と呼ばれていた。画面左の社は「御曹子社」とも呼ばれ、「源範頼」を祀った神社である。
46.庄野 目録は「庄野 女人旅」
旅姿の女性が二人描かれている。左は若い娘で、振袖のような形の縞模様の合羽を身に着け、手に杖を持っている。右に佇むのは、眉を剃った年増で、右手に煙管を持っている。髪を櫛・笄・簪で飾り、小袖の上に塵除けの浴衣を着用し、扱き帯で裾をからげている。「仮名手本忠臣蔵」八段目の戸無瀬と小浪による道行の場面が想像できる。コマ絵は一面の雪景色。陀面中央に鳥居、その先に熊野ノ社(熊野神社)が見える。画面左遠景の丘は「白鳥塚」(能褒野王塚古墳)。
47.亀山 目録は「
かめやま 赤ほり 水右衛門」
描かれているのは亀山の仇討の敵役「赤堀水右衛門」が、月代を伸ばし、頭に鉢巻をして刀を構えている。伊勢の「亀山」城下で、「赤堀」「水右衛門」を討つのは、父と兄を殺された石井半蔵・源蔵兄弟。本図に描かれた水右衛門は、この配役で当りを取った五代目松本幸四郎(鼻高孝四郎)。コマ絵には「亀山城」描かれている。
48.関 目録は「
関 蝉丸 上臈」
目をつむって琵琶を弾いているのは、盲目の琵琶法師・歌人の蝉丸。蝉丸が隠棲した「逢坂の関」の「関」と五十三次の「関宿」が関連している。本図の右に描かれた女性は、謡曲「蝉丸」では、醍醐天皇の盲目に生まれ付いた第四皇子「蝉丸」を訪れる姉、すなわち醍醐天皇の第三皇女「逆髪」であり、義太夫節「蝉丸」三段目では、蝉丸のもとを訪れる恋人「直姫」である。コマ絵の急坂の上に見える関所は、古代の三関(鈴鹿の関・逢坂の関・不破の関)の一つ「古代鈴鹿之関」で、席宿の西側、現在の「関町新所」の辺りである。関宿は「関の地蔵さん」と呼ばれる地蔵院の門前町として発展した。
49.坂之下 目録は「平・治 坂の下」
二人の男は、人形浄瑠璃や歌舞伎で知られる「勢州阿漕浦」に登場する阿漕の平治(右)と平瓦治郎蔵(左)。阿漕の平治は、母の病に効果があると云われる戴帽魚(やぼち)を禁漁区の阿漕浦に取りに行き、図らずも一振りの刀を網に掛けた。この刀は、桓武天皇から奪われた三種の神器の一つ、十柄の宝剣。本図の二人の男はこの宝剣を奪い合っている。「阿漕の平治」はもともと桓武天皇の忠臣・坂上田村麻呂に仕えた身。「平瓦治郎蔵」は三種の神器を守護していた人物で、宝剣を探し求めていた。平治は治郎蔵の主筋にあたる関係だった。平治は役人に密猟の罪を問われるが、治郎蔵は主筋の平治の身替りになろうとした。その際、密猟の現場にあった平治の菅笠に「平治」と書いてあるのを、これは平瓦治郎蔵の「平」と「治」を略して自分で書いたと云い張り、平時の代わりに縄にかかった。本図の平治の顔は、八代目片岡仁左衛門を思わせる。
ちなみに「田村磨鈴鹿合戦」の四段目を独立させた「勢州阿漕浦」の続編ともいうべき「田村磨鈴鹿合戦」では、平治が宝剣を坂上田村麻呂に献上し、田村麻呂が逆賊を成敗することになっている。
コマ絵に描かれているのは、鈴鹿山脈の筆捨山と麓を流れる八十瀬川。
50.土山 目録は「白井権八 土山驛」
白井権八とは、人形浄瑠璃や歌舞伎に登場する実在の浪人「平井権八」がモデル。比田井権八はもと鳥取藩士で、父の同僚を殺害したため。脱藩して江戸へ逐電。吉原で遊女小紫と深い仲になり、遊興費を得るため日本堤で通行人を殺して金品を奪い、その咎で鈴ヶ森で処刑された。
また権八には、大坂で自首して江戸へ護送される途中に、網駕籠を破って逃走したという伝承があり、歌舞伎にも「駕籠破り」をする権八の演出がある。本図の権八は三代目尾上菊五郎の風貌で描かれているが、菊五郎の「駕籠破り」の演出の記録も残っている。
本図が土山宿と結び付けられているのは、土山宿周辺の「鈴鹿」の地名と「鈴ヶ森」をかけているためと思われる。
コマ絵では、雨が山道に降り注いでいる。暗く描かれた山間に見える白く波立つ青い川は「土山宿」付近を流れる田村川。斜面に生い茂る木々はシルエットで描かれ、急勾配の山道を徒歩や駕籠で上っていく旅人が白抜きで表現されている。この辺りは伊勢湾から吹き上げる風の影響で雨が多く、「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」という馬子唄で有名である。
51.水口 目録は「水 盛表記 笹引」
目録の水口宿を表す「水」のまわりに「口」の意匠が書かれており、続く「盛衰記」は人形浄瑠璃や歌舞伎の演目「ひらかな盛衰記」で、「笹引」はその一場面」である。
図の女性は「お筆」。木曾義仲の室・山吹御前は、腰元「お筆」、お筆の父・鎌田隼人、義仲の嫡子・駒若丸とっともに、木曽路を目指して落ち延びていく。途中、大津の旅籠に一泊したところ、夜半に源氏方の梶原景時の家臣「番場忠太」に襲撃された。同じ宿に旅の老人と娘と共に泊まっていた「槌松」という子供が、「駒若丸」と取り違えられて殺されてしまう。さらに山吹御前や鎌田隼人も殺される。
お筆が山吹御前の亡骸を笹に載せて引く場面を「笹引」と呼ばれる。本図で、お筆が刀を交わしている相手は「番場忠太」。
52.石部 目録は「於半
長 石部」
布団を敷いた部屋に男が座っており、そこへ振袖をきた若い娘が恥ずかしそうにしながら、近づいている。女は当時14歳の「信濃屋お半」、男は隣家の40歳近い中年男「帯屋長右衛門」。信濃屋お半は、乳母や丁稚の「長吉」ととに伊勢参りにに赴いた崔、帰りに帯屋長右衛門と一緒になり、「石部の宿」に一泊した。ここでお半は「長吉」に言い寄られ、隣室にいた「長右衛門」のところに逃げ込み、ここで二人は結ばれる。結局、二人の恋は行き詰まり、桂川で心中を遂げた。この事件は、人形浄瑠璃や歌舞伎の題材となり、安永5年10月堀江座で「桂川連理柵」が上演された。本図の長右衛門は三代目坂東三津五郎の似顔で描かれている。
53.草津 目録は「草津 佐々木谷村」
右の男は船を漕ぐ艪を抱えて立ち、左の男は顔に隈を施し、左手を高く上げて見得を切っている。この二人は「近江源氏先陣館」に登場する佐々木高綱(右、三代目市川八百蔵の顔)と高綱の配下・谷村小藤次(左、六代目市川団十郎の顔)。「近江源氏先陣館」が琵琶湖周辺を舞台としていることから、本図では「草津宿」と結び付けられた。コマ絵の「世田の唐橋」は、「草津宿」と次の「大津宿」の途中にある。
54.大津 目録は「大津
鏡山 黒ぬし」
鋭い目つきの衣冠姿の公家風の人物「大友黒主」。黒主は現在の大津市にあたる近江邦滋賀郡大友郷の出身である。目録の「鏡山」は、黒主の歌「鏡山いざたちよりて見てゆかむ年へぬる身は老いやしぬると」(古今和歌集)による。黒主は人形浄瑠璃や歌舞伎にも多く取り上げられており、中でも天明4年11月桐座初演の「積恋雪関戸」での「関兵衛実は大伴黒主」は広く知られている。コマ絵に描かれているのは、逢坂山周辺の雪景色。
55.京 目録は「
京 室町殿 大尾」
東海道五十三次の終点であり、交通の要所である三条大橋の欄干から東山を遠望する。手前には当時流行の読み物である合巻『偐紫田舎源氏』の主人公光氏と従者の惟吉。橋の成立の銘文が入った擬宝珠は、改造を重ねた現代の橋上にもなおその姿を留めている。
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こちら美術散歩 管理人 とら
オリジナル 2018-02-12 09-16
修正ブログ 2018-06-06 09-16