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1.《田舎嫁入》1899(明治32)年 東京藝術大学
夏目漱石の「草枕」では、ヒロインである志保田のお那美さんが馬に乗って嫁入する情景が峠の茶屋の婆さんによって語られるが、そのイメージを彷彿とさせるのがこの作品。この絵は東京美術学校卒業制作として平福百穂が描いた。 草枕の当該部分は以下の通り。 「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前に散らついている。裾模様の振袖に、高島田で、馬に乗って……」この画を見たのは、次の二つの展覧会である。 ・夏目漱石の美術世界展(再訪) @東京藝術大学大学美術館 ・小川芋銭と珊瑚会の画家たち @愛知県美術館 2.平福百穂「日本洋画曙光」 秋田蘭画に再び光があてられるようになったのは、20世紀以降のことで、昭和5年(1930)に秋田生まれの日本画家によって「日本洋画曙光」が著され、本格的に秋田蘭画の再評価が進んだのである。 3.平福百穂《豫譲》大正6年 永青文庫蔵 熊本県立美術館寄託:現在、永青文庫の「細川護立と近代の画家たち」展で7月30日まで展示中。 智伯は、豫譲の才能を認めて、国士として優遇していた。数年後、智伯は宿敵の趙襄子を滅ぼすべく、趙襄子の居城である晋陽を攻撃した。味方の裏切りにあった智伯は敗死した(紀元前453年)。 趙襄子は智伯に対して積年の遺恨を持っていたために、智伯の頭蓋骨に漆を塗り、酒盃として酒宴の席で披露した。一方、辛うじて山奥に逃亡していた豫譲はこれを知り、復讐を誓った。 左官に扮して晋陽に潜伏していた豫譲は、趙襄子の館に厠番として潜入し暗殺の機会をうかがったが、挙動不審を怪しまれ捕らえられた。側近は処刑する事を薦めたが趙襄子は豫譲の忠誠心を誉め称えて釈放した。 釈放された豫譲は復讐をあきらめず、再び趙襄を狙った。やがて、豫譲はある橋のたもとに待ち伏せて趙襄子の暗殺を狙ったものの、通りかかった趙襄子の馬が殺気に怯えたため、見破られ捕らえられてしまった。平福百穂はこの状景を取り上げて屏風《豫譲》にしたのである。平福百穂が左隻に描いたのは、橋のたもとで待ち伏せていた豫譲が武器を持って飛び出してきたところ。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-06-29 16:45
| 近代日本美術
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