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このブログ記事は、前回記事「4人のモナリザ」の続きである。
ここに一つの手掛かりがある。枢機卿アラゴンの秘書が1517年に残した日記である。アラゴン卿と秘書が、フランスに住む65歳のダ・ヴィンチのアトリエに行った時のものである。 当代きってのフィレンツェ出身の画家レオナルド・ダ・ヴィンチは、我々に3枚の絵を見せてくれた。そのうちの2枚は「洗礼者ヨハネ」と「聖アンナと聖母子」、もう1枚はある女性を自然のままに描いた絵で、発注者はジュリアーノ・デ・メディチである。 残されたイッポーリトはローマに送られ、伯父であるレオーネ十世の庇護の下に育ち、後に枢機卿になった。レオーネ十世の戴冠式の画に描かれているように、イッポーリトはメディチ家の一員として大切に扱われていた。 それでは、第四層の女性は誰なのだろうか。 父親ジュリアーノを亡くした息子にとっては、母親の顔は自分の方を向いている必要があった。そこでダ・ヴィンチが4層目の《モナ・リザ》を描く必要が出て出てきたのであろう。
by cardiacsurgery
| 2017-07-03 14:22
| ルネサンス
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