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北陸は大雪だが、東京は快晴。
しかし東京にも寒波が滞在しているので、多少工夫して東京国立博物館に「仁和寺と御室派のみほとけ」を見に行ってきた。 渋谷までバスで出て、山手線を上野の手前の鶯谷で下車。 鶯谷駅南口からタクシー(片道410円也)で東博を往復するというのが工夫である。 平成館の前の大きな展覧会ポスターを撮影。 第1章 御室仁和寺の歴史 仁和寺は、光孝天皇(830-887)の発願により造営がはじまり、仁和4年(888)、宇多天皇(867-931)により創建された。 宇多天皇は譲位後に出家し、延喜4年(904)、仁和寺に御室(僧坊)を造営、隠棲した。 その後、仁和寺は、宇多法皇の法流を受け継ぐべく歴代門跡は親王・法親王が相承し、御願寺(皇室の私寺)として歴代天皇より崇敬されてきた。 「御室」と称されてきた仁和寺の歴史を如実に物語るのが、国宝「高倉天皇宸翰消息」(↓)をはじめとする仁和寺に伝わる天皇直筆の書(宸翰)の数々。 ・《宇多法皇像》江戸時代 慶長19年(1614) ・国宝 円勢・長円作「薬師如来坐像」平安時代・康和五年(1103)仁和寺蔵 後期展示 第2章 修法の世界 密教には、仏の力によって現実世界にさまざまな影響を与える「修法」という儀式がある。 天変地異をはじめとした災いを除き、幸福をもたらすため、わが国では特に修法の力が密教に期待され、平安時代には国家的な行事として行なわれた。 仁和寺は弘法大師・空海を宗祖と仰ぎ、また、創建以来皇室との所縁が深いことから、修法にかかわる多くの名宝が伝えられている。 第2章では、天皇の病気平癒や息子の誕生を願う孔雀経法の本尊である「孔雀明王像」(↓)や、仏舎利を納める容器である「金銅火焰宝珠型舎利塔」(↓↓)など、修法の場で用いられた仏画や法具が展示される。 ・国宝「孔雀明王像」北宋時代10‐11世紀 仁和寺 ・国宝「十二天像」京都国立博物館蔵のうち、前期は梵天・地天、後期に毘沙門天・伊舎那天 ・国宝「両界曼荼羅(子島曼荼羅)奈良・子島寺蔵のうち、前期は胎蔵界曼荼羅、後期に金剛界曼荼羅 ・重文「金銅火焰宝珠形舎利塔」鎌倉時代・13世紀 仁和寺蔵 第3章 御室の宝蔵 承平元年(931)、仁和寺の御室にて宇多法皇が崩御するに際して、膨大な数の御物が仁和寺の管理下に移され、これにより仁和寺の宝蔵が成立した。 以後、仁和寺の宝蔵は、御願寺(皇室の私寺)の宝蔵として厳重に管理され、火災や戦火に遭いながらも宝物は護られてきた。その中には国宝「医心方」など、中国・日本の医学史上において重要な史料も含まれていまる。 また、仁和寺を総本山とする真言宗御室派の関係寺院にも、さまざまな寺宝が伝来している。 これまでまとまって紹介される機会がなかった仁和寺と御室派関係寺院に伝わる絵画・書跡・工芸の名品が第3章に展示されていた。 ・国宝「医心方」仁和寺蔵 平安時代(12世紀)本邦最古の医学書。巻一(前期)、巻九(後期) ・国宝「黄帝内経太素」巻六 仁和寺蔵(1167)中国最古の医学書の写本 後期展示。 ・国宝「誓願寺建立縁起」福岡・誓願寺蔵 ・重文《僧形八幡神影向図》鎌倉時代・13世紀 仁和寺蔵 ・狩野種泰《彦火々出見尊絵》福井・明通寺蔵 17世紀 巻三(前期)、巻六(後期) ・《鳥獣戯画 甲巻》仁和寺蔵 江戸時代 高山寺と距離が近い仁和寺の僧が《鳥獣戯画》の写しを取ったのだろう。 ・《華厳宗祖師絵伝 義湘絵》仁和寺蔵 江戸時代 これも本絵は高山寺に伝わっている。高山寺と距離が近い仁和寺の僧が《華厳宗祖師絵伝 義湘絵》の写しも取ったのだろう。 次いで第2会場へ 第4章 仁和寺の江戸再興と観音堂 創建以降、広大な寺域を誇った仁和寺の伽藍も、京都を戦場とした応仁の乱のさなかの応仁2年(1468)、ことごとく焼失した。 その後、仁和寺の南に位置する双ヶ丘の真光院で法脈は受け継がれるが、現在のような伽藍に再興されたのは江戸時代初期、覚深法親王(1588-1648)の頃だった。 寛永11年(1634)、覚深法親王は将軍徳川家光に働きかけ、仁和寺再興の援助を受けることに成功した。天皇の御所であった紫宸殿、清涼殿、常御殿も移築され、堂舎に改築された。これらは皇室ゆかりの仁和寺ならではの特別の配慮だったのだろう。 第4章では、江戸時代初期に再建された諸堂のうち、普段は非公開の観音堂の様相を33体の安置仏で再現されていた。ここは写真撮影可だった。 第5章 御室派のみほとけ 仁和寺は、今から1100年あまり前の平安時代に開創されたが、それ以後の長い歴史のなかで、仁和寺と御室派諸寺院とはさまざまな縁が取り結ばれてきた。 現在、御室派寺院は約790箇寺を数えるが、その縁には今となっては忘れられてしまったような両者の歴史がしっかりと刻みこまれている。 本展覧会では、普段は公開されていない秘仏を含めて、全国各地の御室派寺院から貴重な仏像が数多く集まるので、第5章では、御室派の広がりによって実現した名品の饗宴を堪能できる。 ・国宝「阿弥陀如来坐像および両脇侍立像」平安時代 仁和4年(888)仁和寺蔵 ・重文「降三世明王立像」平安時代・11世紀 福井・明通寺蔵 ・重文「馬頭観音菩薩坐像」鎌倉時代・13世紀 福井・中山寺蔵 ・重文「五智如来坐像」平安時代・12世紀 大阪・金剛寺蔵 ・国宝「十一面観音菩薩立像」平安時代・8~9世紀 大阪・道明寺蔵 ・国宝「千手観音菩薩坐像」奈良時代・8世紀 大阪・葛(ふじ)井寺蔵 後期展示 ・重文 経尋「千手観音坐像」平安時代・12世紀 徳島・雲辺寺蔵 よくみると、同じ雲辺寺蔵の重文「毘沙門天立像」と「不動明王立像」(両者ともに慶尋作)のに囲まれて、この仏さまはじっと目を閉じておられた。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2018-02-07 14:09
| 仏像
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