ブラタモリ#106 萩 ~萩はなぜ 世界遺産になった?~のメモ
放送日:2018年5月26日(土)
再放送予定:2018年6月5日(火)午後11時55分~
ブラタモリ、山口県の萩へ!
明治以前、萩を支配したのは、毛利37万石。

その領土は関ヶ原の戦い時には、広島城を中心とした中国地方全体(↓)に及んでいたが、関ヶ原の戦い以後には、萩城を中心とした狭い範囲(↓↓)となった。


萩は、旧萩城の城下町。

萩は、明治維新で活躍した英雄たちを輩出した。

江戸時代の美しい町並みを求めてやってくる観光客は、年間240万におよぶ。

平成27年には、城跡や武家屋敷などがそのまま残っていることから「世界文化遺産」に認定された。

「世界遺産に登録された対象エリア」は、「萩城跡」+「堀内」(上級武士が暮らしたエリアで、近世城下町の武家屋敷の地割りを残す土塀の連なる町並み)+「町人地」で、「明治日本の産業革命遺産」として登録された。当時の様子が丸ごと保存されていたこと…それが世界遺産になった大きな理由である。

萩は、江戸時代の初めまでは、人がほとんど住んでいなかった土地だった。そこは、大きな川が作りだした地盤の良くない「三角州」だった。三角州は地盤が弱いため町作りには本当は不向きだった。

この地盤が弱く町つくりに不向きな「砂丘」に、一から造られた城下町が萩だったのである。

しかし幸いなことに、海に面した部分では日本海からの風で出来た「砂丘」が、頑丈な微高地を作っていた。高杉晋作をはじめ、毛利藩の重臣たちは三角州の中でも、比較的地盤が強い「砂丘」を選んで居を構えていた。

ではどうしてこういう町が、「世界遺産」になったのか。

そこにはやはり地形や地質が大きく関わっていた。タモリが、萩の町の秘密をブラブラ歩きながら解き明かしていく。

まず向かったのは、白壁が続く萩ならではの町並み。萩が生んだ幕末の風雲児・高杉晋作旧宅の前でタモリが「萩のまちづくりの凄さ」、「萩の城下町の立地」が分かったのである。

高杉晋作は、三角州の中でも、比較的地盤が強い「砂丘」を選んで居を構えていた。しかしそういった場所が、現在「崩れもせず、風化もせず」残っている。

その高杉晋作の生誕地

高杉晋作の旧宅

萩からは総理大臣が4人生まれている。伊藤博文(1841~1909)、山県有朋(1838~1922)、桂太郎(1848~1913)、田中義一(1864~1929)である。

タモリの名前のルーツは、萩にあった。城下町の片隅で見つけた石碑が物語る「奇妙なご縁」にタモリも興奮。


本当は「森田義一」になる予定だった。

ところが、上の画数と下の画数の落差が多いため「マズイ」ということで、ひっくり返して「森田一義」と命名された。「タモリ」が「森田」をひっくり返した名称を使っているのも「ひっくり返し人生」を象徴している。

明治時代以降も、「古い町並み」が萩に残った理由。

それが藩校・明倫館の敷地の中の「水練池」で判明した。ここは藩政時代、遊泳術や水中騎馬が行われた日本最古のプール。水源は地下水で、東西39m、南北16m、深さは1.5mで、周囲は玄武岩の切石で築かれている。
付近は人が住みにくく、田んぼが広がる広大な低湿地だったため、この土地を利用し、明倫館をはじめとした大きな施設を建てることが出来た。それは現在も続き、この低湿地帯のエリアには公民館、図書館、消防署、市役所などが建設されている。
町で必要な建物が低湿地帯の土地に次々と建設されたおかげで、砂丘の高台にあった江戸時代の貴重な歴史的建造物はそのまま残ったのである。こうした萩特有の地形が、砂丘上にあった歴史的建造物を保存することとなり、世界遺産になる大きなきっかけとなった。

明治になると、大きな武家屋敷とか城の跡に官公庁ができるのか普通。

萩ではそれができなかった。そのため、大きな武家屋敷などが保全されたというわけだ。

殿様気分のタモリが発見したまちづくりの決め手となった石の正体は「安山岩」。溶岩が冷えてできた「安山岩」は硬くて風化しにくい。

萩では、建物の基礎に「安山岩」が使われている。

どこからこの安山岩を運んできたのだろうか。安山岩は火山からしか採れないが、肝心の火山は一体どこにあるのか。疑問を解消すべくタモリ一行は、萩の城下町、対岸の半島へ移動した。

タモリたちが移動した場所は、城下町から離れた半島部、すなわち海の向こうに萩の三角州が見える場所である。

半島部の岩の表面には、平らな面があることに気付く。

ここは江戸時代の「石切り場」だったのである。

萩の城下町を支えたのは、この安山岩の石切り場である。

切り取り線(点線)が見える岩がある。

対岸の萩の三角州は近い(2.5km)ので、船で安山岩を運んだ。

半島部の正面に見える萩の町は三角州で、本当に平らである。

「平らな山」は「火山」なのだろうか?

「平らな島」は、「火山の証拠」である。

萩市ジオパーク推進課・白井孝明氏によれば、この半島自体が火山である。
周りを見渡しても「いかにも火山」というような高い山はないが、「溶岩が非常に軟らかい場合」には、火山は高く尖ることがなく「水平に平べったい山になる」とのこと。
これが「平らな火山」の秘密である。

実際、この半島周辺は「阿武火山群」(↓、↓↓)と呼ばれている。


江戸時代「安山岩」は 長州藩の重要な収入源だった。

さらに萩のシンボル・反射炉へ。

日本に3ヶ所しか残っていない反射炉の1つである「萩反射炉」は失敗作だった。

それでも世界遺産になったのは意外な理由だった。「萩反射炉」が「試行錯誤の証拠」として世界遺産になったのである。

萩の名物・夏みかんは、明治以後に東京に移住した萩の上流階級の住居跡地を利用して作られている。


「夏みかん」は、生産額20億円の主要産業に成長。

また、ウニ、アワビ、サザエなどの海産物が豊富に採れるのは、「海中火山」が貝や魚の絶好の住処となっているためで、これら海産物は萩の財政を支えていた。


【参考ブログ】
こちら【番組アシスタント】
・桑子真帆(2015年4月11日 - 2016年4月2日)
⇒現在「ニュースウオッチ」メインキャスター
・近江友里恵(2016年4月30日 - 2018年3月24日)
⇒現在「あさイチ」 メイン司会
・林田理沙(2018年4月21日-現在 )
【おまけ】楽しく食事するタモリと林田理沙アナウンサー
美術散歩 管理人 とら