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今朝の「ラジオ深夜便」【明日へのことば】で、「戦中戦後を語りつぐ会・いわて」副会長・駒井修氏の「オーチャンへ、軍事ハガキに託した父の思い」を聴いた。第二次世界大戦の終戦時、駒井氏は8歳だったというから、私と同年代である。
この軍事ハガキは(↓)。 ![]() 駒井修氏はの父、駒井光男さん(1905年生まれ、享年41歳)も、この大戦の犠牲者のひとりである。光男さんは当時タイ国カンチャナブリ捕虜収容所第一分所の副所長をしており、泰緬鉄道建設作業隊に、鉄道隊の要請で連合国捕虜を労務者として派遣していた。 その第一分所で、英国人捕虜が無線機を組み立て情報を傍受しているとおぼしき事件が起こった。光男さんは、その捕虜から事情聴取する過程で、捕虜を殴打し重傷を負わせ、うち二人を死亡させたとの理由で、昭和21年3月14日、シンガポール・チャンギー刑務所で絞首刑に処せられた。 昭和19年に戦争が激しくなると駒井修氏の家族は父母の故郷、盛岡に疎開し、戦後そこで父の処刑を知ったが、修氏の母親は毎日泣いていた。修氏8歳、母親37歳だった。 あとで知ったことだが、修氏の母親は、小学校、中学校、高校の各担任の先生には修氏が入学するとすぐに、「この子の父親は戦犯で処刑されたものですから、くれぐれも宜しく」とお願いしていたようだ。 就職に際して、やっぱりあの問題が出た。「君の両親はいないね。特にお父さんの戦犯ということは話さないように」という先生の言葉が気になり、苦しんだ。 駒井修氏にとって、就職してからが一番淋しく感じた時期であったが、家庭を持って元気になった。 駒井修氏は、どうしても父の処刑の理由を知りたいと思い、東京の泰俘会にも参加したが、光男さんの事に関してはだれも話してくれなかった。 当時の国会議員・板垣正先生に、手紙で父の裁判関係の調査をお願いすると、英国・シンガポール裁判「事件番号2殴打虐殺事件」として「起訴理由の概要」を記した文書が送られてきた。 1996年「岩手日報」に、「旧日本軍を裁いた英国の全記録、ロンドンで発見」という見出しの林博史関東学院大学助教授の記事が載っていることを発見した。 1999年、会社を退社した駒井修氏は、シンガポールのチャンギー刑務所と日本人墓地を訪れ、さらにタイ国・カンチャナブリ市で泰緬鉄道に乗った。 その後、林助教授に手紙を差し上げて、裁判記録英文原文の抜粋を送っていただいた。
駒井修氏は、2007年7月に、ロマックス氏を訪ねている。
第二次大戦中日本軍の捕虜として亡くなったサミュエル・ローレンス・ハイジンガーさんの息子デュエイン・ハイジンガー氏からの駒井修氏宛ての手紙は以下の通りである。 親愛なる駒井修さま あなたと私はどちらも、第二次大戦で父親を失いました。その不幸は、遠い昔に成長する年月を通じて、私たちがどのような人間になるかをある程度決定づけました。私たちは当然、その結果家族にもたらされた変化と子供時代そしてその後の年月にも影響を及ぼすことになる運命の異なる流れを前にして、戸惑いました。太平洋を挟んだそれぞれの国で、私たちは成長し、どちらも何とか家庭生活を築いてくることができました。 私はあなたに提言したいと思います。即ち、「私たちは、個人としての自分たちがどのような人間であるのか、どのような人格を形成してきたのか、家族や同僚などの周りの人々とどのような人間関係を築いてきたのか、どのような友人や出会いを選んできたのか、などによって最もよく評価してもらうことができる」ということです。いかなる告発(あなたの場合は第二次大戦でお父様が受けられた告発)によっても、私たちが本当に重要な意味で評価されることはありません。それらの告発が真実であるか否かは、あなたがどんな人間であるかを左右するものではないのです。あなたの書かれた文章から拝察し、私はあなたが、過去の真実を知ることを望み人と人との間に理解を求める立派な人格の方と、お見受けしました。そのようなあなたを、私は尊敬します。 あなたと私は、祖国が敵同士として戦ったあの戦争で父親を亡くしましたが、私は、あの当時のことを基に自分の日本に対する気持ちそしてあなたに対する気持ちを推し量ることはしませんし、将来もすることはありません。「勝った者が支配できる」とはよく言われることです。選挙ではそうかもしれませんが、人生では違います。友情を通して相手に手を差し伸べようとする時の、その人物の真の人間性こそが大事なのです。私は、父親の足跡を辿り理解しようとつらい旅路を歩かれるあなたに手を差し伸べ、幸運を祈りたいと思います。その道のりは安易なものではないでしょう。感情に翻弄され深く傷つくこともあるでしょうし、過去の出来事故にあなたに個人的な汚名を背負わせたいと願う者もいるかもしれません。私はそんなことは願いません。でも、知ろうとすること、そしてお父様のつらい過去の出来事を理解しようとすることで、あなたは自分自身をより理解することでしょう。そして、あなたのお子さま・奥さまに対してしてより完璧な父親・夫となるでしょう。あなたが求めていた、そしてたぶん今も求めていらっしゃるであろう、さらなる理解を得ることでしょうし、今の世界にとても大切な、他者との触れ合いによる友情の架け橋を築かれることでしょう。 あなたのお父様と私の父がもし出会っていたなら、きっと友情を分かち合えたと思います。私もあなたの文章を読み、あなたを知り得たことを嬉しく思っています。 友人であるあなたのご健勝を祈って。 第二次大戦中日本軍の捕虜として死んだ 美術散歩 管理人 とら
by cardiacsurgery
| 2017-03-14 10:12
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