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運慶による仏像は31体残っている。今回の「運慶展」にはそのうち22体が出陳された。ここでは残りの9体について述べることとする。
1.国宝 運慶《阿弥陀如来坐像》 願成就院 文治2年(1186) 2-4.国宝 運慶《不動明王二童子(制咤迦童子・矜羯羅童子)立像》 願成就院 文治2年(1186) 5.国宝付属 運慶《八大童子 阿耨達童子》 金剛峯寺 建久8年(1197) 八大童子立像で国宝に指定されているのは六躯、矜羯羅童子、制多伽童子、恵光童子、清浄比丘童子、恵喜童子、烏倶婆誐童子で、後の二躯、指徳童子、阿耨達両童子は国宝の付属となっている。彩色が施されていない両童子像の造立期は他の六躯より少し遅れる鎌倉時代後期~南北朝時代頃であると考えられている。これは火災など、何らかの理由により当初像が失われたためであると推測される。 6.国宝付属 運慶《八大童子 指徳童子》 金剛峯寺 建久8年(1197) 7.運慶・湛慶《梵天立像》 瀧山寺 正治3年(1201) ●8.運慶・湛慶《帝釈天立像》 瀧山寺 正治3年(1201) 吽形の胎内から出てきた「一切如来心秘密全身舎利筺印陀羅尼経」には、運慶の弟・定覚や長男の湛慶ら約200名の名前が書かれているのに、運慶の名前は見当たらなかった。 1991年に、阿形の部材から墨書が見つかり、一番初めに「建仁三(1203)年癸亥・七月廿四日始之・大仏師法眼運慶」と書かれていることが分かった。快慶の法名は後の方で、運慶の名前より一段低い位置に書かれていた。 このことから考えると、運慶は全体の統率責任者であり、快慶の阿形制作にも関わっていたと思われる。 さて、今回の運慶展に出ていなかった9点の運慶作のうち、再見マーク●が2体に付いた。そうなると、純粋な未見は7体に過ぎない。 もっともこのことは今回の運慶展の後期を見てからの話ではあるが・・・。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-09-30 14:33
| 仏像
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