・ザ・プロファイラー 夢と野望の人生 徳川綱吉 “犬公方”知られざる志

[BSプレミアム]2018年3月14日(水) 午後6:00~午後7:00(60分)
[番組内容]岡田准一がMCを務める歴史エンターテインメント。犬公方と呼ばれる徳川綱吉。悪法として名高い「生類あわれみの令」を出した、だがそこには、思わぬ狙いがあった。
【司会】岡田准一【ゲスト】石坂浩二,星野佳路,ビビる大木【詳細》岡田准一がMCを務める歴史エンターテインメント。犬公方・徳川綱吉。悪法として名高い「生類あわれみの令」を出した。だが実は、戦国時代以来続いていた、世の中の殺伐とした空気を変えることが狙いだったという。実際、綱吉の時代に、天下太平が実現。商業・文化が興隆し、元禄文化が花開く。だが、頭が良く、自ら家臣に儒学を教えるほどの勉強家だったが、周囲からはなかなか理解されなかったという。知られざる実像に迫る。
徳川綱吉の数奇な運命に迫る。最近の研究によると、綱吉の変革は「武断政治」から「文治政治」への大転換だったという。暴君か名君か、綱吉の素顔とは?
・庶民から慕われていた。

・天和の治

・profile 1: なぜ庶民の暮らしに目を向けた?

・誕生 1616年 正保3年 父は、三代将軍・徳川家光

・家系図 上から5人目

・父三代将軍・家光:才能に任せて、心のままに行動すれば、思いのほか災いを引き起こすかもしれない。

・父三代将軍・家光:私は幼いころから武芸ばかりしていて、学問を修めなかったことが悔やまれる。

・父三代将軍・家光:この子は非常に賢いから、第一に学問に励むように・・・。

・根崎光男法政大学教授:長男の家綱は帝王学を学ばなくてはいけない。

・根崎光男教授:それに対して綱吉は、学問をベースにしておけば、将来的に役に立つだろうと考えた。

・1651年(慶庵年)綱吉5歳時に、父・家光が46歳で死去

・徳川家綱、11歳で4代将軍に就任

・家系図:それぞれ15万国の大名になった。

・母・桂昌院

・母 桂昌院:京都の青果店の娘・玉

・玉の輿

・京都 鴨川の賑わい

・根崎光男教授:姥に面倒を見てもらい、母親は直接関与しないことが多い中で

母として我が子に接するといった庶民感覚があったのではないか

教育ママ的な要素もあって、綱吉は大きな影響を受けたのではないか

・綱吉:武芸に興味なし

・将軍・家綱が綱重と綱吉に馬を贈る

・馬には乗らず、馬の絵を描く綱吉

・1664年 寛文4年 18歳 公家の娘と結婚

・1677年 延宝5年 31歳 側室・お伝が長女・鶴姫を産む

・1679年 延宝7年 3・歳 側室・お伝が長男を産む

・徳松と命名

・1678年 延宝6年 32歳 兄・綱重が急死

・綱吉 次期将軍の有力候補に

・大老・酒井忠清

・実質的な権力を握っていた。

・次期将軍に皇族の擁立を画策

・残念ながら有力候補なし

・老中・堀田正俊:正しき血縁者である綱吉様がいらっしゃるではないか

・兄・家綱が死去⇒綱吉・五代将軍に

・頭を下げて謝る酒井忠清

・堀田正俊を大老に

・お笑い芸人・ビビる大木:自他ともに認める歴史好き。特に幕末が好きで、吉田松陰を敬愛

・俳優・石坂浩二:大河ドラマ「元禄太閤記」で綱吉の側近・柳沢吉保を。「元禄繚乱」では吉良上野介を演じる

・星野佳路:長野県の温泉旅館の4代目。観光リゾート業界の変革児と呼ばれる。

・討論風景:左から岡田准一・石坂浩二・星野佳路

・ビビる大木:第一に学問に励むように。松陰先生に通ずるものがある

・星野佳路:広い見識を持つ母の元で育ち。庶民を身近に考えるようになった

・大老・酒井忠清を引退させる

・星野佳路:30代という最もいい時期に後を継ぎ、思い切ったことをやろうと考えた

・岡田准一:若い時代に「権力」というものを外から観察したことが大きかった

・儒学

・慈悲深い絶対君主が統治

・犬公方徳川綱𠮷 庶民のための政治を実現

・年貢の横領

・民は国の基本である

・民は国の基本である:代官たちは常に民のつらさや苦しさを知り、決して民が飢えることの内容にせよ

・根崎光男教授:5代将軍・綱吉の時になると、「民は国の基本なり」という言葉があるが・「民は国を支える」とニュアンスが変わってくる

・「年貢負担者」から「国の礎」であると

・「聖人君主が民にも優しく接する」という儒教の影響が大きくある

・大名にも厳しく

・大名の取消件数 家則26、綱吉46、家宣・家継5、吉宗12

・根崎光男教授:身内であっても見逃さない姿勢を他の大名たちに見せつける

・根崎光男教授:恐怖政治的な側面も 恐れおののかせることで「将軍の権威を示す

・根崎光男教授:将軍専制政治:将軍自身が前面に立って政治の陣頭指揮にあたる

・浮世絵

・

・安宅丸

安宅丸は、寛永9年(1632年)徳川家光が造船を命じた軍用船。全長は62m・幅約16.2mという富士山に例えられる巨大さと日光東照宮に比肩する豪華さによって江戸の名物となったが、莫大な維持費を要するため。家光が天和2年(1682年)に解体を命じた。
・日光東照宮への参拝

・日光東照宮への参拝 ⇒ 取りやめ

・どうやって善政を実現? 民は国の基本である 鷹狩の鷹の絵

・鷹狩 ⇒ 周辺住民の負担

・先例を無視

・不満の声

・武士の意識改革

・兵馬初め

・読書初め

・儒学の講義

・長男・徳松が4歳で死去した

・大老・堀田正俊が江戸城で刺殺される

・老中・若年寄の部屋は、以前は将軍の御座所の隣にあった

・若年寄の部屋と将軍の御座所の間に側用人

・側用人には、優秀な人材を登用

・世襲 ⇒ 能力主義


・過酷

・やるべき仕事がある時には、夜遅くなっても城に遅くまでいる。

・柳沢吉保 500石の武士

・柳沢吉保 500石の武士 ⇒ 15万石の大名


・柳沢に綱吉が贈った自筆の書「誠實」

・人はただまこと(誠・實)の二字を忘れずば、幾千代までも榮ゆるなりけり

・どうやって善政を実現?

・ビビる大木:御用人を間に置くことによって意思が伝わりにくくなる

・石坂浩二:一刻も早く改革を進めるため民主主義的なやり方を取らなかった

・宇野佳路:目指した世界があったので過去の習慣や組織内の不満を無視した

・関ケ原の戦いから80年

・殺伐

・切り捨て御免

・火事と喧嘩は江戸の華

・子ども・病人・年寄りを捨てる

・殺伐とした社会の改革

・残酷さや心意気をよむとする戦国時代の古い生き方には 戦国の旧俗・士大夫の道となり、残刻を認めて武とし、意気をもって義とし、世人不仁の所為おおくして、人道の本然にそむく 無慈悲な行いが多く 人の本来の道にそむく

・根崎光男教授:戦国時代の遺風では、社会が成り立っていかない段階に来ている中・綱吉はその社会構造から脱却しなければいけないと


・多くに人々に意識改革をしてもらいたい、新しい社会を作っていく

・庶民の日常を批判

・庶民への対応①華美な服装の禁止

・庶民への対応②肉食の禁止

・飲酒の抑制

・庶民の楽しみを奪う

・根崎光男教授:綱吉は将軍になってから、抑圧した政治を行っている。

・道徳を植えつけたいと意識改革を一般庶民にも求める

・将軍が権威的で、恐ろしいという側面があった

・生類憐みの令

・24年にわたる130を超える法例の総称

犬の喧嘩

・野良犬の急増


・慈悲

・東京中野に犬屋敷

・東京ドーム20個分の敷地に10万匹の野良犬

・米3合・みそ・魚

・準備予算の8分の1

・負担は庶民に

・生類憐みの令:24年以渡発令された130を超える法例の総称。対象は、意気とし生けるものの全てに及んだ。

・①重い荷物を積んだりしないこと

・②金魚は飼っても良いが、飼育数を正確に報告すること

・③子供・老人・病人を見つけたら、役人が保護すること

・生類憐みの令:飼い犬はすべて毛色を記載し、飼い主を登録すること

・ケンカをしている犬を見つけたら、保護すること

・①ケンカをしている犬がいたら間に入ること

宝永6年(1709年)に綱吉が亡くなり、家宣が48歳で第6代将軍に就任すると、宝永通宝の流通と酒税とを廃止、生類憐れみの令も一部を残し順次廃止させた。
また柳沢吉保の辞職により側用人に間部詮房、学者として新井白石らを登用した。
綱吉の元禄年間には、小説の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門、琳派の尾形光琳、錦絵の菱川師宣などがあらわれ、元禄文化が大輪の花を咲かせた。
一方、綱吉が赤穂47士に対して切腹を命じたことは、一般大衆から非難を浴びた。
美術散歩 管理人 とら