記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
新聞のテレビ番組を見ると、この番組「▽時代が生みだした仏像を大公開!▽みうらじゅんも大興奮」というコメントが付いていたので、期待して見た。
確かに番組の参加者の中に、イラストレーター・みうらじゅん、美術史家・佐々木あすかの名前があった。 番組に、最初に登場したのは「金剛力士立像」東大寺南大門 高さ8.4メートルの仁王様である。血管が浮き出した「阿形像」と筋肉の盛り上がる「吽形像」は宇宙の始めと終わりを表しているとのこと。この作者は「源平争乱の時代が生みだした仏師・運慶」である。 次に出てきたのは、六波羅密寺に残っている伝《運慶坐像》。これを見る限り、運慶の顔貌は穏やかである。 運慶は1050年頃に生まれた。運慶の父・康慶は、そのころ興福寺で仏像の修復にあたっていた。修理の対象は《阿修羅像》734年(脱活乾乾漆像)のような仏像で、運慶が生まれる400年も前に制作されたものであった。 興福寺の僧でもあった運慶が制作した最初の仏像は、奈良・円成寺の《大日如来坐像》で、張りのある頬、切れ長の目、足底の凹みなどは、平安時代の仏像にはなかった革新的なもので、仏に人間のような体つきを与えたものであった。 このプロデューサーは運慶であったが、運慶自身が円成寺の《大日如来坐像》を一人で制作した際には、11ヶ月間も掛かっていることを考えると、プロデューサー指揮下の共同制作作業はきわめて有効だったといえる。 1185年壇の浦の戦いで平氏は滅亡し、武士である源氏の世になった。源頼朝の権力・統治機構が実質的に成立したのは、頼朝が征夷大将軍に任官した1192年に先立つ1185年であるが、翌1186年には運慶は頼朝の義父・北条時政の発願によって願成就院の《毘沙門天立像》を制作している。これは武士をイメージして作られたた仏像であった。 愛知・瀧山寺の《聖観音菩薩および両脇侍像》は、頼朝の三回忌にあたる1201年に、従弟の住職・寛伝が頼朝追善のため仏師運慶・湛慶父子に作らせたもので、《聖観音菩薩》には頼朝の遺髪と歯が埋め込まれている。 最後に登場したのは、「みうらじゅん好み」の2点。 その一つの《重源上人坐像》は、上人の外面を表した単なるリアリズム作品ではなく、内面まで表現している。作者は不明であるが、運慶作という人も少なくないとのことである。 もう一つの《無著菩薩立像・世親菩薩立像》は、運慶が晩年に到達した境地を示している。 番組全体としてみれば、残念ながら、イラストレーター・みうらじゅんさんのコメントが多すぎ、一方専門家である美術史家・佐々木あすかさんの説明が少なかった。 番組の司会者・井浦新さんのまとめのコメント「運慶の時代だけ特別で、後の時代にはこのような前衛的な仏像は造られなかった」は納得できるものだった。 NHKには「あなたの声と受信料」というキャッチフレーズがあるので、長年受信料を払っている視聴者として、ここでひとこと苦言を呈する。 最近「運慶展」を取り上げたテレビ番組をいくつか視聴したが、この「日曜美術館」は「ぶらぶら美術館・博物館」に比べると、はるかに低いレベルの内容のものだった。 番組制作者の猛省を促しておく。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-10-17 18:31
| 仏像
|
ファン申請 |
||