古代エジプト 3人の女王のミステリー 3/27 19:32~20:45 [NHK総合]
松嶋菜々子と西島秀俊が古代史ミステリーに挑む。
古代エジプトに、少ないながらもファラオ(王)として君臨した女性たちがいる。その女王たち誰もに深い謎がある。
美女中の美女といわれたツタンカーメンの義母
ネフェルティティ。その足跡を追うと、ツタンカーメンの墓に驚がくの事実が!
最後の王・
クレオパトラ。発掘が進み、意外な実像が明らかに。
男装で統治した女王
ハトシェプストは、死後なぜか無残にその像が削り取られた。
【出演】松嶋菜々子、西島秀俊、杉山愛、脳科学者・医学博士・中野信子、エジプト考古学者・河江肖剰
【司会】鎌倉千秋【語り】井上二郎
3人の女王:クレオパトラ・ネフェルティティ・ハトシェプスト
1.クレオパトラ貨幣に刻まれたクレオパトラ

当時のエジプトでは、一般階級の女性も学校に通い、職業を持つことが奨励されていた。

クレオパトラは「語学」に秀でていた。

クレオパトラは、9ヶ国の外国語が堪能だった。

9ヶ国語の名称

クレオパトラは、会話が巧みだった。


クレオパトラは貨幣に文字を入れさせた。

それまでは、素材の質や重さで価値が決められていた。

クレオパトラの貨幣は、文字で詩の価値を識別するという画期的なものだった。

紀元前1世紀ごろのヨーロッパ地図で、ローマとエジプトの位置を確認してみよう。

エジプトには広い小麦畑があった。

一方、ローマは、必要とする小麦の大半をエジプトに依存していた。

実行命令書には、「エジプト人はローマ人に対して格安で売るように」と記されていた。

クレオパトラは、強敵ローマを敵にまわさず、ローマと手を組もうと考えていた。

クレオパトラは「統治能力」にたけていたということが分かる。

プトレマイオス13世は、父の遺言によって、姉クレオパトラ7世と7歳でエジプトを共治することになっていた。

ところが幼いプトレマイオス13世は、宮廷官人に奉られて、姉クレオパトラを追放してエジプトを統治しようとして内戦を起こした。一時は首都アレクサンドリアを掌握し姉を追放したが、ローマの将軍グナエウス・ポンペイウスを殺害したことが理由となって、ローマの介入を招き、姉を支持したリウス・カエサルによって殺害された。(ナイルの戦い)。
ユリウス・カエサル

前述のように、ローマはエジプトに小麦の輸入を依存していた。

カエサルは、エジプトが混乱し続けるけると、小麦の安定供給に支障が出ると考えた。

一方カエサルは、エジプトの巨大な建造物や神殿を目にして驚いたに違いない。

また広大な自然や肥沃な大地を見て、その豊かさに感銘を受けたに違いない。

クレオパトラはエジプトのこの豊かさをカエサルに見せつけることで、カエサルをわが物にした。

二人の間に「カエサリオン」が生まれた。

ハトホル神殿の壁にはクレオパトラと息子カエサリオンのレリーフが彫られている。


一方、クレオパトラに対するローマの人々の評判は悪かった。
詩人 ルカヌス 曰く: 彼女は、ローマの指導者(カエサル)と交わり、次々と夫を取り換えながら、ローマをものにし、エジプトを買ったのだ。

歴史家 カッシウス・デュオ 曰く: ローマ人がアンナエジプト女に馬鹿にされ足蹴にされるとは我々の先祖に対して恥ずかしいと思わないか。
2.ネフェルティティネフェルティティはツタンカーメンの義母である。

彼女は歴史から抹殺されてしまった。

年表(ネフェルティティとは”美しい女性が来た”の意味)

ドイツ ベルリン 旧博物館(
参照)⇒新博物館(
参照)

ネフェルティティの胸像

ファラオ(王)・アクエンアテンと王妃・ネフェルティティ

エジプト ナイル川:カイロ、ルクソール

カルナック神殿

エジプト考古学者・河合望とナビゲーター・西島秀俊

ここにあった神殿はすべて破壊された。

右側がアクエンアテン王の王名の一番上の部分

アクエンアテン王の石材は、すべて充填材として再利用された。

ネフェルティティ

これらはルクソール博物館において再生され、展示されている。

アクエンアテン:ルクソール博物館における再生展示

ネフェルティティ:ルクソール博物館における再生展示

太陽神アテン

多神教

ラー

セクメト

四人の神

太陽神アテン

多神教⇒一神教

多神教では、ミイラ信仰のように来世での復活を願っていた。

神官

大きく描かれた神官に捧げ物が届く。

神官は、王位継承について強い影響力を持っていた。

アマルナ

浮彫 ネフェルティティとアクエンアテン

多くが脊椎にダメージを負っていた。石材を運ぶ際に傷つけたのだろう。


浮彫 ネフェルティティとアクエンアテンは、馬車に乗り、太陽神の下を西に走る。


馬車

太陽神ラーの馬車

神殿という神殿は廃墟と化していた。

それらは崩壊し、がれきの山となり、国土は悲惨な状態だった。神々はこの国に背を向けた。



ネフェルティティがファラオ(王)になったという説がある。

系図1

ネフェエルネフェルウアテン(ネフェルティティ)の指輪

ネフェエルネフェルウアテンーネフェルティティ(ネフェルティティ)の指輪

系図2

系図3
3.ハトシェプスト年表2

形式的だはなく実質的に初めて君臨した女王。

ハトシェプスト像(紀元前1507~1458年頃)

男性のひげのあるハトシェプストの像

男装の女王

人物像を削った痕跡

10歳代のハトシェプスト

4歳時のトトメス3世

系図4 ハトシェプスト トトメス3世

ハトシェプスト女王葬祭殿

壁画:船に梯子をかけている。

壁画実物:船を漕ぐ男たち

地図 エチオピア プント

葬祭殿には戦争の図がない。

ファラオとして、戦争以外の活動を積極的に行っていることを示している。

なぜ姿を削られたのか?

犯人説 その1「トトメス3世」

エジプト考古学者アブドハレク・アブドルハミル:トトメス3世犯人説

トトメス3世は、偉大な建築家で、天才と言われていた。

犯人説 その2「側近センムト」

センムトは、神殿の管理者・王家の高官の長・声正しき者だった。

センムトは、ハトシェプストに「愛をもって仕えた」と書いてある。

実は彼はハトシェプストと来世で一緒になりたいとも願っていた。

そのとおりです。センムトとハトシェプストは愛し合っていた。

壁画 ハトシェプストとセンムトたち。

しかし彼女に近いほう、つまり先頭はセンムトでありません。

パネへシという男性で、彼が第一の側近になったことを示しています。

センムトは降格されてしまったのです。

壁画:「パネへシ」の後ろに「センムト」

センムトは、その憎悪からハトシェプストの死後に、彼女の姿を削ったのだと思われる。

犯人説 その3「トトメス3世」最新説

系図 ハトシェプストの娘 vs トトメス3世の息子

4.ネフェルティティ追記ツタンカーメンの墓

3Dスキャンデータ

壁画に〇印

壁画をレーダーで探査したところ、奥に空間らしきものがあると分かった。

壁に入口が?

奥にネフェルティティが?
5.クレオパトラ追記エジプト考古学者キャサリン・マルチネス

21世紀最大の発見なるか? クレオパトラの墓 タップ・オシリス・マグナ遺跡(アレキサンドリア)

ここからクレオパトラに関する遺物が出土した。
美術散歩 管理人 とら