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これは後白河院、花園院、後崇光院・後花園院 、三条西実隆、足利歴代将軍、松平定信といった「絵巻マニア」に注目した展覧会で、桜満開の日曜日にこの展覧会を見にいく私は「展覧会マニア」なのかもしれない。
![]() 12世紀後半は、絵巻制作の質・量ともに、ひとつの頂点を迎えた時代。その潮流の中心にあり、歴代の絵巻マニアの筆頭に挙げられるのが後白河院(1127~92)だった。 今様を好み『梁塵秘抄』を撰したことでも知られる後白河院は、「蓮華王院」に設けた「宝蔵」に和漢の典籍や宗教的な宝物、楽器など多様な文物を秘蔵し、院の趣味や嗜好を超えた、いわば文化的事業の集積所を作り上げた。 なかでも注目されるのは、コレクションに占める絵巻の多さで、儀式や祭礼などを描いた《年中行事絵巻》など後白河院は自ら積極的に絵巻を制作させて宝蔵に納めた。 近年サントリー美術館の所蔵となった《病草紙断簡 不眠の女》も、かつて「蓮華王院宝蔵」に納められていた《六道(天道、人道、餓鬼道、阿修羅道、畜生道、地獄道)絵巻》のうち、病に苦しむ人道の苦悩を表したものの可能性が指摘されている。 ・ 重要文化財《病草紙断簡 不眠の女》平安時代 12世紀 サントリー美術館:《病草紙断簡》は全15点のうち6点(不眠の女・尻の穴のない男・頭のあがらない乞食法師・居眠りの男・顔にあざのある女・侏儒)が今回の展覧会に出品され、そのうち赤字のものは今回見られた。 ![]() 第1章 花園院 伏見天皇の第三皇子・花園天皇(1297~1348)は、父から貸し与えられた蓮華王院宝蔵の絵巻「宝蔵絵」を興奮気味に鑑賞し、「予、幼年の時より絵を好むものなり」と日記『花園院宸記』で自ら告白している。 この伏見院と花園天皇父子の周辺で絵画制作に従事していたのが、絵所預・高階隆兼。隆兼の代表作である《春日権現験記絵》(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)の制作には、《年中行事絵巻》などの「宝蔵絵」を研究した跡が指摘されている。 ・《春日権現権験記絵》巻九 詞:鷹司基忠・筆、絵:高階隆兼・画 延慶2年(1309)年頃 三の丸尚蔵館 ![]() 本章では、絵巻マニアたちが牽引し、新たに誕生した絵巻の一時代の例として、高階隆兼様式の作品を一堂に展観している。 ・重要文化財《石山寺縁起絵巻》巻一(部分)詞 杲守 筆 鎌倉時代/絵 鎌倉時代 正中年間(1324~26)頃 / 詞 南北朝時代 14世紀後半 滋賀・石山寺 ![]() ![]() 今日伝存する中世の絵巻は、必ずしも制作年代や背景が明らかではない。このような状況下で、伏見宮貞成(さだふさ)親王(後崇光院・1372~1456)の日記『看聞日記』は、絵巻に関する記事が豊富であり、当時の伝来・制作環境・評価を知ることのできる第一級の史料といえる。 後崇光院の第一皇子・後花園天皇(1419~70)もまた、絵巻に強い関心を持ち、『看聞日記』の記事からは、父子が方々から絵巻を召し出し鑑賞したり、親子の間で絵巻を貸借していた様子が見てとれる。例えば興福寺大乗院で重宝とされた《玄奘三蔵絵》も、都に運ばれ、後花園天皇から父・後崇光院へと転貸されたものであった。 ・国宝《玄奘三蔵絵》巻四(部分)鎌倉時代 14世紀 藤田美術館:(↓)は洞窟の中の釈迦。別な洞窟の中には、「捨身虎飼」を想起させる虎も描かれていた。 ![]() ![]() ・《放屁合戦絵巻》一巻(部分) 室町時代 文安6年(1449)写 サントリー美術館 ![]() 室町時代後期を代表する学者公喞・三条西実隆(1455~1537)は、日記『実隆公記』を残した。当時の政治や社会情勢のみならず、文化的な事象に関する記事も豊かな『実隆公記』は、朝廷周辺や地方へもたらされた絵巻の記載が多数見られ、後崇光院の『看聞日記』と並び、中世絵巻を研究する上で重要な史料となっている。 実隆の絵巻愛好は、古画・名作の鑑賞にとどまらず、当代一流の文化人として、詞書の清書や物語の草稿執筆など多くの絵巻新作に関与し、晩年の《桑実寺縁起絵巻》制作では、チーフプロデューサーの役割を担っていた。 ・《桑実寺縁起絵巻》巻上 詞:後奈良天皇・青連院尊鎮・三条西実隆・筆、絵:土佐光茂・画 天文元年(1532)滋賀・桑實寺 ![]() ・《地蔵堂草紙絵巻》一巻(部分)室町時代 15世紀 個人蔵:美女に連れられ竜宮に行った僧が美女の正体が竜だと知り、地蔵堂へ戻ってくるが、一夜明けると僧は竜の姿になっていたという話。 ![]() 室町幕府は、宮廷文化の中心地であった都に初めて成立した武家政権である。足利歴代将軍は、朝廷を凌駕するために、武力や政治経済力のみならず、伝統的な貴族文化への適応をもって政権の安定を図った。 その文化的方策の手段として絵巻が利用された。『看聞日記』からは、第六代将軍足利義教(よしのり・1394~1441)が、後崇光院・後花園院父子とともに絵巻貸借の輪のなかに加わっていたことが知られ、また、三条西実隆が尽力した《桑実寺縁起絵巻》の制作も、第十二代将軍足利義晴(1511~50)による依頼だった。そして、足利家歴代のなかでも天性の絵巻好きであった第九代将軍足利義尚(よしひさ・65~89)の存在も欠かせない。 本章には、第2章と第3章に挙げた公家層の絵巻マニアたちと同時代に、時に競い、時に協調しながら熱中した、武家層の絵巻愛好の様相が紹介されている。 ・重要文化財《誉田宗庿縁起絵巻》巻中(部分)室町時代 永享5年(1433)大阪・誉田八幡宮 ![]() 江戸幕府第八代将軍・徳川吉宗の孫である松平定信(1758~1829)は、全国各地の寺社や旧家に伝わる古文化財の調査・記録を行い、一大文化財図録『集古十種』を出版するなど、その好古趣味が有名であった。 なかでも古画の愛好家であった定信は、『集古十種』の続編ともいわれる故実の図譜『古画類聚』の制作にも着手した。「古画」と題しながらも、素材となった作品の大半は150点近い絵巻であり、定信がとりわけ絵巻好きであったことを物語っている。さらに、古文化財の調査・整理分類だけでなく、絵巻の模写・修復・補作事業に尽力する気概は、彼の絵巻愛なくして語れない。 この章には、国宝《法然上人絵伝》巻三十四 鎌倉時代 14世紀 知恩院が出ていた。 終章では、江戸時代後期において、現代につながる文化財行政の先駆けともいうべき事業を積極的に進めた、いわば「近代的」絵巻マニアの姿を見ることができる。 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-04-02 22:31
| 国内アート
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