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これは、「吉田博展 第1章・第2章」および「吉田博展 第3章・第4章」の続き。
第5章「新たな画題を求めて 1930-1937」 四度目の海外旅行は昭和5年11月のこと。54歳の博は、19歳の長男・遠志を伴ってインドに出かけた。 カルカッタ、ダージリン、ぺバレス、デリー、アーグラ、アムリトサル、ジャイプル、ウダイプル、ボンベイなどを巡り、タージ・マハール、サーンチー、アジャンタ、エローラの遺跡を訪れる強行軍の旅で、東南アジアを経て翌年3月に帰国した。 絵心を誘われた素材は山以外にも数多くあり、翌年にかけての全32点に及ぶ木版シリーズ「東南アジア・インドの武」に結実させている。 昭和11年には、五度目の外遊。行き先は韓国と中国だった。翌年完成した木版シリーズ「北朝鮮・韓国・旧満州の部」の5点がその成果である。 第5章のお気に入り ・《フワテプールの舞踊場》昭和6年頃 油彩 府中市美術館 ・《カンチェンジャンガ 印度と東南アジア》昭和6年 木版 個人 博は、この地のイスラム建築に魅了され、いくつかの優れた油彩や木版を残している。この木版画はその一つで、イスラム建築の内部から眩しい中庭を望んでいる作品。淡い茶系統の色を47度も重ね擦りして、精緻なアラベスクから滲む光とその乱反射を表現している。 ・《タジマハルの夜 第六 印度と東南アジア》昭和6年 木版 横浜美術館:博のインド旅行の重要な目的地の一つであるタージ・マハール廟。博はアーグラで満月を迎えられるよう月齢を計算して旅程を組んだ。結果、昼景のみならず夜景の写生を重ねることができ、全6作の木版画に結実した。絵葉書のような白昼の眺めよりも、幻想的な夜の場面のほうが面白い。 ・《三渓園 櫻八題》昭和10年 木版 個人 ・《陽明門》昭和12年 木版 個人:《陽明門》は96度摺りという途方もない工程を経て完成されている。 日中戦争が始まった昭和12年には61歳になっていた博は、翌13年、14年、15年、3年連続で陸軍省嘱託従軍画家として中国に赴いた。自ら志願したとのことである。 上空から撮影した写真も残っており、急降下爆撃を描いた作品も出展されている。 戦後になると下落合の自邸が進駐軍に接収されそうになるが、自らGHQに乗り込み、画家にとってのアトリエの重要性を英語で力説。 戦前から博の木版画が人気があったこともあり、吉田邸は進駐軍関係者が集うサロンのような場になった。 厚木に降りたマッカーサーが、最初に「ヨシダヒロシはどこにいる?」と尋ねたとの話はジョークかもしれないが、実際に吉田邸にはマッカーサー夫人も訪れている。 第6章のお気に入り ・《急降下爆撃》昭和16年 油彩 個人 第4回新文展:中国の地で空爆する日本軍の戦闘機を描いている。 ・《精錬》昭和18年 油彩 福岡市美術館 ・《溶鉱炉》昭和19年 個人:博は、軍需産業の現場(八幡製鉄所・広畑製鉄所)の燦々と輝く溶鉱炉に魅かれ、繰り返し描いている。 木版画(↓)とその写生図(↓↓)を比べると、木版画には男女二人の姿が描き込まれていることが分かる。 博は「芸術家は最後の作品ですら成長できる」ことをこの木版画で示しているのかもしれない。 後期にもこの展覧会を再訪してみたい。⇒後期展示リスト 美術散歩 管理人
by cardiacsurgery
| 2017-07-12 21:23
| 近代日本美術
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