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これは昨晩2017/7/25のこと。夜9時から「BS朝日」で「沖ノ島~藤原新也が見た祈りの原点」を見た。同じ日の朝日新聞朝刊には、次のような紹介記事「試写室」が載っていた。
1944年生まれ。東京藝術大学絵画科油絵専攻入学直後にアジア各地を放浪。写真家や作家として「印度放浪」「東京漂流」「メメント・モリ」などの作品を発表。1978年に木村伊兵衛賞、1982年に毎日芸術賞を受賞・沖ノ島関連では「神の島沖ノ島」(安部竜太郎氏と共著)「沖ノ島 神坐す海の正倉院」がある。自分ではブログに「宗像大社国宝展 @出光美術館」を書いており、最近の世界遺産登録に際しては一部加筆も行っている。 今回は、番組の概要をメモとして残しておきたいと思う。 【はじめに】 沖ノ島ー離島・断崖・絶壁 岩上祭祀(4世紀後半-5世紀) 沖ノ島裏の海域は荒れることが多いものの漁獲量が多いので、古くから漁師たちは命がけで舟を出していた。現在でも漁師と神職は酒を酌み交わすなど親密に付き合っており、獲れた魚を沖津宮に捧げる風習も続いている。また港も海が荒れた時には島に逃げ込めるように作られている。 田心姫神(たごりひめのかみ)=沖ノ島の「沖津宮」、湍津姫神(たぎつひめのかみ)=沖合の大島にある「中津宮」、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)=宗像市内にある「辺津宮」。 聖地「沖津宮」における木々に囲まれた静けさ。 沖ノ島におけるご神体としての「岩」の重要性。 【追記】歴史秘話ヒストリア「世界遺産 沖ノ島」 1.神宿る島:ヤマト王権は、大和と朝鮮半島との途中に位置する「沖の島」で、4世紀~9世紀の間、祭祀を行っていた。沖ノ島で出土するもののうち三角縁神獣鏡は東アジアから倭にもたらされたもので、奈良三彩は唐三彩を真似て大和で生産されたものである(↓)。 2.古代朝鮮半島と鉄の道:ヤマト王権(倭)が半島で交流したのは百済。倭の前方後円墳が百済にいくつも残っている。北方の高句麗が南下してきた際、新羅は高句麗と結んだが、百済はヤマト(倭)と結んで、高句麗ー新羅連合に対抗した。 当時のヤマト王権(倭)は武器には青銅を使用しており、鉄はなかった。百済はこの鉄を倭に送ることによって、ヤマト(倭)の軍事能力を高めようとした。 ヤマト王権(倭)とは無関係な九州の「磐井」は新羅と結ぼうとした。百済と同盟関係にあったヤマト(倭)は、このような磐井の動きを許せず、6世紀(527~528年)に磐井を攻め滅ぼした。磐井の文化のシンボルの石馬は頭部を切断され(↓)、石人は鎗で胴部に穴をあけられた。
by cardiacsurgery
| 2017-07-27 09:38
| 国内アート
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