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エミール・ゲオルク・ビュールレ
1890年にドイツ南西部で生まれ、スイスで後半生をすごしたエミール・ゲオルク・ビュールレは、1937年にスイス国籍を得て移り住んだ。 第一次・第二次世界大戦を経験し、実業家として成功して富を築いたビュールレは、心の拠りどころとして美術作品を収集しはじめた。1940年代には、フランス絵画を中心に約80点を購入したが、レンブラントとファン・ゴッホの自画像は贋作と発覚した。 ビュールレ没後の1960年、ビュールレの妻、息子、娘によって財団が設立され、邸宅に隣接する別棟でプライベート美術館としてコレクションの一般公開を始めた。ただしスイス国外にコレクションがまとまって公開されたのは過去に数回のみだった。 彼の死後、別棟は美術館として一般公開されたが、2008年、世界的に報じられた武装強盗団による4点の絵画盗難事件(↓)を機に、一般公開が規制され(盗難作品は全て無事発見)、2020年にチューリヒ美術館に全コレクションを移管して、新館に常設展示されることになった。 ・盗難作品 1. フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲くマロニエの枝》1890:2008年2月18日、チューリッヒ市内の駐車場で発見 ・盗難作品 2. エドガー・ドガ《ルピック伯爵と娘たち》1871 :2012年に発見 ・盗難作品 3. ポール・セザンヌ 《赤いチョッキの少年》1894/1895:2012年4月12日、容疑者らをベオグラードで逮捕した際に発見 ・盗難作品 4. クロード・モネ《ヴェトゥイユ近辺のひなげし》1879:2008年2月18日、チューリッヒ市内の駐車場で発見 ということで、今回はビュールレ・コレクションの全体像がみられる最後の機会である。 第1章 肖像画 ・ハルス《男の肖像》1660-66 ・アングル《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》1811 ・アングル《アングル夫人の肖像》ca.1814 ・クールベ《彫刻家ルブッフの肖像》1863 ・ルノワール《アルフレッド・シスレーの肖像》1864 第2章 ヨーロッパの都市 ・グアルディ《サン・マルコ ヴェネツィア》1780-85 ・カナレット《カナル・グランデ ヴェネツィア》1738-42 ・カナレット《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂 ヴェネツィア》1738-42 ・シニャック《ジュデッカ運河、ヴェネツィア 朝》(サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂)1905 第3章 19世紀のフランス絵画 ・コロー《読書する少女》1845-50:42.5x43.5cmの小ぶりの画。画室で描かれた作品。 ・ドラクロア《アポロンの凱旋》油彩 ca.1853 《大蛇の神ピュトンに打ち勝つアポロン》ルーブル美術館アポロン宮天井装飾油彩画 (800×750cm 1850-51)↓ のヴァリアント。 本作に描かれる場面は、古代ギリシアの都市国家デルポイの地を守護していた予言の力を有する巨大な雌蛇ピュトンを、太陽神アポロンが神託所を設けるために大地の母神ガイアに代わって退治するところ。 画面中心に描かれた太陽神アポロンは、黄金の四頭立て戦車(凱旋車)に乗り怪物ピュトンに向けて弓を引く姿で神々しく描いている。その弓の先には既に数本の矢で射られ鮮血を滴らせながら威圧するかのように牙を剥く巨蛇ピュトンが配されており、さらに画面最上部にはこの物語の結末を示すよう勝利の冠を授ける女神が描き込まれている。 ・ド・シャヴァンヌ《コンコルディア習作》1859-61:コンコルディアは壁画の名。 ・マネ《オリエンタル風の衣装をまとった若い女》ca.1871 ・マネ《燕》1873 第4章 印象派の風景ーマネ、モネ、ピサロ、シスレー ・マネ《ベルビュの庭の隅》1880 ・モネ《ヴェトゥイュ近郊のヒナゲシ畑》ca.1879 盗難作品 ・ドガ《リュドヴィック・ルビック伯爵とその3人の娘たち》ca.1871 盗難作品 ・ドガ《14歳の小さな踊り子》1880-81(original),1932-36(cast):1881年の印象派展に出品された蠟(ワックス)製の原作は、本物の衣服、靴、人毛を付けていて、実物と見分けがつかなかったとされているが、今回の展示品では髪の毛や靴は蠟のままだった。 C・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンベール嬢(可愛いイレーヌ)》 ルノワールの《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》は今回の目玉のひとつで、端正で可憐な美少女だが、憂いを帯びた表情をしている。 カーン家はユダヤ系移民の家系で、パリで銀行家として成功していた。1880年の夏、別邸の庭でモデルをつとめた8歳のイレーヌは、その11年後にカモンド伯イザクと結婚する。 ひとまわり年上の夫との間には一男一女が生まれたが、結婚生活は10年ほどで破綻し、その後30歳でサンピエーリ伯と再婚するが、20年ほど後に二度目の離婚をしている。 息子ニッシムは長じてフランス空軍のパイロットとなり、第一次世界大戦末期の1917年、25歳でロレーヌ地方において撃墜死を遂げている。 1894年に生まれた娘ベアトリスはやがてレオン・ライナッハの妻となり、ふたりの子宝に恵まれるが、一家4人ともナチスのユダヤ迫害によって捕らえられ、アウシュビッツほかの収容所で全員命を落としている。 イレーヌを描いた絵自体もナチスによって没収され、一時期は美術好きのゲーリングの手もとにあったという。終戦後の1946年になって絵はようやくイレーヌ本人のもとに戻された。彼女はすでに74歳になっていた。その3年後に競売にかけられ、ビュールレによって落札された。 ナチスはユダヤ人から没収した絵画をスイスでオークションにかけて軍資金の足しとしたが、そのうち13作品をビュールレが購入していたために、終戦後に返還させられ、ビュールレは一部を買い直す羽目に陥った。 ・ルノワール《夏の帽子》Summer Hats 1893 Hats is a painting into which Renoir concentrated everything that was important to him in art and in life - youth, gaiety, feminine beauty, summertime. His favourite and almost only subject being young women and children, Renoir left no picture in which suffering, illness, or age occur. Nor could he stand the winter season with its fog and snow, which he called "Natural Leprosy". "In my opinion", he once said, "a painting ought to be something attractive, and a cheerful and pretty thing - yes - pretty." ルノワールの言葉「ルノワールの生涯」 (アンリ・ペリュシュ 著/講談社) 絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。 そう、美しいものだ! 人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ。 The two young girls trying on their summer hats are not only cheerful and pretty, they are radiant symbols of seemingly inocently happy existence. Perhaps it is a mother we see afixing summer flowers to her daughter's hat; or perhaps the two are sisters. They are out of doors, as the green background shows, and evertything in the scene is round and warm and flowing, without a single harsh contour or cold colour; soft light lends the hues a delicate glow and models the forms. Two women, involeved in a most feminine perusuit, making themseves pretty: in this constellation Renoir found an admiable variation on his fovourite theme and expanded it beyond mere illustration to an active symbol. His depiction is of an ideal type of femminity, the type of beauty he preferred, rather than an attempt to charactarize individuals. Copius hair, a rather full face, shimmering peaches and cream complexion, and ample curves were his ideal, in life as in his art, of female loveliness - and of the joy of being human. 第6章 ポール・セザンヌ ・《聖アントニウスの誘惑》ca.1870: クイヤルド様式(クイユ=睾丸)の暗い絵。聖アントニウスは画面左上に逃げ込んでいて、画面の大部分は4人の裸婦が占めている。 ・《扇子を持つセザンヌ夫人の肖像》1878-88: 扇子は黒。 身体に対して右腕が非常に長く描かれ、肩の位置も実際の人体と異なっている。バランスをとるために、セザンヌは意図的に片腕だけを長く伸ばして描いたのである。空間がゆがんだような印象を受けるが、すべてセザンヌの計算ずくの構図である。 静物画で評価を受けたセザンヌは、このように人体モデルの絵画にも取り組むようになったのである。 1890年に盗難に遭ったこの画は、2012年にセルビアで無事発見された。 ・《庭師ヴァリエ(老庭師)》1904-06: セザンヌ得意の題材。 第7章 フィンセント・ファン・ゴッホ ・《古い塔》1884 ニューネン時代の作品。 ・《二人の農婦》1890 ・トゥルーズ=ロートレック《コンフェッティ》1894:製紙会社「コンフェッティ」の宣伝ポスター習作油彩画。今まで石膏を使っていた「紙吹雪」が紙となった。 ・ゴーギャン《肘掛椅子の上のひまわり》1901 右(エルミタージュ美術館)画中画:タヒチの女、目の花:椅子の右上(↓右) 第9章 モダン・アート ・ヴラマンク《ル・ペック近くのセーヌ川のはしけ》1906 ・ドラン《室内の情景(テーブル)》ca.1904 ・ブラック《レスタックの港》ca.1906: フォービスムの作品。 ・ブラック《ヴァイオリニスト》1912: キュビスムの作品。 ・ピカソ《イタリア女》1917 第10章 新たな絵画の地平 ・モネ《睡蓮の池、緑の反映》1920-26 室内撮影OK。 ビュールレは、モネの死後、モネが残していた「睡蓮」を3点購入した。 ちなみに、松方幸次郎はオランジュリー美術館の連作「睡蓮」の習作《睡蓮ー柳の反映》をモネから直接購入している。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2018-02-27 23:37
| 印象派
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