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2017年4月8日(土) 午後3:00〜3:50、 NHK・Eテレで「ピカソの遺産~女神たちから生まれた傑作~」の再放送を聴いた。この初回放送は、2016年9月13日である。
番宣は次の通り。 以下は、私の簡単なメモである。 【時代区分】 ・青の時代(1901年~1904年):19才のとき、親友が自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、プロシア青を基調に使って、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を描いた。 ・ばら色の時代(1904年~1907年):フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少女、少年などを描いた。 ・アフリカ彫刻の時代(1907年~1908年):アフリカ彫刻の影響を強く受けた時代。このとき、キュビスムの端緒となる『アビニヨンの娘たち』が生まれた。 ・セザンヌ的キュビスムの時代(1909年):スペインのオルタ・デ・エブロに旅し、セザンヌ的な風景画を描いた。 ・分析的キュビスムの時代(1909年~1912年):モチーフを徹底的に分解・記号化し、抽象絵画にもっとも接近した時代である。 ・総合的キュビスムの時代(1912年~1918年):装飾性と色彩の豊かさが特徴で、ロココ的キュビスムとも呼ばれる。このころ、新聞紙や壁紙をキャンバスに直接貼り付けるコラージュを発明した。 ・新古典主義の時代(1918年~1925年):妻オルガと息子パウロをモデルに、どっしりと量感のある母子像を描いた。 ・シュルレアリスムの時代(1925年~1936年):化け物のようなイメージが多く描かれた時期で、妻オルガとの不和が反映している。代表作は『ダンス』・『磔刑』。 ・ゲルニカの時代(1937年):ナチ・ドイツがスペインのゲルニカを爆撃したことを非難する大作『ゲルニカ』や、その習作『泣く女』を描いた。 ・晩年の時代(1968年~1973年):多様な画材でカラフルかつ激しい絵を描いた。自画像も多く手がけた。 【女性遍歴】 1.フェルディナンド・オリヴィエ:1904年に、アパート「洗濯船」で2人は出会う。翌年までに同棲をはじめ、ピカソ専属のモデルとなった。2人の関係は1911年まで続いた。『マドレーヌ』 2.エヴァ・グエル:キュビスム。1915年、癌で死亡。ピカソは彼女を讃えるために、作品に「私はエヴァを愛す (J’ AIME EVA)」、「私の素敵な人 (MA JOLIE)」などの言葉を書き込んだ。 3.オルガ・コクローヴァ:1918年に結婚、息子パウロが生まれた。『新古典主義の時代(公爵夫人の時代)』。 4.マリー・テレーズ・ワルテル:1927年、17歳のマリー・テレーズ・ワルテルと出会い、密会を始めた。1935年に娘マヤが生まれた。 5.ドラ・マール:写真家。1936年から1945年まで愛人関係。『ゲルニカ』の制作過程を写真に記録。 6.フランソワーズ・ジロー:1943年、21歳の画学生フランソワーズと出会い、1946年から同棲。クロードとパロマが生まれた。フランソワーズは、1953年、2人の子を連れてピカソのもとを去り、他の男性と結婚。『花の女』・『生きる歓び』。陶芸。 7.ジャックリーヌ・ロック:南仏ヴァロリスの陶器工房で働いていたところをピカソに見そめられ、1961年に結婚。ピカソはフランソワーズに「相手と婚姻解消すれば、クロードとパロマを入籍する」と誘いかけ、これに乗ってフランソワーズが相手と協議離婚したが、ピカソは既にジャクリーヌ・ロックと結婚していた。 【ピカソの遺産】ピカソが1973年に91歳で死んだ時、4万点近い作品と3つの城、2つの別荘、幾つかの住居、現金が残された。ピカソの城からは誰も見たことがなかった作品が続々出てきた。 ピカソの「遺産目録」は、専門家が7年間かけて完成させた。調査にあたっては、ジャックリーヌの住居は最後に行われた。 総額7400億円とも言われる遺産のうち、フランス政府は作品で「相続税」を収めさせた。現在これらはパリのピカソ美術館に納まっている。 ピカソの「遺産相続権者」は、ピカソの老人介護に献身した正妻ジャックリーヌ、最初の妻オルガの息子ポール、他に婚外子が3人、マリー・テレーズの子、マヤ。フランソワーズの子、クロードとパロマの5人。 ピカソが亡くなったとき、オルガの息子パウロとパウロの息子、つまりピカソの孫のパブリートはすでに死亡していた。パウロは酒と麻薬に溺れて身体を壊し、パブリートは自殺だった。そこで祖母オルガの分は、ポールの残された2人の娘、マリーナとベルナールが受け取ることになった。 すなわち、「遺産分配」は下記のように決着したのである。 正妻・ジャックリーヌ:3割なお、マリー・テレーズは4年後に首吊り自殺。正妻ジャックリーヌは3年後に拳銃自殺している。フランソワーズ・ジローは、現在まで画家として旺盛な創作を続けている。 現在のピカソの著作権管理は、こちらを参照されたい。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-04-09 07:00
| 現代アート(国外)
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