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アンドリュー・ワイエス(1917~2009) Andrew Wyeth
![]() 前回のブログ記事には、それまでのワイエス記事をまとめている。 ●ワイエス生誕100年 @日曜美術館(初回放送)2017/9/10 ブログ ●アンドリュー・ワイエス―記憶を引出すマジック」講演・中村音代(文責・とら) ●アンドリュー・ワイエス 創造への道程 @BUNKAMURA2008/11/08 ブログ ●第8回アンドリュー・ワイエス水彩展 ワイエスが描く光と影 @丸沼芸術の森2008/04/21 ブログ ●アンドリュー・ワイエス展2007/06/29 ブログ ●観られなかった2つのアンドリュー・ワイエス展2006/06/09 ブログ ●アンドリュー・ワイエス美術鑑賞会@丸沼芸術の森2006/05/27 ブログ ●アンドリュー・ワイエス水彩・素描展 @丸沼芸術の森2006/05/19 ブログ ●アンドリュー・ワイエス美術鑑賞会@丸沼芸術の森2006/05/27 ブログ 今回の(再)放送「ワイエスの描きたかったアメリカ」の内容は以下のとおりである。 ワイエスは、自分の近くに住んでいたドイツやスウェーデンからの移民家族あるいはアフリカ系住民の日常生活を描いていた。 《クリスティーナの世界》1948 Christina's World 丸沼芸術の森は、この作品の素描12点を所蔵。 ![]() 1801年、サミュエル・ホーソン大尉 Capt. Samuel Hathornは、外国の船乗り商人 foreign merchant seamen 、海老とり漁夫 lobster fishermen 、クリッパー船の乗組員 crews of clipper shipsの宿として一軒の家を建てた。 ある冬の日、スウェーデンの船乗りジョン・オルソン John Olsonは、自分の船が氷に閉じ込められたため、大尉の宿に住みこみで働いくこととなった。 ジョン・オルソン は、大尉の娘ケティー・ホーソン Katie Hathorn と恋に落ち、二人は1892年に結婚した。 一年後にクリスティーナChristina(1893年生)、次いで アルヴァロ Alvaro(1894生)、サミュエル Samuel、ジョン John 、フレデリック Frederick が生まれた。 《アダム》1963 Adam Johnson アフリカ系アメリカ人。 ![]() 《カーナー夫妻》1971 自宅の隣家の農場主カール・カーナーとその妻アンナ・カーナー 夫妻はドイツからの移民 Karl and Anna Kuerner ![]() ワイエス自身は、反移民排斥の立場をとっていたように感じられるが、これはワイエスの近くに住んでいた住民が比較的近年の移民であったからであって、ワイエス自身がある政治的・思想的な立場をとっていたわけではない。 一年前にアメリカの指導者となったトランプ大統領が移民排斥の立場を崩していないが、これは選挙で彼の応援をした白人労働者の立場をとらざるをえないからであろう。 今回の日曜美術館がワイエスを取り上げているのも、決してトランプ大統領の反移民政策に対して反応したわけではなかろう。 ワイエスの絵は、建国以来およそ240年、世界中から多くの移民が渡ってきて活力を生み出してきた国、アメリカの移民の姿を描いている。 アンドリュー・ワイエスは2017年に生誕100年を迎え、記念切手が発売され、記念展覧会では多くの人を集めている。 かつて彼は「アメリカ人にアメリカとは何かを示したかった」と語った。言葉の裏には「アメリカは移民によって成り立っている」と意味が含まれている。 事実、ワイエス自身も移民の血を引く家系に生まれた。 雑誌の絵描きであったワイエスの父は、ワイエスに絵の才能のあることを見抜いて息子に絵の描き方を教えた。 ワイエスはこれに感謝してはいたが、ある時期から父親に対して違和感も感じはじめていた。大衆受けする絵を目指せよ云う父親と、対象を自分の感性で描いていきたいと思うワイエスとの対立である。 そのワイエスが、父親が悲劇的な事故によって突然死して初めて解放感を得た。そのことは、彼のテンペラ画(↓)から読み取れる。 《1946年の冬》1946 ![]() 父親の死から半年後に描かれた《1946年の冬》は、丘から少年が駆け下りてくる画である。 父親が事故死した1か月後に事故現場近くで水彩画に取り組んでいたワイエスの前を、軍服にパイロット帽をかぶった少年が駆け下りてきたのである。 《スノー・ヒル》1989 ![]() 描かれた人物は、①カーナー夫妻 Karl and Anna Kuerner、②ヘルガ・テストルフ Helga Testorf、③ビル・ローぺル Bill Loper、④アラン・リンチ Allan Lynch 、⑤アダム・ジョンソン Adam Johnson。 場所は彼らが住み、ワイエスが描いたすべての場所を見渡すカーナー・ヒルの頂上。 「ワイエスが描きたかったアメリカ」は、このように多くの移民が作り上げたものであった。 そのようなアメリカでは人々はみな平等であるはずだが、現実にはそうなっていない。 ワイエスはそのような現実に目を背けることなく、移民の苦しい生活を淡々と描いたのである。 しかし、ワイエスは移民の生活改善運動の旗を振っているわけではない。 【ゲスト】岐阜県現代陶芸美術館館長・高橋秀治 【ゲスト】バイオリン奏者・五嶋龍 【司会】井浦新、高橋美鈴 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2018-01-21 14:06
| 現代アート(国外)
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