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世田谷美術館の一階で「人間・高山辰雄展‐森羅万象への道」の後期(2018.5.1⑤~6.17)を見た後(ブログ)、二階で「ミュージアム コレクションⅠ それぞれのふたり 小堀四郎と村井正誠」(2018.4.14~7.8)を見た。
Ⅰ-1.小堀四郎の略歴 小堀 四郎(油彩画家、小堀遠州の子孫) 1902年7月20日 - 1998年8月9日 名古屋市生まれ。 1922年、画家を志して上京。東京美術学校(現、東京藝術大学)西洋画科に入学。 同期に小磯良平、猪熊弦一郎、牛島憲之、荻須高徳、山口長男等。 1928年、フランス留学。帰国後森鴎外の次女杏奴(あんぬ)と結婚。 1935年、松田改組による美術界の混乱に大きく失望し、恩師・藤島武二の助言で、画道を貫くため表舞台からは退く。 以降、東京美術学校同期生による年1回の上杜会(じょうとかい)展を主な発表の場とし、制作に専念。作品の多くは生涯作家の手元に置かれた。 芸術への探究心は年を追う毎に旺盛になり、晩年は100号の大作を製作する等、制作意欲は衰えなかった。 Ⅰ-2.小堀杏奴の略歴 小堀 杏奴(随筆家、森鴎外の次女、小堀四郎の妻) 1909年5月27日 - 1998年4月2日 仏英和高等女学校に進学した1922年(大正11年)7月、父が死去。 1927年(昭和2年)、同校を卒業。1931年、画家藤島武二に師事。 同年11月、フランスパリで洋画を学ぶ。 1934年1月に帰国。同年11月、藤島武二の仲人で画家小堀四郎と結婚。 1936年3月3日に長女・桃子が誕生、1938年2月5日に長男・鴎一郎が誕生。このように、杏奴はよき伴侶をえて、また2人の子供にも恵まれた。 なお、小堀杏奴は鴎外研究へ大きな貢献をしている。 Ⅰ-3.小堀杏奴の血縁者 •森林太郎 - 父 •森志け - 母 •森於菟 - 異母兄、医者 •森茉莉 - 姉 •小堀杏奴―本人 •森類 - 弟 •小堀四郎 - 夫、画家 •小堀(横光)桃子 - 長女、横光佑典(横光利一の二男)の妻 •小堀鴎一郎 - 長男、堀ノ内病院地域医療センター、国立国際医療センター名誉院長 Ⅰ-4 「世田谷美術館コレクション 小堀四郎」出展作 1.《笹塚風景》1922年 Ⅱ.村井正誠の略歴 村井 正誠(むらい まさなり、洋画家1905年3月29日 - 1999年2月5日) 岐阜県大垣市生まれ。 幼少期を和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)で過ごす。旧制新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)卒業]、文化学院の美術科に一期生として入学。 昭和9年(1934年)に長谷川三郎らと新時代美術展を結成。自由美術家協会やモダンアート協会などの創立に加わる。 昭和29年(1954年)、武蔵野美術大学教授に就任。昭和37年(1962年)現代日本美術展で「黒い線」などが最優秀賞を受賞。 抽象絵画の草分けの一人として活躍した。作品にシリーズ「URBAIN」などがある。 Ⅱ-2 「世田谷美術館コレクション展 村井正誠」出展作 1.《不詳(バンチュール)》1929年
by cardiacsurgery
| 2018-06-05 11:38
| 現代アート(国内)
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