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学士會会報No925(2007-Ⅳ)に、静嘉堂文庫美術館館長・河野元昭氏の論説「与謝蕪村‐その微光感覚」が載っていた。
--------------------------------------------------------------------------蕪村の素晴らしさのひとつに「微光感覚‐微妙な光の感覚」がある。 ・《鎌倉誂物》江戸下向時代:蕪村最初の絵画作品「〈俳諧〉卯月庭訓」に寄せた俳画‐立て膝をして手紙を読む女の絵に、「尼寺や十夜に届く鬢葛」という一句が添えられている。 看過できないのは、この絵に「微光感覚」が現れている点である。この絵の背景には何も描かれていないが、その句とともに眺めるならば、女は灯火のもとで男からの恋文を読んでいることになる。画面には灯火の微妙な光が満ちているのである。 ・《晩秋飛鴉図屏風》個人蔵 宮津時代:脱穀された稲束と鳴子の上を、漆黒の烏が五羽飛んでいく。そのスピード感が素晴らしいのだが、ここでも蕪村の「微光感覚」が光っている。 ・《野馬図屏風》京都国立美術館蔵 京都時代:蕪村が富籤を買っていることを知った弟子が、不思議に思って理由を訊ねた。すると蕪村は、一度「絖(ぬめ)」張りの屏風に描きたいと思っているのだが、赤貧洗うがごとき状態で希望を達することが難しいので、一獲千金をねらって富籤を買っているのだと答えた。これを聞いた弟子たちが「屏風講」を組織し、存分に腕を振るってもらった。 「絖」は絹の一種で、書画に用いる場合には「絖本」と呼ばれる。経糸か緯糸のいずれかを多く浮かせ、一定間隔で組織点を作る。浮き糸が多くなるため、織物としての耐久性は劣るが、滑らかな光沢を生むようになる。 蕪村が「絖本」に描きたかったのは、この光沢に魅力を感じたためだった。 とくに屏風では、折り曲げられることによって、その光沢を微妙に変化させ、美しいニュアンスを生む。 蕪村の「微光感覚」がそれを見逃さなかったのである。 ・《春光晴雨図》個人蔵 晩年期:上記のような屏風の形式から発生する効果から、「絖本」の光沢そのものを生かす段階に進んだのが《春光晴雨図》である。 ・《蘇鉄図》丸亀妙法寺 讃岐時代:四曲一双屏風に改装された襖絵。大きな画面に蘇鉄が両手を広げた大胆なV字型の構成となっている。妙法寺本堂の前庭に群生していた異国情緒あふれる蘇鉄がモチーフだが、これは月光を浴びている蘇鉄であると考えるのがよい。濃墨は月光が直接当たった部分であり、淡墨は微かにしか届かないところと見なすと、分かりやすい。 【脱線】上記の田福の句が、高浜虚子「俳句の作りよう」に引用されていた(↓)。 こんなことを話して子規居士は笑いました。私もこのことに興味を覚えて、それからつづけさまに、写生のことはそっちのけにして、その日はこの種の句作のみに耽りました。あるいは上五字と下五字とを聞いて中七字を案じたり、上十二字を聞いて下五字を案じたり、下十二字を聞いて上五字を案じたりしました。それは多くの場合けっして原句よりもいい句はできませんでしたが、それでもとても普通の句作では思いもつかぬ意外な言葉を見出したり、また意外な辺に考えが飛んだりして、句作の修練の上には得るところが多ございました。ことに古人の、句を作る上に決して一言半句をもいやしくもしていないということが、それらによっても証明されました。もし古人の措辞が十分の推敲を経ていないものであったら、中には古人の句よりもいい句ができる場合もありそうなものでありますが、それはほとんど絶無であったのであります。・《夜色楼台図》個人蔵 謝寅時代(京都定住最晩年)再見:それほど高くない雪山を背景に家並みが続く。胡粉を吹き墨のように使って降る雪を表現しているが、霏々として降るというほどではない。家々からもれる灯火が、ごく淡い朱で暗示される。 かすかな雪明りと灯火-蕪村の「微光感覚」ここに極まれり-の感に打たれる。 「夜色楼台雪万家」という題は、李攀龍の七言律詩「宗子相を懐う」(懐宗子相)から採られたもので、漢詩と東山の雪景色を重ね合わせというダブルイメージ化の過程で、「微光感覚」が決定的な役割を果たした結果、この傑作が生まれた。 蕪村の「微光感覚」は、持って生まれた美意識だったとしか言いようがない。 そこに触媒のごとくに作用した要素があったとすれば、陶淵明の思想を支えていた老荘思想や道教(タオイズム)だったのではないだろうか。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-07-04 15:29
| 江戸絵画(浮世絵以外)
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