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この「創建1250年記念特別展」の副題は「創建1250年記念叡尊と一門の名宝」である。
平安時代には、西大寺は度重なる災害に遭って疲弊したが、鎌倉時代の中頃に叡尊(興正菩薩)という高僧が、密教と戒律を柱とする宗教活動さらには社会事業を広く展開し、その一門は大きく発展した。 この展覧会の見どころは、次の3点である。 ① 奈良の地に継承された仏師、絵仏師、金工の工人達の高い技術が存分に発揮された名品が多数展示されている。すなわち、美術的に優れた仏像、肖像、仏画、舎利塔や密教法具などの名品を鑑賞するとともに、仏教美術の奥深さに引き込まれる展覧会といえる。 展覧会の構成と主要展示品は次の通り。 展示室1:密教と修法具 ・《黒漆光明真言厨子》西大寺:光明真言の墨書が納められた宮殿型厨子で、光明真言会で本堂須弥壇上に安置される。 ・国宝《金銅透彫舎利容器》西大寺:宮殿型の厨子内に舎利容器が納められている。火焔宝珠を戴き、龍や宝相華などをモチーフとした透彫の羽目板が華麗な舎利容器の傑作。 展示室3-2:大茶盛式の大茶碗:西大寺の大茶盛式は、延応元年(1239)より受け継がれてきた伝統行事。叡尊が八幡神社に献茶をした余服を参拝者に振る舞った事に由来し、現在は毎年2回、4月第2日曜日とその前日、10月第2日曜日に開催される。大茶碗の直径は30cmで、回し飲みである。【参照】 ・国宝《金光明最勝王経 巻1》西大寺:天平宝字6年(762)2月8日に宮廷の女官である百済の豊虫が両親の追善のために発願した、写経21巻のうち現存する『金光明最勝王経』1部10巻で、本展前期では巻1が展示されていた。平安時代の訓読点や注記が残る貴重な資料。 ・重文《塔本四仏坐像のうち阿弥陀如来坐像》西大寺(↓↓) 西大寺には創建後間もなく東塔・西塔の2基の塔が建てられた。この4軀の如来坐像は、そのいずれかの塔の初層(1階)に安置された。奈良時代後期を中心に流行する木心乾漆の技法により制作。西大寺創建に近い時期までさかのぼり、4軀まとまって伝わる貴重な仏像。各像の名称は後世のもの。なお、塔本四仏坐像の《阿閦如来坐像》と《宝生如来坐像》は、大阪展と山口展に出陳される。 ・国宝《十二天像のうち火天像》西大寺 鳥獣座:青羊?(↓↓↓、↓↓↓) 油日神社の《十二天像図》では、それぞれの天が鳥獣座に乗る古様を示している。この種の代表的なものは国宝《奈良西大寺本》があるが、類例は非常に少ない。「聖無動尊安鎮家国等法」や「金剛頂瑜伽護摩儀軌」などの所説によって描かれたもので、①三鈷戟、左手に盃を持って牛に乗る「伊舎那天」、②人頭幢を持って牛に乗る「焔摩天」、③金剛杵を持って象に乗る「帝釈天」、④剣を執って獅子に乗る「羅刹天」、⑤右手に三角壇と数珠、左手に瓶と杖を持って青羊に乗る四臂の「火天」、⑥剣を執って亀に乗る「水天」、⑦盛花器を持って雲に乗る「地天」、⑧風幅を持って麋に 乗る「風天」、⑨日輪を持って三馬に乗る「日天」、⑩宝塔を持って二邪鬼に乗る「毘沙門天」、⑪月輪を持って三鵞に乗る「月天」、⑫蓮華と水瓶、左手に戟を持って三鵞に乗る四面四臂の「梵天」が描かれている。十二天像は密教の修法道場を守護する「護法神」。1幅に1尊ずつ脇侍とともに画面いっぱいに描かれている。この画像の当初の伝来は不明だが、おおらかな趣をたたえ、制作は9世紀までさかのぼると考えられる。十二天画像としては、現存最古の作例であり、12幅完存していることも非常に貴重。地天と毘沙門天以外は「鳥獣座」という動物の上に坐っている坐像をして描かれている。会期中、5月14日(日)までは「帝釈天像」「火天像」を展示し、後期5月16日(火)からは「閻魔天像」「水天像」に展示替え。 ・国宝《興正菩薩坐像》善円作 西大寺:荒廃した西大寺を鎌倉時代に再興した、叡尊80歳の寿像。像内の墨書銘により、弘安3年(1280)に仏師善春によって造立されたことが判明し、像内には多種多様の納入品が納められている。肖像彫刻の中でも傑出した出来栄えで、昨年新たに国宝に指定された。眉が長いのが印象的。手に持つのは払子。 寺伝によると、弘安四年(1281)の「弘安の役」の際、叡尊は源氏の守り神の石清水八幡宮で、十万余騎の蒙古軍の兵船について「東風をもって本国に吹き送り、乗る人損なわずして、乗るところの船を焼失せしめたまえ」と願って渾身の祈祷を行った。その結願の夜に、宝殿の扉が開き、明王の持つ鏑矢が妙音を発して西方に飛び、暴風を起こして蒙古船を沈没させたと伝えられる。いわゆる「神風伝説」である。 ・重文《金銅火焔宝珠形舎利容器》西大寺:台座に豪華な装飾が施された金銅製の火焔宝珠形舎利容器。叡尊が伊勢において感得した舎利を納めていると伝えられている。 展示室7-1:真言律宗ー山の名宝 ・重文《普賢菩薩騎象像》岩船寺:六牙の白象に乗り、胸前で合掌する普賢菩薩像で、その姿は「法華経」普賢菩薩勧発品などの諸説に基づく。華奢な体つき、柔和な表情など品のある落ち着いた佇まい。 ・重文《釈迦如来立像》院保他筆 称名寺:京都・清凉寺の本尊を模刻した、清凉寺式釈迦像。清凉寺式釈迦像は、主に中世の真言律宗によって全国に広められた。体内銘により、徳治3年(1308)に院保をはじめとする院派仏師により造像されたことが判明。
by cardiacsurgery
| 2017-05-14 23:38
| 仏像
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