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リヒテンシュタイン家の美術コレクションについては、2007年3月にウィーンの「リヒテンシュタイン美術館」を訪れ、2012年に国立新美術館で催された「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵の秘宝」を見て、それぞれについて以下のような記事をホームページやブログに書いている。
●リヒテンシュタイン美術館 @ウィーン 2007/03 ●リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵の秘宝 その1 @国立新美術館 2012/10/03 ●リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵の秘宝 その2 @国立新美術館 2012/10/04 ●また、NHKの「世界のプリンス・プリンセス物語:アロイス皇太子@リヒテンスタイン」を視聴し、ブログ(2017/06/01) にその記事を書いている。 番組はリヒテンシュタイン美術館の66年ぶりの公開を機に、所蔵作品の数奇な物語をひも解いたもの。2017年10月20日(金)の 午前9時00分~午前10時53分という113分番組で、今まで知らなかった事柄をいくつも知ることができた。 そこで、この番組の内容について、以下のブログ記事としてまとめておくこととしたい。 私が2007年にウィーンのリヒテンシュタイン美術館を訪れた際や2004年の番組初回放送時と異なり、現在のリヒテンシュタイン美術館は完全予約制となり、多くの作品が2012年に東京の国立新美術館で展観されたように、世界巡業の旅に出ている。 番組の中で、ファドゥーツの「リヒテンシュタイン城」やウィーンの「リヒテンシュタイン美術館」を案内したのは、アロイス侯太子だった。 (↓)はルーベンスが1637年頃に制作した《聖母被昇天》で、制作してから間もなくリヒテンシュタイン家が取得し、18世紀の終わりから「リヒテンシュタイン美術館」に展示されているとのこと。 リヒテンシュタインのカール1世(1569-1627)は美術品収集家であったが、同じく美術品収集に明け暮れていたハプスブルグ家プラハ宮廷のルドルフ2世とウマが合い、プラハ宮廷でルドルフ二世のために美術品の収集の任に当たった。このため、カール1世は、1608年にルドルフ2世から侯爵の称号を与えられた。 (↓)はカール1世がルドルフ2世の許可を得て発注した紋章入りテーブル天板 カール1世の孫・ヨハン・アダム・アンドレアス(1567‐1721)は、1699年、シェレンベルク男爵領を購入、1719年、ファドーツ伯爵領を購入した。1719年、神聖ローマ帝国カール6世は、上記のファドーツ伯爵領とシェレンベルク男爵領とを併せて、リヒテンシュタイン侯領とすることを認可した。これがリヒテンシュタイン侯国の始まりである。彼は《クララ・セレナ・ルーベンスの肖像》や《デシウス・ムス連作》を購入している。 ヨーゼフ・ヴェンツェル(1696-1772)は、フランス王・ルイ15世 (在位:1715年- 1774年)との外交交渉を容易にするため、フランス絵画(シャルダン、リゴー)を購入しただけでなく、フランスで《黄金の馬車》を造らせ、パリからベルサイユ宮殿への馬車行列に使用した。側面のロココ風の画は、ブーシェ工房で描かれたらしい。 リヒテンシュタインの侯爵・ヨーハン1世(1760年 - 1836年、在位1805年 - 1836年)はフランス皇帝ナポレオン1世との交渉にあたった。リヒテンシュタインは、1806年、神聖ローマ帝国の崩壊により独立国となったが、翌年にナポレオン1世によりライン同盟に加えられた。リヒテンシュタインのヨハン1世は引き続き主家であるハプスブルク家に対する忠誠を守るため、3歳の息子カールをライン同盟に組み込まれたリヒテンシュタイン侯国の摂政に任命し、自らはその後見人として国を治めた。ヨハン1世はハプスブルグ家を守るため、ナポレオンと直接交渉し、ナポレオンもヨハン1世に敬意を表して、ハプスブルク家の賠償金を減額した。1813年にナポレオンが没落すると、ヨハン1世は息子の摂政を廃して執政に復帰した。 ●ヒットラーの時代 リヒテンシュタインの美術品は、教会の二重ドームの隠し部屋と別荘のワイン倉庫に疎開したが、後者はナチによって岩塩鉱に移された。これはリヒテンシュタイン美術館のグスタフ・ウィルヘルム館長の献身的な努力によって、ナチ崩壊の直前にファドゥーツのリヒテンシュタイン城(↓)に運び込まれた。「黄金の馬車」は分解して、別途ファドゥーツに送られた。 リヒテンシュタイン侯爵家が収集した美術コレクションは、「総数約3万点」にのぼり、英国王室に次ぐ世界最大級の個人コレクションである。すでに19世紀には公開されていたが、第二次世界大戦以降は一般の目に触れる機会はごく限られ、ようやく2004年にウィーンの「夏の離宮」でその一部の約200点が公開されるようになった。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-10-21 11:26
| 国外アート
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