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プーシキン美術館展‐旅するフランス風景画が、東京都美術館で2018.4.14‐7.8に開かれるので、フライヤーを覗いてみた。
その裏面には、モネの《草上の朝食》プーシキン美術館蔵の部分が採用されている。 ということで、この機会にモネの《草上の朝食》についてまとめてみることにした。 ・クロード・モネ《草上の昼食》 1866 オルセー美術館蔵 ・クロード・モネ《草上の昼食習作 バジールとカミーユ》 1865年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵 モネには、カミーユとバジールの2人を描いた油彩の習作《草上の昼食》がある。 【参考】以下、この点に関して書いた以前のブログの引用である。 そのⅠは、モネの《草上の昼食》↓である。 モネの念頭にあったのは、1863年の落選展で物議をかもしたマネの《草上の昼食》。マネの作品は、ティツイアーノの《ウルビーノのヴィーサス》やラファエロの《パリスの審判》(ライモンディの版画)といったルネサンス期の古典的作品を下敷きにしながら、現代生活の情景を描いたものであったが、モネはこのような古典作品に依存する方法を排して、真の現代生活の情景を描こうとしたのである。 そのためモネはシャイイに滞在して、素描やエスキスを描いた。↓はプーシキン美術館にあるエスキスで、全体の構成が示されている。 しかし、1878年に、家賃未払いのためアルジャントゥユの家主にとられ、モネの手に戻ってきた時には,湿気のために相当の損傷をきたしていた。そのため、モネは画面を切断・損傷部位を破棄した。残ったのは左側断片と中央断片である。これが今回並んで展示されているのである↑↑↑。 なお、中央断片の坐る男性はクールベに変更されている↓。 ところが、モネはこの失敗をキッカケとして、戸外で直接巨大作品を描く新しい方法を開発した。庭に溝のような穴を掘り、カンバスの上方を描く時には滑車でカンバスを降ろすという方法である。この方法によって一貫した固定視点を設定して目に見えるものの忠実な再現が可能となった。 以上、モネが外光派絵画への第一歩を踏み出すキッカケとなったのは、素直に「失敗に学んだ」ためだったという物語でした。 【参考】プーシキン美術館展‐フランス絵画300年 @横浜美術館 2013 ブログ 【参考】プーシキン美術館展‐シチューキン・モロゾフ・コレクション @東京都美術館 2005 ホームページ 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2018-03-23 20:17
| 印象派
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