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目黒区美術館で開催中の展覧会「藤田嗣治の本のしごと 文字を装う絵の世界」を見に行ってきた。会期は、2018年4月14日(土)〜6月10日(日)である。
![]() 目黒区美術館は、明治以降、海外で絵を学び、また活躍した日本人作家の作品収集を基本方針の一つとして、 1987(昭和62)年に開館した。なかでも、1913( 大正2)年に渡仏し、1920年代にはパリで「画壇の寵児」と なった藤田は、当館のコレクション形成にとって重要な作家で、開館前からその作品の収集を始め、特に戦後藤田 と交友したアメリカ人フランク・E・シャーマンの旧蔵コレクションをまとめて収蔵できたことは大きな成果だった。 開館翌年に開催した「レオナール・フジタ―絵と言葉」展は、画家・藤田が絵画制作とともに、フ ランスで手がけた「挿絵本」を網羅的に紹介した初めての試みだった。 その後、「藤田嗣治と愛書都市パリ」(2012 年、渋谷区立松濤美術館、北海道立近代美術館)、「藤田嗣治 本のしごと―日本での装幀を中心に」(2013年、千代 田区日比谷図書文化館)が開催され、藤田の挿絵本は多くの人に知られるようになった。 2018年は藤田嗣治の没後50年にあたる。これを記念し、目黒区美術館では、藤田の画業の中か ら挿絵本を中心に紹介する展覧会を再び開催する。 1886年東京に生まれた藤田嗣治は、東京美術学校の西洋画科で学んだ後、 1913年、26歳でフランスに渡った。1919年、サロン・ドートンヌに出品した6点すべてが入選し、 1920 年代初頭に発表した乳白色の肌をもった裸婦像は、藤田独自の表現として当時のヨーロッパで高い評価を 得た。 藤田は、フランスで絵画だけでなく挿絵本の仕事にも積極的に取り組んだ。19世紀後半から20世紀にかけて、希少性の高い挿絵本は愛書家たちの収集対象となっており、 藤田がパリに渡った当時のヨーロッパは挿絵本の興隆の時代だった。 1919年、藤田は初めての挿絵本『詩数篇』を手がけ、1920年代には30冊以上の挿絵本がフランスで出版された。 本展では、戦前のフランスで発行された藤田の挿絵本、1930年代から40年代の日本での出版に関わる仕事、1950年フランスに移住した後の大型豪華本の挿絵などを中心に、藤田嗣治の「本のしごと」をふり返る。 また、絵画や版画といった「絵のしごと」、さらには藤田が友人に送った葉書や絵手紙、手作りのおもちゃ、 陶芸作品なども展示して、藤田の幅広い創作活動を紹介する。 ※ 本展は、2018年1月、西宮市大谷記念美術館でスタートし、目黒区美術館、ベルナール・ビュフェ美術館、東京富士美術館を巡回。 【目黒区美術館への往復】 目黒区美術館への往復は、以下のような5本のバスを利用した小旅行だった。 #1)自宅近くの停留所からの東急バスで「246・大橋」下車。 #2)横断歩道を渡って、国道246を大坂上方面に歩き、別の横断歩道を渡り、中目黒方面に少し歩いて「山手通り・大橋」の停留所から「大崎行き」の東急バスに乗車。田道小学校前」下車、少し進行方向に歩き、右折して左方から「目黒区美術館」に入る。 #3)帰りは「山手通り」に戻り、横断歩道を渡って「田道」から東急バス「渋谷行き」に乗り、「山手通り・大橋」下車。 #4)「246・大橋」に乗り換えて「三軒茶屋」下車。 #5)横断歩道を渡って渋谷行きの東急バスを捕まえて、自宅近くの駅で下車した。 【展覧会の構成・お気に入り作品】 今回の「展覧会の構成」と「お気に入り作品」は次の通り。 序章 絵と言葉への前奏曲 序‐01《接吻》1904 水彩・紙 目黒区美術館 ![]() ![]() 第1章 パリでの出版 1-06《イマジエ》1927 ベルナール・ビュフェ美術館:創作木版画協会刊行の160部限定本。レべデフやガラニスら木版画家のオリジナル版画12枚入りで、藤田は本作を寄せている。硬質な板に彫られたため、黒地にくっきりと出た猫の白い毛並が繊細かつ柔らかでで、藤田の画風に沿う木版画法が選択されている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1-48《自画像》1927頃 カルコグラフィー・紙 目黒区美術館 手仕事が苦でない藤田には、自画自彫した木版や銅版画もある。1927年秋には「ルーブル美術館銅版画室」が藤田のエッチングの原画を収蔵した。藤田が画家としてだけでなく、版画家としてもパリで認められたことの証で、藤田本人にとってもとても誇らしいことだった。目黒区美術館で開かれている今回の展覧会には、そのカルコグラフィー(ルーブル美術館所蔵のオリジナル原版で刷られた版画作品)である《裸婦と猫》と《自画像》が展示されていた。 1-55《裸婦(キキ・ド・モンパルナス)》Femme nue (Kiki de Montparnasse)1929 鉛筆・紙 71.5×128.5 目黒区美術館 第2章 日本での本に関わる仕事と様々な制作 2-18《腕一本》1936 〈特製本〉東京国立近代美術館:全13ページ。定価2円50銭。付属の函(↓)には、エッフェル塔を望むパリの景色。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 3-01《魅せられたる河》1951 東京国立近代美術館・東京富士美術館:全111ページ。315部限定版。フランスの古文書学者ヴィルフォスが書いたパリのフォープール・サントノレ通り周辺に関する本。藤田によるカラーエッチングとエッチング、エッチングに手彩色を施した挿画が入った豪華な大型本。本書は藤田65歳の誕生日を祝して出版された。 ![]() ![]() 4-02《夜と猫》1950 東京国立近代美術館‐ベルナール・ビュフェ美術館:全55ページ。エリザベス・コーツワ―スの詩に、藤田の猫の素描12点がレイアウトされた印刷物。藤田の1949年からのアメリカ滞在中に出版がまとまった。 ![]() 類似の展覧会としては、2012年8月に松濤美術館で「藤田嗣治と愛読都市パリ」を見ている(ブログ記事 ブログ記事概要↓)。 ![]() ![]() 閑話休題。地下1階が「藤田の挿絵本」、2階が「エコール・ド・パリの挿絵本とその時代」に分かれている。藤田やエコール・ド・パリの画家の油彩画などが、その間に配置されていた。北海道立近代美術館所蔵の5点はすべて再見だが、初見の個人蔵作品には良いものが多かった。 展示リストでは、地下の藤田が先になっていたが、全体像をつかんだ方が良いと考えて、2階のエコール・ド・パリの方を先に見た。 随分詳しい説明がキャプションにあったが、字が小さいのと、詳細にわたりすぎるので、どうしても飛ばし読みになる。キャプションの内容は、図録にすべて載っているようなので、珍しく早々と図録購入を決めて、作品だけを眺めていくことにした。 ![]() これは、抜け目のない画商ヴォラ-ルが、これらの新進画家に依頼して、詩集や小説に版画による挿絵を付けた限定版の挿絵本を出版したことと対応する。この評判が良く、出版ブームとなったという。 さて、肝心の藤田嗣治の挿絵本だが、その種類の多さに驚く。日本に帰国した際には、巴里を偲ばせる作品を、フランスでは主として日本の雰囲気のあるものを制作しているようで、藤田のコスモポリタンとしての戦略が伺われる。 1.愛書都市パリー文学者たちとの協働: 1913年に渡仏した藤田はパリの社交界をうまく立ちまわり、多くの文学者や出版関係者の知己を得た。それが藤田が挿絵の仕事を得るのに役立ったのだろう。 ・《詩数編》: 1919年、藤田の最初の本の仕事。著者は小牧近江という日本人。細い線描で人物・動物・花を描いている。 ・《アマルと王の手紙》: 1922年、インドの詩人タゴール作、アンドレ・ジッド訳、藤田嗣治挿絵という夢の組み合わせ。象などの異国趣味のテーマを選んでいる。 ・《ポーソル王の冒険》: 1925年、ギリシャの王が娘を探しに出る冒険物語。著者ピエール・ルイス。裸婦や動物の木口木版。 ・《エロスの愉しみ》: 1927年、オッフェンバック著。繊細な線と美しい淡彩で表される裸婦やキューピッドはお気に入り。 ![]() ・《イメージとのたたかい》: 1941年、ジャン・ジロドー著。これに使われている藤田の画は1枚だけだが、その一部だけが何度も使われている。本記事のトップに上げた今回のチラシは、これのイミテーションであるが、これ自身も素晴らしいセンス。 2.記憶の中に日本: 藤田が20年代に手がけた挿絵本には、日本のイメージを扱ったものが圧倒的に多い。この説明としては、会場では「藤田の望郷のイメージだったかもしれない」と書かれていたが、わたしは「藤田はフランス人の異国趣味を利用しただけだった」と思う。戦中・戦後の藤田の並外れた自己中心的行動を考えれば、藤田にそのようなセンチメンタリズムが存在したとは到底思えない。 ・《日本昔噺》: 1923年の作。月岡芳年の《月百姿》を彷彿とさせる色と形。両者ともに菊地容斎の《前賢故実》を利用しているとの解説があったが、菊地容斎の《頼政》の絵はかなり違っており、《姥捨山》に相当するものは探せなかった。 ![]() ![]() ・《朝日の中の黒鳥》: 1927年、ポール・クローデルの日本文化論。姉カミーユのジャポニスムの感化で、日本を好いていたポールは、公務を縫って、日本を積極的に見聞した。表紙(画像は↑↑右上)の朝日は日本の象徴で、黒鳥=クロトリ=クローデル。藤田の挿絵は陳腐な構図のものが多いが、1923年にポール・クローデルが遭遇した関東大震災の画には意表をつかれた。このとき藤田はパリにいたのだから、この震災画は実景画ではないのではなかろうか。 ・《お菊さん》: 1926年、ロティー著。この中の藤田の図も日本では見慣れた図ばかり。藤田が幼いころから親しんでいた北斎の漫画に通うものがある。 ・《芸者のうた》: 1926年、スタイニベル=オーベラン著。浮世絵などを参考にしたのだろう。 ・《御遠足》: 1927年、トマ・ローカ著。日本滞在記。銭湯での混浴シーンなどの民俗画。 ・《八景》: 1927年、キク・ヤマタ著。名所絵。 ・《中毒について》: 1929年、ポワシエール著。インドシナの物語。藤田が調べた資料から、↓のような画を描いた。 ![]() ・《芭蕉とその弟子のハイカイ》: 1936年、日本の外務省の外郭団体である国際文化振興会が刊行したもので、芭蕉・嵐雪・去来ら9人の俳句の仏訳。藤田の《古池に飛びこむ蛙》(部分↓)は洒脱。 ![]() ![]() ・《巴里の横顔》: 1929年、藤田嗣治著・装幀。 ・《腕一本》: 1936年、藤田嗣治著・装幀。パリで成功した藤田の自伝。 ・《随筆集 地を泳ぐ》: 1942年、藤田嗣治著・装幀。 ・《巴里の昼と夜》: 1948年、柳沢健著、藤田嗣治装幀。 1949年に、アメリカ経由でフランスに舞い戻ってからも、かなりの数の挿絵の仕事をしている。 ・《夜と猫》: 1950年、コーツワースの詩に藤田の猫の素描。わたしは藤田の猫の意地悪そうな目は好きになれない。 ・《魅せられたる河》: 1951年、ヴィルフォス著。カラーエッチングや手彩色版画の入った豪華大型本。藤田65歳の記念に出版された。《自画像のための下絵》↓などは見事。 ![]() ・《しがない職業と少ない稼ぎ》: 1960年、フルニエ、ドルナン共著。藤田の油彩画を基にした21点の多色刷り木口木版の挿絵が入っている。憎らしい目つきの子供の画が沢山並んでいる。 ・《四十雀》: 1963年、コクトー著。《しがない職業と少ない稼ぎ》の姉妹版。 ・《ラ・フォンテーヌ 二十の寓話》: 1961年。17世紀フランス詩人、ラ・フォンテーヌの寓話集から。動物たちを主人公としたイソップ物語が下敷きになっている。藤田の蔵書の中に、グランヴィル、ドレ、ウードリーによる「ラ・フォンテーヌ寓話集」があったというから、これらを参考にしたのだろう。↑↑右はその一例。 帰途は、重い図録があるので、東急バス「東大前」近くのコナミ・スポーツクラブ渋谷でアイスココアを飲みながら時間待ちをしていたら、窓からバスが来るのが見えたので、あわてて飛び出した。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2018-06-07 09:47
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