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これは「第5章 日本人のゴッホ巡礼」の記事。
ファン・ゴッホが1980(明治23)年7月29日に、オーヴェール=シュル=オワーズの宿屋ラヴ―邸の一室で息を引き取って約20年後に、日本でこの画家の紹介が始まった。とりわけ熱心だったのが、「白樺派」およびその周辺の文学者や美術家、武者小路実篤・斎藤与里・岸田劉生・児島喜久雄らであった。 ファン・ゴッホを看取ったポール=フェルディナン・ガシェ医師(1828-1909)はこの世を去っていたが、ガシェ医師㋨手元にあった20点あまりの「ファン・ゴッホのコレクション」は息子のポール・ルイ・リュシアン・ガシェ(1829-1909)が守り続けていた。 大正から昭和にかけて、ファン・ゴッホに対する熱狂の渦が広がり、渡仏した日本人の多くがオーヴェールを訪れた。当時のパリではまとまったファン・ゴッホのコレクションが見られなかったので、オーヴェールが「ファン・ゴッホの巡礼」の地となったのである。 ガシェ家には、来訪した日本人の名前を記した「芳名録」が3冊残っている。 芳名録Ⅰ 1929(昭和4)年には、「クレラー=ミュラー・コレクションによるファン・ゴッホ展」が開催され、その際の「芳名録」が残っている。 その中には20名以上の日本人の名前も見られ、その中には、荻須高徳や佐分眞の名前もあった。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-11-11 22:59
| 印象派後期
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