記事ランキング
ブログパーツ
最新のトラックバック
外部リンク
以前の記事
2021年 01月 2020年 11月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 more... カテゴリ
全体
国外アート 西洋中世美術 ルネサンス バロック 印象派 印象派後期 現代アート(国外) 東洋アート 仏像 国内アート 江戸絵画(浮世絵以外) 浮世絵 近代日本美術 戦争画 現代アート(国内) アート一般 書籍 音楽 映画・写真 講演会 北海道の鈴 東北の鈴 関東の鈴 中部の鈴 関西の鈴 中四国の鈴 九州の鈴 ヨーロッパのベル アジアのベル アメリカのベル オーストラリアのベル 未分類 フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
ブログジャンル
画像一覧
|
久し振りに目黒区美術館へ行ってきた。行きは山手通り(田道小学校前)から入り、帰りは目黒側に出た。すべてバスを使ったミニ周遊旅行だった。 今回の展覧会の主役「板倉鼎・須美子」は、展覧会のチラシには「永遠に若い二人の閃光のような物語」と記されており、「よみがえる画家」とも書かれている。 鼎は、歯の治療中に敗血症となり、28歳の若さでパリに客死し、帰国した須美子も、結核を発症し、25歳でこの世を去った。まことに無残な物語である。 (↑左画家の像》と(↑右《赤衣の女》は、いずれも板倉鼎が妻・須美子をモデルとして描いた油彩画であるが、(↑左画家の像》は、パリで鼎の手ほどきで油絵を始めた須美子の姿である。この画中、須美子が持っているパレットは会場に展示されていた。いうまでもなく、鼎の巨大なパレットもこれと並んで展示されていた。 《展覧会概要》 1920年代、共にパリに留学し魅力的な作品を数多く残しながら、惜しくも早世した板倉鼎・須美子夫妻の画業を回顧するとともに、二人と親交の深かった岡鹿之助はじめ、館蔵の、同時代にヨーロッパ留学・滞在中の画家たちが描いた作品で学んだ作家たちの作品をあわせて展観し、これまで一般にはあまり知られてこなかった板倉夫妻を中心に、目黒区美術館がテーマのひとつとしてきた戦前期の「画家の滞欧」の興味深い一側面を展示する。 本展は2015年10月10日から11月29日まで、松戸市教育委員会の主催で、松戸市立博物館で開催された「よみがえる画家 板倉鼎・須美子展」を参照して、企画構成にあたった同教育委員会の田中典子氏を監修者に迎え、主要部分を再現する。また、同時代の滞欧作家たちの作品および関連資料等については、館蔵品を中心に新たに構成する。 《展覧会の構成》 第Ⅰ章 板倉 鼎 パリ到着は7月で、翌年からアカデミー・ランソンでロジェ・ビシエールに師事。当初の、岡田三郎助の影響のみられる写実から、モダンで華やかな構成的な画面へと大きく作風を変化させ、サロン・ドートンヌやサロン・ナシオナルに入選し。アンデパンダン展やパリ日本人画家協会展にも出品した。パリから作品を送り帝展にも入選するなど、着実にキャリアを積み将来を嘱望されたが、帰国を目前にした1929(昭和4)年9月、歯の治療中に敗血症となり、28歳の若さでパリに客死した。 本展では、現存するものでは最も古い中学校時代の作品をはじめ、温厚な写実による初期作から、一転して明るい色彩を用いたハワイ時代、さらに大きな変貌を遂げたパリでの作品で、知られざる板倉鼎の画業とその魅力を紹介する。 第II章 板倉須美子(旧姓:昇須美子) 鼎の妻・須美子は、1908(明治41)年、ロシア文学者 昇 曙夢(のぼり・しょむ)の長女として東京に生まれ、文化学院創立と共に入学。1925(大正14)年、文化学院大学部を中退、歌人 与謝野寛・晶子夫妻の媒酌で、17歳で板倉鼎と結婚。文化学院では山田耕筰に音楽を学んでいたが、1927(昭和2)年、パリで鼎の手ほどきで油絵を始めると、同年のサロン・ドートンヌにはやくも初入選した。出産・育児など多忙な中で制作をつづけ、翌年にもサロン・ドートンヌで連続入選、日本人画家たちのグループ展に出品した。 1929(昭和4)年、パリで次女と夫を相次いで亡くし、鼎の友人たちの援助で、幼い長女を連れて帰国するが、翌年には長女も松戸の板倉家で病死し、失意のうちに鎌倉・稲村ガ崎の昇家に戻った。その後は再出発を期し、近所に住んでいた有島生馬に改めて絵画指導を受けるが、結核を発症し、1934(昭和9)年5月、25歳でこの世を去った。 本展では、ハワイでの思い出をナイーブな感性でとらえて、独特の魅力をみせるパリ時代の作品を中心に、後年、有島生馬の指導を受けた頃の作品を交え、美しくも短いその画業を紹介する。 第Ⅲ章 板倉夫妻をめぐる画家、文学者たち 板倉 鼎・須美子夫妻をめぐっては、須美子の父でロシア文学者の昇曙夢、夫妻の媒酌人、歌人の与謝野寛・晶子夫妻をはじめ、文学者など多彩な人々の名が残っている。また鼎の師である堀江正章や岡田三郎助をはじめ多くの画家との関係も興味深い。本展では、こうした板倉夫妻とその周辺の人々の関係について、作品と資料で紹介する。 ・板倉鼎《木影》1922 ・板倉鼎《土に育つ》1926 ・板倉鼎《静物》1927 ・板倉鼎《金魚》1927 ・板倉鼎《黒椅子による女》1928 ・板倉鼎《画家の像》1928.3月 ・板倉鼎《赤衣の女》1929 ・板倉須美子《午後 ベル・ホノルル12》1927-28
・板倉須美子《ベル・ホノルル14》1927-28 ・板倉須美子《ベル・ホノルル24》1928 ・板倉須美子《松の屋敷(有島生馬邸)》制作年不詳 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-05-30 21:34
| 近代日本美術
|
ファン申請 |
||