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![]() マクシマ・ソレギエタ・セルティ王妃は、オランダ国王ウィレム=アレクサンダーの妃。 1971年、アルゼンチン人の父ホルヘ・ソレギエタ とその後妻マリア・デル・カルメン・セルティ・カリカルトの娘としてブエノスアイレスで生まれた。 父ホルヘは裕福な農場経営者で、ホルヘ・ラファエル・ビデラ政権時代に農林大臣を務めた。 マクシマは1995年にアルゼンチン・カトリック大学を卒業した。 1999年、米国の銀行に勤めていたマクシマは、友人主催のパーティーのあったセビリアのバルで、親戚に紹介された女性と一緒にいたオランダのウィレム=アレクサンダー王子と知り合った。 2000年頃2人の交際が公になりオランダ国内で大きな議論がまきおこった。マクシマの父ホルヘが軍事独裁政権の閣僚であったことが問題視されたのである。特に亡命して来た人たちを受け入れてきた国オランダの国民は、マクシマに対する風当たりを強め、無実の市民の大量虐殺を起こした政権の実力者の娘と、次期王位継承者との結婚を許していいものか、もし結婚を選ぶなら王位継承権を放棄すべきだ、との世論が巻き起こった。 結局、ホルヘは大量虐殺には一切関与していなかったとの結論が出され、2013年4月30日、義母・ベアトリクス女王が退位し、翌5月1日にアレクサンダーがオランダ国王に即位した。これによりマクシマは、フォン・ヴァルデック=ピルモント・エンマ王妃以来123年ぶりとなるオランダ王妃となった。 マクシマの父親がいたビデラ大統領は、独裁政権を敷き、反対派を飛行機から落とすなど残酷な取り締まりを行い、「汚い戦争」とさえ言われていた。 逃げて来た人達を助けるなどの活動をしていたオランダにおける二人の結婚前の記者会見は、厳しいものだった。 皇太子が、ビデラ大統領を擁護するような発言をしたところ、記者たちは、皇太子の前で起立も拍手もしなかったし、厳しい質問が飛んだ。質問が皇太子の発言に及んだ時に、マクシマが「皇太子はちょっとおバカちゃんですね」と云った。 これで会見の雰囲気はガラリと変わり、記者たちから祝福の言葉が出るようになった。 二人の結婚式では、マクシマの父親は呼ばれず、母親も出席しなかった。 彼女の希望で「さようならお父さん」の曲が演奏された。それは、父親との別れだけでなく、アルゼンチンとの別れでもあった。 今では、国民から「王妃様」ではなく「マクシマ」と呼ばれるほど人気の王妃になっている。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-06-03 17:54
| 映画・写真
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