1.奇想天外の明治期の大観◆「ガンヂスの水」明治39年(
1906)
菱田春草と共にインドを訪れた際に見たガンジス川の景色を描いた作品。「朦朧体」のような輪郭線のない表現が大観らしい。◆「瀑布(ナイヤガラの滝)・万里の長城」明治44年(1911)頃
明治37年(1904)アメリカで「ナイヤガラの滝」を見物
明治43年(1910)中国で「万里の長城」を見物
◆「白衣観音」明治41年(1908)大観40歳
「白衣観音」は縦140.3cm、横113.4cm。水辺の岩に腰掛ける白衣観音が、絹地に彩色されて描かれている。大観本人の箱書きから1908年の作と見られ、12年刊行の「大観画集」に掲載された。その後、行方不明だったが、2015年に国内の所有者から情報が寄せられた。
朦朧体からの脱却: 白衣観音の装飾品や岩の描写は緻密だが、足の長さなど体のバランスが悪く、岩も立体感に欠ける。
それでも同美術館の鶴見香織主任研究員は「輪郭線を用いない大観の描法」が世間に「朦朧体」と揶揄されていた時期であることから、「自分なりの方法でそこから脱出」しようとしていた頃の作品だ」としている。
◆「山路」明治44年(1911)10月 大観43歳
近代日本画の巨匠として知られる横山大観が明治44年の第5回文部省美術展覧会に出品した「山路」(永青文庫所蔵)は、発表当時「西洋の印象派と南画の融合」と評されたタッチを多用することで、明治30年代に大観らが試みた「朦朧体」を脱し、大正期に流行した「新南画」の先駆けとなったといわれる重要な作品。
人造岩絵の具
西洋絵の具
マチエールが逆転
2.大正時代の大観◆「秋色」大正6年(1917)9月 大観49歳
六曲一双の屏風に2匹の鹿と蔦の紅葉が描かれている。注目すべきは描かれた蔦の鮮やかさ。紅葉した赤と緑の色彩のコントラストの美しさが見る者の目を引く。葉緑体が減少し、色彩が失われてきた薄い黄土色は、全体の背景の色とも同化し、葉が緑から黄土色に、黄土色から赤に変化する様子も葉一枚一枚絶妙に描かれている。また、作品中に描かれている鹿の鳴き声は、雌を慕う雄の表現として親しまれてきた。この作品にはそんな雌雄2匹の鹿が寄り添って描かれており、古典的で風流な世界を描き出している。
琳派の研究
対側の絵の具による汚れ
可愛い雌鹿
◆「荒川絵巻 赤羽の巻」大正5年(1916)5月 大観47歳
【註】赤羽の巻:5/8~5/27、長瀞の巻 4/13~5/6(両者、巻替えあり)
3. お国のために描いた昭和期◆「群青富士」大正6(1917)年 大観49歳頃
左右隻で共鳴する緑青と群青。湧き立つ白雲を透かして輝く重厚な金地。富士の群青と残雪の白の力 強い対比。鮮烈な色彩と簡潔な構図が実に心地よく、大正期らしい自由でおおらかな造形感覚が顕著にあらわれた作。色彩や形態感覚には琳派の研究が生かされている。
◆霊峰十趣
「秋」大正9年(1920)4月 大観51歳
「春」大正9年(1920)4月 大観51歳
「夜」大正9年(1920)4月 大観51歳
◆「朝陽霊峰」 昭和2年(1927)宮内省から下命を受けた屏風
左隻↓
国のシンボル
右隻↓:「朱舜水」(1600~82)の古墨を使って、重なる山なみが見事に描かれている
「
朱舜水」(1600~82)
4.「生々流転」大正12年(1923)9月 大観54歳
「生々流転」の長さ40メートル、幅70センチ
「鶴見香織」主任研究員から「生々流転」の説明を聴く「ぶら美一行」
「生々流転」を展示するために、美術館を横長に設計した
「生々流転」のために設計された展示室は「ウナギの寝床」と呼ばれている
①「生々流転」は「水の一生」を表し、その中で「一日の時間の経過」と
②「季節の流れ」が表現されている
最後には、水は龍となって天に舞い上がり
気流(水蒸気)となって、空に昇り、山に水が戻る
参照美術散歩 管理人 とら